読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 下    第十八章 国家と市場経済がもたらした世界平和

ホモ・サピエンスの必要性に応じて世界が造り替えられるにつれて、動植物の生息環境は破壊され、多くの種が絶滅した。(略)


今日、地球上の大陸には70億近くものサピエンスが暮らしている。全員を巨大な秤に載せたとしたら、その総量はおよそ三億トンにもなる。もし乳牛やブタ、ヒツジ、ニワトリなど、人類が農場で飼育している家畜を、さらに巨大な秤に全て載せたとしたら、その重量は約7億トンになるだろう。


対象的に、ヤマアラシやペンギンからゾウやクジラまで、残存する大型の野生動物の総重量は、一億トンに満たない。児童書や図画やテレビ画面には、今も頻繁にキリンやオオカミ、チンパンジーが登場ずるが、現実の世界で生き残っているのはごく少数だ。


世界には15億頭の畜牛がいるのに対して、キリンは八万頭ほどだ。四億頭の飼い犬に対して、オオカミは20万頭しかいない。チンパンジーがわずか25万頭であるのに対して、人は何十億人にものぼる。

人類はまさに世界を征服したのだ。


生態圏の悪化は、資源不足とは違う。(略)


実のところ、生態系の大きな混乱は、ホモ・サピエンス自体の存続を脅かしかねない。地球温暖化や海面上昇、広範な汚染のせいで、地球が私たちの種にとって住みにくい場所になる恐れもあり、結果として将来、人間の力と、人間が誘発した自然災害との間で果てしない鍔迫り合いが繰り広げられることになるかもしれない。」


「<近代の時間>  これほど多くのサピエンスは、しだいに自然の気まぐれに振り回されなくなる一方で、近代産業と政府の命令にはかつてないほど支配されるに至った。(略)


多くの変化の一例として、伝統的な農業のリズムが画一的で正確な産業活動のスケジュールに置き換わったことが挙げられる。


伝統的な農業は、自然の時間のサイクルと動植物本来の生育サイクルに依存していた。たいていの社会では、時間を正確に計測することができなかったし、時間の計測にそれほど関心もなかった。時計も時間表もなく、太陽の動きと植物の成長サイクルにのみ従って、世の中は回っていた。」


〇モモの「時間泥棒」を思い出しました。


産業革命によって、時間表と製造ラインは、人間のほぼあらゆる活動の定型になった。」

 

「鉄道は従来の馬車よりも格段に速かったので、各地の時刻の呆れるほどの不統一は、大変な頭痛の種となった。そこでイギリスの鉄道会社各社は、1849年に一堂に会して相談し、以後すべての鉄道時刻表は、リヴァプールマンチェスターグラスゴーなどの現地時間ではなく、グリニッジ天文台の時刻に準ずることで合意した。(略)

歴史上初めて、一国が国内標準時を導入し、各地の時刻や日の入りまでのサイクルではなく、人為的な時刻に従って暮らすことを国民に義務づけたのだ。」

 

「とはいえ以上のような大変動もみな、これまでに人類に降りかかったうちで最も重大な社会変革と比べると、影が薄くなる。その社会変革とは、家族と地域コミュニティの崩壊および、それに取って代わる国家と市場の台頭だ。(略)

ところが産業革命は、わずか二世紀あまりの間に、この基本構成要素をばらばらに分解してのけた。そして、伝統的に家族やコミュニティが果たしてきた役割の大部分は、国家と市場の手に移った。」


「<家族とコミュニティの崩壊> また、家族は福祉制度であり、医療制度であり、教育制度であり、建設業界であり、労働組合であり、年金基金であり、保険会社であり、ラジオ・テレビ・新聞であり、銀行であり、警察でさえあった。」

 

「コミュニティは、地元の伝統と互恵制度に基づいて、救済の手を差し伸べた。多くの場合、それは自由市場の需要と供給の法則とは大きく異なっていた。昔ながらの中世のコミュニティでは、助けを必要とする隣人がいれば、見返りの報酬など期待せずに、家を建てたり、ヒツジの番をしたりするのに手を貸した。」


「親やコミュニティの長老たちは、若い世代が国民主義的な教育制度に洗脳されたり、軍隊に徴収されたり、拠り所のない都市のプロレタリアートになったりするのを、むざむざと見過ごそうとはしなかった。

そのうち国家や市場は、強大化する自らの力を使って家族やコミュニティの絆を弱めた。国家は警察官を派遣して、家族による復讐を禁止し、それに代えて裁判所による判決を導入した。

市場は行商人を送り込んで、地元の積年の伝統を一掃し、たえず変化し続ける商業の方式に置き換えた。だが、それだけでは足りなかった。家族やコミュニティの力を本当の意味で打ち砕くためには、敵方の一部を味方に引き入れる必要があった。


そこで国家と市場は、けっして拒絶できない申し出を人々の持ち掛けた。「個人になるのだ」と提唱したのだ。」


〇う~~~ん… これは、国家や市場の「意図的な策略」だったかのように言われていますが、私はずっと人間の「わがまま」のせいでそうなっていると思ってました。

人間は、多少なりともそれで食べて暮らしていけるようになったら、そっちの方向へ行ってしまうものなんだと。私自身も、ずっと「個人」になりたかった。世間の目を気にするのが鬱陶しかったし、親や親せきの目も嫌だった。

でも、それで思い出すのは、このハラリ氏もどこかで書いていましたが、「子育てに関するあれこれ」はどれも「非常に不快な作業」なのだけれど、そこから得られる満足感や「幸せ」はとても大きいと。(言葉は違っています。もう少したったら、出てくると思いますので、正確な文章を載せます。)


つまり、「不快な状況」でも幸せにつながるものがあると。

それを知らない人はたくさんいて、単純に快楽や楽の方向へ行ってしまうと、その一瞬は確かに良いのですが、何か常に満ち足りないものを抱えている状態になるのが、
人間なのだというようなことを言っていたと思います。

問題は、ここです。

世の中には、「賢人」と「愚者」がいる。
というより、成長過程で、まだ知らない人と、長くいろいろな経験をして知ってる人がいる。

その時、もし「賢者」の言説に聞き従う習慣があれば、かなり人間社会も劣化しないで、継続できると思うのです。

逆に、「愚者」が権力を持ち、民衆に「快楽や楽」の道を勧めるとき、社会は恐ろしいことになると思います。

 

「何百万年もの進化の過程で、人間はコミュニティの一員として生き、考えるよう設計されてきた。ところがわずか二世紀の間に、私たちは疎外された個人になった。文化の驚異的な力をこれほど明白に証明する例は、他にない。」


「たいていの社会では、親の権威は神聖視されていた。親を敬い、その言いつけに従うことは、とりわけ尊ばれる価値観であり、親はといえば、新生児を殺害することから、子供を奴隷として売る、あるいは娘を二倍以上も年嵩の男性に嫁がせることまで、思いどおりにほぼなんでもできた。


「<想像上のコミュニティ>  市場と国家はこの要求に応えるために、「想像上のコミュニティ」を育成してきた。このコミュニティは何百万もの見ず知らずの人の集合体で、国や商業の必要性に合致するようにできている。

想像上のコミュニティは、実際には互いによく知らない者どうしが、知り合いであるかのように想像するコミュニティだ。このようなコミュニティは、何も新奇な発明ではない。王国も、帝国も、教会も、想像上のコミュニティとして何千年にもわたって機能してきた。

古代中国では、何千万もの人々が自らを、皇帝を父とする単一の家族の一員だと考えていた。

中世には、何百万もの敬虔なイスラム教徒が、自分たちはみな、イスラムという巨大なコミュニティに属する兄弟姉妹であると想像した。

だがいつの時代にも、こうした想像上のコミュニティは、実際に互いをよく知る数十人規模の親密なコミュニティを補う役割を果たしていたにすぎない。親密はコミュニティは、成員の感情面の必要性を満たし、各人の生存や福祉に欠かせない存在だった。

ところが、この二世紀の間に、親密なコミュニティは衰退し、その感情的空白は想像上のコミュニティに委ねられることになった。


このような想像上のコミュニティの台頭を示す最も重要な例が、国民と、消費者という部族の二つだ。」


「国民ははるか昔に存在していたが、その重要性は現在よりもずっと小さかった。というのも、国家の重要性がずっと小さかったからだ。

中世のニュルンベルクの住民もドイツ国民に対する忠誠心をいくらかは抱いていたかもしれないが、それは、日常の必要のほぼずべてを満たしてくれる家族や地域コミュニティに対する忠誠心には遠く及ばなかった。そのうえ、かつての国民がどのような重要性を持っていたにせよ、現代まで続いているものはほとんどない。

現存する国民のほとんどは、産業革命後に誕生したものだ。」


ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞を思い出しました。ここを読んで、ちょっと脳の中をかき混ぜられるような感じになりました。

 

 

「人間には、社会構造を柔軟性のない永遠の存在と見なす傾向があった。家族やコミュニティは、秩序の範囲内において、自らの立場を変更しようと奮闘するかもしれないが、私たちは自分が秩序の基本構造を変えられるとは思いもしなかった。

そこで人々はたいてい、「今までもずっとこうだったし、これからもずっとこうなのだ」と決めつけて、現状と折り合いをつけていた。(略)

過去二世紀の間に、変化のペースがあまりに早くなった結果、社会秩序はダイナミックで順応可能な性質を獲得した。今や社会秩序は、たえず流動的な状態で存在する。」


「これはとりわけ、第二次大戦終結後の70年についてよく当てはまる。この間に人類は初めて、自らの手で完全に絶滅する可能性に直面し、実際に相当な数の戦争や大虐殺を経験した。

だがこの70年は、人類史上で最も、しかも格段に平和な時代でもあった。これは瞠目に値する。」


「<現代の平和> ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない。1000年前から生きている人間は一人もいないので、かつて世界が今よりもはるかに暴力的であったことは、あっさり忘れられてしまう。」


「暴力の減少は主に、国家の台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった(前記の数字が示すように、今日でさえ、身近な犯罪のほうが国際的な紛争よりもはるかに多くの命を奪っている)。

すでに見た通り、地域コミュニティ以上に大きな政治組織を知らない初期の農民たちは、横行する暴力に苦しんでいた。」


「ブラジルでは、1964年に軍事独裁政権が樹立され、その支配は85年まで続いた。その20年間に数千人のブラジル人が政権によって殺害された。さらに何千もの人が投獄されたり拷問を受けたりした。


だが、最悪の時期にあってさえ、リオデジャネイロに暮らす平均的なブラジル人は、平均的なワラオニ族やアラウェテ族、ヤノマミ族に比べれば、他人に殺される確率ははるかに低かった。

ワラオニ族やアラウェテ族、ヤノマミ族は、アマゾンの密林の奥地に暮らす先住民で、軍隊も警察も監獄も持たない。人類学の研究によれば、これらの部族では男性の4分の1から半分が、財産や女性や名誉をめぐる暴力的ないさかいによって、早晩命を落とすという。」


「<帝国の撤退> イギリスは1945年には、世界の4分の1を支配していた。その三十年後、同国の支配地域は、いくつかの小さな島だけになった。同国はその間に、ほとんどの植民地から平和裏に整然と撤退した。(略)たいていのちいきでは、癇癪を起す代わりにため息をついただけで帝国の終焉を受け容れた。


彼らは権力を維持することにではなく、出来る限り円滑に移譲することにもっぱら努力をむけた。マハトマ・ガンディーは彼の非暴力の信念に対してたいてい山ほど賛辞を与えられるが、少なくともその一部は、実際には大英帝国が受けるべきものだ。」


「それに比べると、フランス帝国は往生際が悪かった。(略)

だが、ソ連のエリート層と東欧の大部分を占めていた共産政権は(ルーマニアセルビアを例外として)そうした軍事力の一端さえも用いようとはしなかった。共産圏の指導者たちは、共産主義の破綻を悟ると武力を放棄し、失敗を認め、荷物をまとめて退散した。

ゴルバチョフと政権幹部は、第二次大戦でソ連が獲得した領土だけでなく、バルト海周辺やウクライナカフカス地方、中央アジアで帝政時代に獲得したはるか以前からの領土まで、すんなりと手放した。

ゴルバチョフセルビア指導部、あるいはアルジェリアでのフランスのような行動を取っていたらどうなったかと考えると、背筋が寒くなる。」

 

 

「<原子の平和(バスク・アトミカ)>  これらの諸帝国の後を受けた独立国家は、戦争には驚くほど無関心だった。(略)

こうした征服劇は、はるか昔から、政治史においては日常茶飯事だった。巨大帝国の多くは、征服によって建設されてきたのであり、大半の支配者も人民も、この状況が変わることはないと考えていた。

だが今日では、ローマやモンゴル、オスマントルコのもののような征服を目的とした軍事遠征は、もはや世界のどこにおいても起こりえない。(略)


戦争はもう、当たり前の出来事ではない。」


〇この人(ハラリ氏)は偉いなぁと思います。戦争の多くは、「征服されるかもしれない…」という恐怖や疑心暗鬼から始まると聞きますし、実際そうだろうな、と思います。

だからこそ、「起こりえない可能性」が若干でも高い時には、「もう起こりえない」とはっきり言うことが必要なのだと思います。
それをこの人はしっかり理解して言っているように見えます。

最初、読んだ時、この人は、若い。そんな楽観的なことを言ってて良いのか?と思いました。でも、まさにその気持ちこそが、戦争を引き起こすのだと思います。100%はない。だから、備えはある程度しておかねばならない。

でも、「起こりえない」とみんなが信じるとき、それは、現実になると思います。
丁度、あの「資本主義の信用」が現実のものになったのと同じように。


「今日の人類は、この弱肉強食の掟を覆している。戦争がないだけでなく、ついに真の平和が実現したのだ。」

「今後あらゆる平和賞を無用にするために、ノーベル平和賞は、原子爆弾を設計したロバート・オッペンハイマーとその同僚たちに贈られるべきだった。核兵器により、超大国間の戦争は集団自殺に等しいものになり、武力による世界征服をもくろむことは不可能になった。」


「カリフォルニアについて考えてみよう。そなわち、IT企業の集中するシリコンヴァレーと、ハリウッドのセルロイドヒルズ(映画の丘)だ。(略)


シリコンヴァレーには、シリコンの鉱脈などない。富はグーグルのエンジニアや、ハリウッドのスクリプト・ドクター、映画監督、特殊効果の技術者らの頭の中にある。(略)


イラククウェート侵攻のように、数は少ないながら今なお世界で発生している国家間の全面的な戦争が、旧来の物質的な富に依存する地域で起こっているのは、けっして偶然ではない。クウェートの首長一族らは国外に逃亡できたが、油田はそのまま放置され、占領された。


戦争は採算が合わなくなる一方で、平和からはこれまでにないほどの利益が挙がるようになった。」


「最後になったが、他に劣らず重要な要因として、グローバルな政治文化に構造的転換が起こったことが挙げられる。歴史上、フン族の首長やヴァイキングの王侯、アステカ帝国の神官をはじめとする多くのエリート層は、戦争を善なるものと肯定的に捉えていた。

一方で、うまく利用すべき必要悪と考える指導者もいた。現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている(初期のキリスト教徒のように、過去にも平和主義者はいたが、そうした人が権力を手にした数少ない事例を見ると、「反対の頬をも差し出す」という、仕返しを禁じる掟は忘れ去られてしまいがちだった)。」


「では、果たして近代は、(略)見境のない殺戮と戦争と迫害の時代なのだろうか?(略)

その答えは、時期によって異なる。過去に対する私たちの見方が、直近の数年間の出来事によっていかに歪められやすいかに気づけば、はっとさせられる。仮に1945年か、62年にこの章が書かれていたら、おそらくはるかに陰気な内容になっていただろう。」

 

 

 

 

 

サピエンス全史 下 第十七章 産業の推進力

「これほどの規模の生産を行えば、製造に必要なエネルギー資源も原材料も尽き果て、今では辛うじて残ったものをかき集めて使っているのではないかと思う向きもあるだろう。

ところが実はその逆なのだ。1700年には世界の輸送手段の製造業界は圧倒的に木と鉄に頼っていたのに対して、今日ではプラスティックやゴム、アルミニウム、チタンといった新たに発見された多様な材料が使える。」


「<熱を運動に変換する> 「1825年、あるイギリスの技術者が、石炭を満載した炭鉱の貨車に蒸気機関車をつないだ。この蒸気機関は、20キロメートルほどの鉄の線路に沿って、炭鉱から最寄りの港まで貨車を引いていった。これが史上初の蒸気機関車だった。(略)それ以降人々は機械と機関を使えば一つの種類のエネルギーを別の種類のエネルギーに変換できるという発想に取り憑かれるようになった。」

決定的に重要な発明は他にもある。内燃機関の発明もその一つだ。内燃機関はたった一世代ほどのうちに、人類の輸送手段に大変革をもたらし、石油を液状の政治権力に変えた。

石油は既に何千年も前から知られており、防水のために屋根に塗ったり、動きを滑らかにするために車軸に塗ったりされていた。だが、ほんの一世紀前まで、せいぜいその程度の役にしか立たないものと誰もが思っていた。」


「石油よりもさらに驚異的なのが、電気の歴史だ。(略)それが、一連の発明のおかげで、私たちにとってなんでも願い事をかなえてくれるランプの魔人となった。」

 

 

「<エネルギーの大洋> 私たちは数十年ごとに新しいエネルギー源を発見するので、私たちが使えるエネルギーの総量は増える一方なのだ。それなのに、エネルギーを使い果たしてしまうことを恐れる人がこれほど多いのはなぜか?(略)

この世界でエネルギーが不足していないことは明らかだ。私たちに不足しているのは、私たちの必要性を満たすためにそのエネルギーを利用し、変換するのに必要な知識なのだ。」

 

〇現在の知識で利用できるエネルギーには、限界がある、と考えるのが、一般的だと
思うのですが。


「人間の活動と産業をすべて合わせても、消費するエネルギーは毎年約500エクサジュールで、これは地球が太陽からわずか90分で受け取るエネルギーの量でしかない。しかも、これは太陽エネルギーだけを考えた場合だ。」


「私たちは産業革命の間に、自分たちが実は途方もないエネルギーの大洋に接して生きていることに気付き始めた。その大洋は莫大なエネルギーを秘めていた。私たちは、これまでよりも性能の良いポンプを発明しさえすればいいのだ。」


「(ハンドクリームの成分リスト) 脱イオン水、ステアリン酸グリセリン、カプリリック/カプリックトリグリセリド、プロイレングリコール、ミリスチン酸イソプロピル、(……他)これらの成分のほぼすべてが、過去二世紀の間に発明されたり発見されたりしたものだ。」

 

<ベルトコンベヤー上の命> だが産業革命は、何よりもまず、第二次農業革命だったのだ。(略)動植物さえもが機械化された。ホモ・サピエンスが人間至上主義の宗教によって神のような地位に祭り上げられたのと同じころ、家畜も痛みや苦しみを感じる生き物と見なされることがなくなり、代わりに機械として扱われるに至った。

今日こうした動物たちは、工場のような施設で大量生産されることが多い。その体は産業の必要性に応じて形作られる。彼らは巨大な製造ラインの歯車として一生を送り、その生存期間の長さと質は企業の損益によって決まる。


業界は動物たちを生かして置き、そこそこ健康で良い栄養状態に保つ配慮をするときにさえ、彼らの社会的欲求や心理的欲求には本来関心を持たない(ただし、それが生産に直接影響する時は話が別だ)。」


〇この後に、メンドリやブタ、乳牛の悲惨さを具体例を挙げて説明しています。


〇また、民間の孵化場でベルトコンベヤーに乗せられたヒヨコたちの写真が載っています。「オスのヒヨコと不完全なメスのヒヨコはベルトコンベヤーから降ろされ、ガス室で窒息死させられたり、自動シュレッダーに放り込まれたり、そのままごみの中に投げ込まれ、潰されて死んだりする。このような孵化場では毎年何億羽ものヒヨコが死ぬ。」という解説がついています。


「複雑な感情の世界を持っている生き物を、あたかも機械であるかのように扱えば、身体的不快感ばかりでなく、多大な社会的ストレスや心理的欲求不満を引き起こす可能性が高い。

大西洋奴隷貿易がアフリカ人に対する憎しみに端を発したわけではないのと丁度同じで、今日の畜産業も悪意に動機づけられてはいない。

これもまた、無関心が原動力なのだ。卵や牛乳、食肉を生産したり消費したりする人の大半は自分が飲食しているもののもとであるニワトリや牛や豚の運命について、立ち止まって考えることは稀だ。

また、しばしば考える人は、そのような動物はじつは機械とほとんど変わらず、感覚も感情も、苦しむ能力もないと主張する。」


進化心理学では、家畜の感情的欲求や社会的欲求は、野生の時代に進化したと主張する。それが生存と繁殖に不可欠だったからだ。たとえば、野生の牛は他の牛たちと親密な関係を結ぶ術を知っていなければならない。さもないと、生存も繁殖もできないからだ。

必要な技能を学ばせるために、進化は遊びたいという強い欲求を、他のあらゆる社会的哺乳動物の子供と同様に子牛たちにも植え付けた(遊びは、哺乳動物が社会的行動を学ぶ方法だ)。

そして、母親と結びつきたいという、なおさら強い欲望も植え付けた。母親の乳と世話がなければ生き残れないからだ。」

 

「その後も研究を続けると、ハーロウのサルの孤児たちは、必要な栄養はすべて与えられていたにもかかわらず、成長後に情緒生涯の症状を見せた。彼らはサルの社会に溶け込めず、他のサルたちと意思を疎通させるのが難しく、不安と攻撃性のレベルが高かった。」


「今日、合計すると何百億もの家畜が機械化された製造ラインの一部と化して暮らしており、毎年そのうち約500億が殺される。このような工業化された畜産法は、農業生産と人間の食糧備蓄の急激な増加につながった。」


「さらに、電球や携帯電話、カメラ、食器洗い機など、かつては想像すらできなかった、気が遠くなるほど多様な品物を生み出している。人類史上初めて、供給が需要を追い越し始めた。そして、全く新しい問題が生じた。いったい誰がこれほど多くのものを買うのか?」

 

「<ショッピングの時代>  現代の資本主義経済は、泳いでいなければ窒息してしまうサメのように、存続するためにはたえず生産を増大させなければならない。」


「人々は歴史の大半を通して、このような文句には惹かれるよりも反発する可能性のほうが高かった。彼らはきっと、こんなものは手前勝手で、退廃的で、道徳的に堕落していると決めつけただろう。(略)


私たちは、本当は必要なく、前日まであることすら知らなかった無数の製品を買う。」


アメリカ人は毎年、世界の他の地域の飢えた人全員を養うのに必要とされる以上の金額をダイエット食品に費やす。」

 

「中世のヨーロッパでは、貴族階級の人々は派手に散財して贅沢をしたのに対して、農民たちはわずかのお金も無駄にせず、質素に暮らした。今日、状況は逆転した。


豊かな人々は、細心の注意を払って資産や投資を管理しているのに対して、裕福ではない人々は本当は必要のない自動車やテレビを買って借金に陥る。」


「倫理の歴史は、誰も達成できない素晴らしい理想の悲しい物語だ。(略)それとは対照的に、今日ではほとんどの人が資本主義・消費主義の理想を首尾よく体現している。

この新しい価値体系も楽園を約束するが、その条件は、富める者が強欲であり続け、さらにお金を儲けるために時間を使い、一般大衆が自らの渇望と感情にしたい放題にさせ、ますます多くを買うことだ。

これは、信奉者が求められたことを実際にやっている、史上初の宗教だ。」

 

 

 

 

 

 

サピエンス全史 下 第十六章 拡大するパイという資本主義のマジック 

「だが経済の近「代史を知るためには、本当はたった一語を理解すれば済む。その一語とはすなわち、「成長」だ。」

 

「歴史の大半を通じて、経済の規模はほぼ同じままだった。(略)西暦1500年の世界全体の財とサービスの総生産量は、およそ2500億ドル相当だった。

それが今では60兆ドルあたりで推移している。さらに重要なのは、1500年には一人当たりの年間生産量が550ドルだったのに対して、今日では老若男女をすべて含めて平均8800ドルにのぼる点だ。どうしてこのように途方もない成長が起こりえたのだろうか?」


「わかりやすく説明するために、単純な例で考えてみよう。

カリフォルニア州エルドラドで、抜け目のない金融業者サミュエル・グリディー氏が銀行を設立したとする。

同じくエルドラドに住む、新進建設業者のA/A/ストーン氏は初の大仕事を終え、報酬として大枚100万ドルを現金で受け取った。そこでストーン氏はグリディー氏の銀行にこのお金を預ける。これで銀行には100万ドルの資金が出来たことになる。

ちょうどそのころ、エルドラドで長年にわたって料理人を続けてきたジェイン・マクドーナッツ夫人が、ビジネスチャンスありと感じていた。(略)
そこで彼女はグリディー氏に自分の事業計画を説明し、これが価値ある投資だと納得させる。


グリディー氏は彼女に100万ドルの融資を決め、グリディー氏の銀行にある彼女の口座に100万ドルが入金される。

さっそくマクドーナッツ夫人はベーカリーの建築と内装工事のために、建設業者のストーン氏と契約する。費用は100万ドルだ。

マクドーナッツ夫人がグリディー氏の銀行の小切手で代金を支払うと、ストーン氏はそれをグリディー氏の銀行にある自分の口座に入金する。
さて、ストーン氏の銀合口座にはいくら預金されているだろうか?
そう、200万ドルだ。

では、銀行の金庫に実際に入っている現金はいくらか?もちろん、100万ドルだ。
(略)

では今、ストーン氏の口座には、いくら入っていることになるだろうか?300万ドルだ。だが、銀行の金庫に実際に収まっている現金はいくらか?依然として100万ドルだけだ。

最初に預けた100万ドルがそのまま残っているにすぎない。
現在のアメリカの銀行法では、この行為をあと7回繰り返すことができる。すなわち、建設業者は、口座の残高を最終的に1000万ドルまで増やすことが可能なのだ_実際のところ、銀行の金庫には相変わらず100万ドルしか入っていなくても。」


「現実には、これは詐欺というより、人間の驚くべき想像力の賜物だ。銀行が_そして経済全体が_生き残り、繁栄できるのは、私たちが将来を信頼しているからに他ならない。この信頼こそが、世界に流通する貨幣の大部分を一手に支えているのだ。」


「このように、この仕組み全体が想像上の将来に対する信頼_起業家と銀行家が夢に描くベーカリーに対して抱く信頼と、建設業者が銀行の将来の支払い能力に対して抱く信頼_の上に成り立っている。」


「もう一度、ベーカリーの話に戻ろう。もし貨幣が有形のものの代わりにしかならないとしたら、マクドーナッツ夫人は店舗を建設できるだろうか?とても無理だ。今のところ、彼女が持っているのは大きな夢だけで、有形の資産は何もない。(略)店がなければマクドーナッツ夫人はケーキを焼けない。ケーキを焼けなければ、お金を稼げない。お金を稼げなければ、建設業者を雇えない。建設業者を雇えなければ、ベーカリーを開くことはできない。

人類は何千年もの間、この袋小路にはまっていた。」


〇ここを読んで、日本も、この袋小路にはまっているのでは?と思いました。
もちろんそんな単純なものではないと思いますが。

人を信頼できる社会であることが、大前提の仕組みです。
「真理は強制する」ということが現実になっている社会では、「白」を見た時、それを「黒」という人はいません。

でも、そうじゃない社会では、人が信頼出来ません。
そして、企業や組織で、「父と子」がかばい合い平気で嘘をつく社会。
嘘で世間を欺くのが良いこと、とされている社会でも、人を信頼することなどできません。

このグリーディ氏とストーン氏とマクドーナッツ夫人の世界は、私たちの社会では無理だと思います。

 

 

「この制度では、人々は想像上の財、つまり現在はまだ存在していない財を特別な種類のお金に換えることに同意し、それを「信用(クレジット)」と呼ぶようになった。この信用に基づく経済活動によって、私たちは将来のお金で現在を築くことができるようになった。

信用という考え方は、私たちの将来の資力が現在の資力とは比べ物にならないほど豊かになるという想定の上に成り立っている。」


「信用がそれほど優れたものなら、どうして昔は誰も思いつかなかったのだろうか?もちろん昔の人々も思いつきはした。(略)なぜなら彼らには、将来が現在よりも良くなるとはとうてい信じられなかったからだ。概して昔の人々は自分たちの時代よりも過去の方が良かったと思い、将来は今よりも悪くなるか、せいぜい今と同程度だろうと考えていた。」


「信用が限られていたので、新規事業のための資金を調達するのが難しかった。新規事業がほとんどなかったので、経済は成長しなかった。経済が成長しなかったので、人々は経済とは成長しないものだと思い込み、資本を持っている人々は相手の将来を信頼して信用供与をするのをためらった。こうして、経済は沈滞するという思い込みは現実のものとなった。」


「<拡大するパイ> そこに科学革命がおこり、進歩という考え方が登場した。進歩という考え方は、もし私たちが己の無知を認めて研究に投資すれば、物事が改善しうるという見解の上に成り立っている。 この考え方は間もなく経済にも取り入れられた。」


「1776年、スコットランド生まれの経済学者アダム・スミスが「国富論」(大河内一男監訳、玉野井芳郎・田添京二・大河内暁男訳、中央公論新社、2010年他)を出版した。国富論は、おそらく歴史上最も重要な経済学の声明書と呼んでもいいだろう。第一編第8章でスミスは次のような、当時としては斬新な議論を展開している。


すなわち、地主にせよ、あるいは職工、靴職人にせよ、家族を養うために必要な分を越える利益を得た者は、そのお金を使って前より多くの下働きを使用人や職人を雇い、利益をさらに増やそうとする。

利益が増えるほど、雇える人数も増える。したがって、個人起業家の利益が増すことが、全体の富の増加と繁栄の基本であるということになる。」


〇「国富論」という書名は知っていましたが、そのような考え方は、今回、初めて知りました。いわゆる「資本主義的考え方」については、私のように無知な人もたくさんいるのでは?と思います。


「実際のところスミスはこう述べているのに等しい_強欲は善であり、個人がより裕福になることは当の本人だけでなく、他の全員のためになる。利己主義はすなわち利他主義である、というわけだ。」


「そのためスミスは念仏でも唱えるように、「利益が拡大したら、地主や織屋はさらに働き手を雇う」という原則を繰り返し述べた。

「利益が拡大したらスクルージは金庫にお金を貯めこみ、取り出すのはいくら貯まったのかをを勘定する時だけ」ではいけないのだ。近代資本主義経済で決定的に重要な役割を担ったのは新しく登場した倫理観で、それに従うなら、利益は生産に再投資されるべきなのだ。」


「資本主義は「資本」をたんなる「富」と区別する。」


〇この新しい倫理観は全く知りませんでした。
でも、ここでもやはり、信頼感が問題になります。将来年金がどうなるかわからないのに…と。

 

「<拡大するパイ> 資本主義の第一の原則は、経済成長は至高の善である、あるいは、少なくとも至高の善に代わるものであるということだ。なぜなら、正義や自由やさらには幸福まで、すべてが経済成長に左右されるからだ。

資本主義に尋ねてみるといい。ジンバブエアフガニスタンのような所に、どうすれば正義と政治的な自由をもたらせるのか、と。


おそらく、安定した民主主義の制度には経済的な豊かさと中産階級の繁栄が重要であり、そのためにはアフガニスタンの部族民に、自由企業性と倹約と自立がいかに重要かを叩き込む必要があるということを、こんこんと説かれるだろう。」

 

「この新しい宗教は、近代科学の発展にも決定的な影響を与えてきた。(略)
逆に、科学を考慮に入れずに資本主義の歴史を理解することもできない。経済成長は永遠に続くという資本主義の信念は、この宇宙に関して私たちが持つほぼすべての知識と矛盾する。獲物となるヒツジの供給が無限に増え続けると信じているオオカミの群れがあったとしたら、愚かとしか言いようがない。」

 

「ここ数年、各国の政府と中央銀行は狂ったように紙幣を濫発してきた。現在の経済危機が経済成長を止めてしまうのではないかと、誰もが戦線恐々としている。

だから政府と中央銀行は何兆ものドル、ユーロ、円を何もないところから生み出し、薄っぺらな信用を金融システムに注ぎ込みながら、バブルがはじける前に、科学者や技術者やエンジニアが何かとんでもなく大きな成果を生み出してのけることを願っている。」

 

「<コロンブス、投資家を探す>  18世紀後期までは世界経済で最も大きな影響力を持っていたのはアジアであり、中国人やイスラム教徒やインド人に比べると、ヨーロッパ人が自由にできる資金は格段に少なかったことも思い出してほしい。」

「近代前期の非ヨーロッパの帝国のほとんどは、ヌルハチやナーディル・シャーのような偉大な征服者によって建国されたか、あるいは清帝国オスマン帝国のようにエリート官僚やエリート軍人によって建国された。

彼らは税金や略奪(この二つを明確に区別しなかった)によって戦争のための資金調達をしたので、信用制度に負うところなどほとんどなく、ましてや銀行家や投資家の利益などまるで気にもかけなかった。」


〇 日本もこちらだと思う。


「ヨーロッパ人の世界征服のための資金調達はしだいに税金よりも信用を通じてなされるようになり、それにつれて資本家が主導権を握るようになっていった。」


「イタリア、フランス、イングランド、そして再度ポルトガルを訪ねては、投資をしてくれそうな人に自分の考えを売り込んだ。だが、そのたびに拒否された。


そこで、統一されたばかりのスペインを収めるフェルナンドとイサベルに賭けてみることにした。コロンブスは経験豊かなロビイストを数人雇い、彼らの助けで、どうにかイサベル女王を説得して投資を承諾させた。

小学生でも知っているように、イサベルの投資は大当たりした。」


「100年後、君主や銀行家たちは、コロンブスの後継者たちに対してはるかに多くの信用供与を行うことをいとわなかったし、アメリカ大陸から得た財宝のおかげで、彼らの手元には自由にできる資金が前よりも多くあった。

同じく重要だったのは、君主や銀行家たちが探検の将来性にはるかに大きな信頼を寄せるようになり、進んでお金を手放す傾向が強まったことだ。」


「1717年、フランスが勅許を与えたミシシッピ会社は、ミシシッピ川下流域の植民地化に着手し、その過程でニューオーリンズという都市を建設した。その野心的な計画に資金を供給するために、ルイ15世の宮廷に強力なつてのあったこの会社は、パリの証券取引所に上場した。(略)


ミシシッピ会社は途方もない富と無限の機会が待っているかのような噂を広めた。フランスの貴族、実業家、都市に暮らす愚鈍な中産階級の人々がこの夢物語に引っかかり、ミシシッピ会社株は天井知らずに跳ね上がった。(略)


数日後、恐慌が始まった。投機家の中に、株価が実態をまったくは寧しておらず、維持不可能だと気づいたものが出たのだ。(略)


小口の投資家たちはすべてを失い、自殺した人も多かった。(略)


1780年代には、祖父の死によって王位についていたルイ16世は、王室の年間予算の半分が借金の利息の支払いに充てられ、自分が破産に向かって進んでいることを知った。


1789年、ルイ16世は不本意ながら、フランスの議会にあたる三部会を一世紀半ぶりに招集し、この危機の解決策を見つけようとした。これを機にフランス革命が始まった。」

 

 

 

 

 

「<資本の名の下に>  投資家の利益のためにおこなわれた戦争は、決してこれだけにとどまらない。それどころか、戦争自体がアヘンのように商品になりえた。(略)

だがロンドンの投資家たちは、この戦いは商機になると読んでいた。彼らは、ギリシアの反乱軍の指導者たちに、ギリシア独立債をロンドン証券取引所で発行してはどうかと持ち掛けた。」


ギリシア独立債の価値は、ギリシアの戦況に応じて上下した。(略)彼らの利益は国家の利益でもあるため、イギリスは多国籍艦隊を組織し、1827年にナヴァリノの海戦でオスマン帝国の主力の小艦隊を撃滅した。数世紀にわたる支配から、ギリシアはついに自由になった。(略)

ナヴァリノの海戦後、イギリスの資本家はリスクの高い海外の取引に以前よりも進んで投資した。もし海外の債務者が借金の返済を拒んだら、女王陛下の軍隊が、彼らの資金を取り戻してくれることが分かったからだ。


だからこそ、今日の国家の信用格付けは、その国が所有する天然資源よりも、その国の財政の健全性にとってはるかに重要なのだ。」

 

 

「<自由市場というカルト>  たとえば、政府が企業経営者に重税を課し、その税収を失業手当として大盤振る舞いするとしよう。この政策は有権者に人気が高い。

ところが、多くの実業家に言わせれば、政府はそのお金を彼らに持たせておいた方がはるかにいいということになる。自分たちならそのお金を使って工場を新設し、失業者を雇用するから、と彼らは言う。(略)


この考えに従えば、最も賢明な経済政策は、政治を経済に関与させず、加増と政府の規制を最低限にして、市場を自由にさせて、好きな方向に進ませればいいことになる。(略)


いちばん熱心な自由市場主義支持者は、国内の社会福祉制度を批判するのに劣らぬ熱意を持って国外での軍事作戦を批判する。禅の師が入門者に与えるのとまったく同じ助言を彼らも政府に与える。_「何もするな」と。」

 

「<資本主義の地獄>  市場に完全な自由を与えるのが危険だというのには、さらに根本的な理由がある。(略)


これは理論上は完全無欠に聞こえるが、実際にはすぐにぼろが出る。君主や聖職者が目を光らせていない完全な自由市場では、強欲な資本主義者は、市場を独占したり、労働力に対抗して結託したりできる。

ある企業一社が国内の製靴工場全部を支配下に置いていたり、工場主全員が一斉に賃金を減らそうと共謀したりすれば、労働者はもう、職場を変わることで自分の身を守れなくなる。」


〇ここで、「聖職者」という言葉が印象的です。聖職者はそういう役割も果たしていたのか…と。


「自由市場資本主義は完全無欠には程遠く、大西洋奴隷貿易はその歴史における唯一の汚点ではないことは、しっかり心に刻んでおきたい。(略)イギリス東インド会社には、1000万のベンガル人の命よりも利益の方が大事だった。

オランダ東インド会社インドネシアにおける軍事行動は、高潔なオランダ市民が資金を提供していた。

彼らは自分の子供を愛し、慈善団体に寄付し、上質の音楽と美術を愛でる人々だったが、ジャワ島やスマトラ島、マラッカの住民の苦しみは一顧だにしなかった。


世界の他の地域でも、近代経済の成長に伴う犯罪や不正行為は後を絶たなかった。」

 

「十九世紀になっても資本主義の倫理観は改善しなかった。ヨーロッパを席巻した産業革命は銀行家と資本所有者の懐を潤したが、無数の労働者を絶対的な貧困に追いやった。ヨーロッパ各国の植民地では自体はそれに輪をかけて悲惨だった。」

 

「ゴムを収穫するアフリカの村人のノルマは増えるばかりだった。ノルマに達しなかった者は、「怠け者」として残酷な罰を受けた。彼らは腕を切り落とされ、村人全員が虐殺されることもあった。

かなり控えめに見積もっても、1885年から1908年までに、成長と利益の追求と引き換えに600万人(今後の人口の少なくとも2割に当たる)の命が失われたとされている。死者の数は1000万人にも及ぶとする推定もいくつかある。」


〇現実に人間がやったことは、これからもやる可能性がある、ということだと思う。
その事実をしっかり受け止め(「自虐史観だと言って、なかったことにするのではなく)

忘れずにいて、それに歯止めをかける、もしくはその問題を解決する能力が自分たちにある、と考えられる時、自分たちの社会に誇りを取り戻せると思う。


「1908年以降、とりわけ1945年以降は、資本主義者の強欲ぶりには多少歯止めがかかった。それは共産主義への恐怖によるところが大きかった。

だが不平等は依然としてはびこっている。2014年の経済のパイは、1500年のものよりはるかに大きいが、その分配はあまりに不公平で、アフリカの農民やインドネシアの労働者が一日身を粉にして働いても、手にする食料は500年前の祖先よりも少ない。

農業革命とまったく同じように、近代経済の成長も大掛かりな詐欺だった、ということになりかねない。」

「紀元前8500年に農業革命で苦い涙を流した者もいただろうが、農業をやめるにはすでに手遅れだった。それと同じで、資本主義が気に入らなくても、私たちは資本主義なしでは生きていけない。」


「確かに明るい兆しはいくつか見えている。少なくとも、平均寿命、小児死亡率、カロリー摂取量といった純粋に物質的・身体的な物差しで測れば、2014年の平均的な人間の生活水準は、人口が飛躍的に増えたにもかかわらず、1914年よりも格段に改善した。」

 

 

 

 

 

 

サピエンス全史 下

ユヴァル・ノア・ハラリ著 「サピエンス全史 下」を読んでいます。

副題が「文明の構造と人類の幸福」。

上・下巻、同時に予約したのですが、予約者がメチャメチャ多くて、忘れたころに
借りられることになり、しかも下巻が先になってしまいました。

 

〇 順不同になってしまいましたので、ここで、この本の「見出し」だけをメモしておきたいと思います。上巻はまだ読んでいませんが、上巻からメモしておきます。


「上巻」

第一部  認知革命
  第一章 唯一生き延びた人類種
  第二章 虚構が協力を可能にした
  第三章 狩猟採集民の豊かな暮らし
  第四章 史上最も危険な種

第二部  農業革命
  第五章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
  第六章 神話による社会の拡大
  第七章 書記体系の発明
  第八章 想像上のヒエラルキーと差別

第三部  人類の統一
  第九章 統一へ向かう世界
  第十章 最強の征服者、貨幣
  第十一章 グローバル化を進める帝国のビジョン


「下巻」

  第十二章 宗教という超人間的秩序
        神々の台頭と人類の地位/偶像崇拝の恩恵/神は一つ/

        善と悪の戦い/自然の法則/人間の崇拝

  第十三章 歴史の必然と謎めいた選択
        1 後知恵の誤謬/2 盲目のクレイオ

第四部  科学革命 
  第十四章 無知の発見と近代科学の成立
        無知な人/科学界の協議/知は力/進歩の理想/

        ギルガメシュ・プロジェクト/科学を気前よく援助する人々

  第十五章 科学と帝国の融合
        なぜヨーロッパなのか?/征服の精神構造/空白のある地図/

        宇宙からの侵略/帝国が支援した近代科学

  第十六章 拡大するパイという資本主義のマジック
        拡大するパイ/コロンブス、投資家を探す/資本の名の下に/

        自由市場というカルト/資本主義の地獄

  第十七章 産業の推進力
        熱を運動に転換する/エネルギーの大洋/

        ベルトコンベヤー上の命
        /ショッピングの時代 

  第十八章 国家と市場経済がもたらした世界平和
        近代の時間/家族とコミュニティの崩壊/

        想像上のコミュニティ/
        変化し続ける近代社会/現代の平和/帝国の撤退/

        原子の平和(パクス・アトミカ

  第十九章 文明は人間を幸福にしたのか
        幸福度を測る/化学から見た幸福/人生の意義/汝自身を知れ


  第二十章 超ホモ・サピエンスの時代へ
        マウスとヒトの合成/ネアンデルタール人の復活/

        バイオニック生命体/別の生命/特異点(シンギユラリティ)/

        フランケンシュタインの予言

  あとがき_神になった動物

 

〇読み始めた時には、いわゆる「鳥瞰的」「というのでしょうか、あらゆることを偏りのない目で客観的に見ていることには、好感が持てたのですが、それで一体どこへ連れていかれるのか、若干、不安な気持ちにもなりました。

というのも、何度も言っているように、ただ客観的です、事実を述べました、という人は、どうも好きじゃないのです。客観的も事実も、必要条件ではあるけれど、そのうえで、自分はどうでありたいのか、というのを伝えてくれる人が好きです。

昔、読んだ「赤毛のアン」の中に、「同類の魂」という言葉が出てきましたが、
その人が同類の魂の人かどうかを、考えてしまうのです。

でも、ここまで来て、多分、この人は「同類の魂」の人ではないかと感じ始めました。嬉しいです。

内容は難しい内容を扱っているのに、あのアーレントの文章よりも分かりやすい、というのも嬉しいです。

 

先ずは読んでみます。

「今日、宗教は差別や意見の相違、不統一の根源と見なされることが多い。だが実は、貨幣や帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する三つの要素の一つだったのだ。」

〇 上巻から読んでいないので、「人類を統一する三つの要素」についての説明は、すでに以前になされていたのかもしれません。

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※「人類を統一する三つの要素」については上巻にありました。(213p)
                        (2018.5.14 記入)

「紀元前1000年紀に普遍的な秩序となる可能性を持ったものが三つ登場し、その信奉者たちは初めて、一組の法則に支配された単一の集団として全世界と全人類を想像することが出来た。


誰もが「私たち」になった。いや、少なくともそうなる可能性があった。「彼ら」はもはや存在しなかった。真っ先に登場した普遍的秩序は経済的なもので、貨幣という秩序だった。


第二の普遍的秩序は政治的なもので、帝国という秩序だった。第三の普遍的秩序は宗教的で、仏教やキリスト教イスラム教といった普遍的宗教の秩序だった。」


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この著者はとても若く、1976年生まれで、ほとんど息子と同じくらいの歳です。
ハンナ・アーレント山本七平も私よりも前の世代の人で、「教えてもらう」安心感がありました。

でも、このハラリ氏の発想は、ちょっと脳がひっ掻きまわされるような、「経験したことがないようなものの見方」で、新鮮な驚きがあります。

「したがって宗教は、超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度と定義できる。これには、二つの異なる基準がある。

1 宗教は、超人間的な秩序の存在を主張する。その秩序は人間の気まぐれや合意の   
  産物ではない。プロ・サッカーは宗教ではない。なぜなら、このスポーツには多      
  くの決まり事や習慣、奇妙な儀式の数々があるものの、サッカー自体は人間自身
  が発明したものであることは誰もが承知しており、国際サッカー連盟はいつでも
  ゴールを大きくしたり、オフサイドのルールをなくしたりできるからだ。

2 宗教は、超人間的秩序に基づいて規範や価値観を確立し、それには拘束力がある
  と見なす。今日、西洋人の多くが死者の霊や妖精の存在、生まれ変わりを信じて
  いるが、これらの信念は道徳や行動の基準の源ではない。
  したがって、これらは宗教ではない。」


「本質的に異なる人間集団が暮らす広大な領域を傘下に統一するためには、宗教はさらに二つの特性を備えていなくてはならない。


第一に、いつもでどこでも正しい普遍的な超人間的秩序を信奉している必要がある。

第二に、この信念をすべての人に広めることをあくまで求めなければならない。

言いかえれば、宗教は普遍的であると同時に、宣教を行うことも求められるのだ。」


「ところが、古代の宗教の大半は、局地的で排他的だった。(略)
普遍的で、宣教を行う宗教が現れ始めたのは、紀元前1000年紀だ。」


「狩猟採集民は野生の植物を摘んだが、それらの動植物はホモ・サピエンスと対等の地位にあると見なすことが出来た。人間は、ヒツジを狩るからといって、ヒツジが人間に劣ることにはならなかった。トラが人間を狩るからといって、人間がトラに劣ることにならないのと、まったく同じだ。」


アニミズムの信奉者たちは、人間は世界に暮らしている多くの生き物の一つにすぎないと考えていた。」


「2000年にわたって一神教による洗脳が続いたために、西洋人のほとんどが多神教のことを無知で子供じみた偶像崇拝と見なすようになった。だが、これは不当な固定観念だ。」

 

 

「ローマ人が許容するのを長い間拒んだ唯一の神は、一神教で福音を説くキリスト教徒の神だった。」


「キリストが十字架に架けられてから皇帝コンスタンティヌスキリスト教に改宗するまでの300年間に、多神教徒のローマ皇帝キリスト教徒の全般的な迫害を行ったのはわずか四回だった。(略)


これとは対照的に、その後の1500年間に、キリスト教徒は愛と思いやりを説くこの宗教のわずかに異なる解釈を守るために、同じキリスト教を何百万人も殺害した。」


「16世紀と17世紀にヨーロッパ中で猛威を振るったカトリック教徒とプロテスタント(新教徒)との宗教戦争は、とりわけ悪名高い。(略)
こうした神学上の言い争いは凄まじい暴力に発展し、16世紀には、カトリック教徒とプロテスタントが殺し合い、何十万という死者を出した。」

多神教はあちこちで他の一神教を生み続けたが、どれも瑣末なものにとどまった。(略)大躍進はキリスト教とともに起こった。」


キリスト教の成功は、7世紀にアラビア半島に出現した別の一神教、すなわちイスラム教のお手本となった。」

「今日、東アジア以外の人々は、何かしらの一神教を信奉しており、グローバルな政治秩序は、一神教の土台の上に築かれている。」

「神ユピテルがローマを守護し、ウィツィロポチトリアステカ帝国を守ったのと丁度同じように、キリスト教の王国はどれも、困難を克服したり戦争に勝ったりするのを助けてくれる独自の守護聖人を持っていた。」

「頭痛のときには聖アガティウスに祈らなけばならないが、歯痛のときには、聖アポロニアに祈った方がずっと効き目があった。」


キリスト教の聖人がそんな信仰の対象になっているというのは、知りませんでした。日本でも、勉強の神様とか安産の神様とか縁結びの神様とかありますけど、
似てると思います。


「(略)論理的には、それは不可能だ。人は単一の全能の絶対神を信じるか、ともに全能ではない二つの相反する力を信じるかのどちらかのはずだ。それでも、人類には矛盾しているものを信じる素晴らしい才能がある。

だから、膨大な数の敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒が、全能の絶対神と、それとは独立した悪魔の存在を同時に信じていたとしても、驚いてはならない。」


「平均的なキリスト教徒は、一神教絶対神を信じているが、二元論的な悪魔や、多神論的な聖人たち、アニミズム的な死者の霊も信じている。このように異なるばかりか矛盾さえする考え方を同時に公然と是認し、さまざまな起源の儀式や慣行を組み合わせることを、宗教学者たちは混合主義と呼んでいる。実は、混合主義こそが、唯一の偉大な世界的宗教なのかもしれない。」

 

〇 メモをしながら読むと結構時間がかかるので、メモなしで、
どんどん読んでいます。面白いです!

今、見出し「科学を気前よく援助する人々」というところを読み始めたのですが、
ちょっと感動しています。

というのも、このハラリ氏、まさにあの「アーレントの問題意識」と同じような問題意識を持っているようです。

つまり、アーレントが言っていた…

[しかし次のことを打ち消すことはまったくできない。すなわち近代科学の偉大な発見者_アインシュタインプランク、ボーア、ハイゼンベルクシュレディンガー_の考察が、「近代科学の基礎にかかわる危機」をもたらし、「そして彼らの中心的問(人間が世界を認識することができるためには世界はどのようでなければならないか?)は科学そのものと同様に古く、今も未回答のままである」ということを。」

と同じようなことを言ってるのです。以下にメモします。

「私たちは技術の時代に生きている。私たちのあらゆる問題の答えは科学とテクノロジーが握っていると確信している人も多い。科学者と技術者に任せておきさえすれば、彼らがこの地上に天国を生み出してくれるというのだ。

だが、科学は他の人間の活動を超えた優れた倫理的あるいは精神的次元で行われる営みではない。

私たちの文化の他のあらゆる部分と同様、科学も経済的、政治的、宗教的関心によって形作られている。

科学には非常にお金がかかる。人間の免疫系を理解しようとしている生物学者は、研究室、試験管、薬品、電子顕微鏡はもとより、研究室の助手や電気技術者、配管工、清掃係まで必要とする。


金融市場をモデル化しようとしている経済学者は、コンピューターを買い、巨大なデータベースを構築し、複雑なデータ処理プログラムを開発しなければならない。太古の狩猟採集民の行動を理解したい考古学者は、遠い土地へ出かけ、古代の遺跡を発掘し、化石化した骨や人工遺物の年代を推定しなくてはいけない。そのどれにもお金がかかる。

過去500年間、近代科学は政府や企業、財団、個人献金者が科学研究に莫大な金額を注ぎ込んでくれたおかげで、驚異的な生かを挙げてきた。その莫大なお金の方が、天体の配置を描き出し、地球の地図を作り、動物界の目録を作る上で、ガリレオ・ガリレイクリストファー・コロンブスチャールズ・ダーウィンよりも大きな貢献をした。

もしこれらの天才が生まれていなかったとしても、きっと誰か別の人が同じ偉業を達成していただろう。だが、適切な資金提供がなければ、どれだけ優れた知性を持っている人でも、それを埋め合わせることは出来なかったはずだ。(略)

何故莫大なお金が政府や企業の金庫から研究室や大学へと流れ始めたのか?学究の世界には、純粋科学を信奉する世間知らずの人が多くいる。彼らは、自分の想像力を掻き立てる研究プロジェクトなら何にでも政府や企業が利他主義に則ってお金を与えてくれると信じている。だが、これは科学への資金提供の実体からかけ離れている。


ほとんどの科学研究は、それがなんらかの政治的、あるいは宗教的目的を達成するのに役立つと誰かが考えているからこそ、資金を提供してもらえる。

たとえば16世紀には、王や銀行家は世界の地理的探検を支援するために、膨大な資源を投じたが、児童心理学の研究にはまったくお金を出さなかった。それは、王や銀行家が、新たな地理的知識の発見が、新たな土地を征服して貿易帝国を打ち立てるのを可能にすると思ったからであり、児童心理の理解には何の利益も見込めなかったからだ。」

〇まだまだ続きます。全部書き写したくなります。

 

 

 

「科学者自身はお金の流れを支配している政治的、経済的、宗教的関心をいつも自覚しているわけではないし、実際、多くの科学者が純粋な知的好奇心から行動している。とはいえ、科学者が科学研究の優先順位を決めることはめったにない。


たとえ私たちが、政治的、経済的、あるいは宗教的関心の影響を受けない純粋科学に資金提供することを望んでもおそらく、実行は不可能だろう。(略)限られた資源を投入するときには、「何がもっと重要か?」とか「何が良いか?」といった疑問に答えなくてはならない。

そして、それらは科学的な疑問ではない。科学はこの世に何があるかや、物事がどのような仕組みになっているかや、未来に何kが起こるかもしれないかを説明できる。

だが当然ながら、科学には、未来に何が起こるべきかを知る資格はない。
宗教とイデオロギーだけが、そのような疑問に答えようとする。」


「提供できるお金が限られており、両方の研究プロジェクトに資金を出すことが出来ないとしたら、どちらにお金を回すべきか?

この質問に対する科学的な答えはない。政治的、経済的、宗教的な答えがあるだけだ。」


「科学は自らの優先順位を設定できない。また、自らが発見した物事をどうするかも決められない。(略)自由主義の政府や共産主義の政府、ナチスの政府、資本主義の企業は、全く同じ科学的発見を全く異なる目的に使うであろうことは明らかで、そのうちのどれを選ぶべきかについては、科学的な根拠はない。

つまり、科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることが出来る。イデオロギーは研究の費用を正当化する。それと引き換えに、イデオロギーは科学研究の優先順位に影響を及ぼし、発見された物事をどうするか決める。」


「特に注意を向けるべき力が二つある。帝国主義と資本主義だ。科学と帝国と資本の間のフィードバック・ループは、過去500年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだったと言ってよかろう。今後の章では、その働きを分析していく。

まず、科学と帝国という二つのタービンがどのようにしてしっかり結びついたかに注目し、続いて、両者が資本主義の資金ポンプにどのようにつながれたかを見てみることにする。」


〇「科学を気前よく…」を読んで、一気に興味が掻き立てられたので、今までのところを飛ばして、一気にこの部分のメモをしてしまいました。

もし、時間があれば、また前に戻ってメモをすることにし、今は、このまま前に進みたいと思います。

 

「第十五章 科学と帝国の融合   <なぜヨーロッパなのか>

クックの遠征の少し前まで、イギリス諸島とヨーロッパ西部は概して、地中海世界から遠く離れ、取り残された場所にすぎなかった。(略)

ヨーロッパがようやく軍事的、政治的、経済的、文化的発展の重要地域になったのは、15世紀末のことだった。(略)


1775年にアジアは世界経済の八割を担っていた。インドと中国の経済を合わせただけでも全世界の生産量の三分の二を占めていた。それに比べると、ヨーロッパ経済は赤子のようなものだった。


ようやく世界の権力の中心がヨーロッパに移ったのは、1750年から1850年にかけてで、ヨーロッパ人が相次ぐ戦争でアジアの列強を倒し、その領土の多くを征服したときだった。」

 

ユーラシア大陸の寒冷な末端に暮らすヨーロッパの人々は、どのようにして世界の中心からほど遠いこの片隅から透けだし、全世界を征服しえたのだろう?」

 

「1770年には、ジェイムズ・クックは、たしかにオーストラリアのアボリジニよりもはるかに進んだテクノロジーを持っていたとはいえ、それは中国やオスマン帝国の人々にしても同じだった。

それではなぜオーストラリアを探検して植民地化したのは、萬正色船長やフセイン・パシャ船長ではなく、ジェイムズ・クック船長だったのか?

さらに重要なのだが、もし1770年にヨーロッパ人が、イスラム教徒やインド人や中国人よりもテクノロジーの面で大きく優位に立っていたわけではなかったのだとしたら、ヨーロッパの国々はその後の100年間で、どうやってその他の国々にそれほどの差をつけたのだろう?


軍事・産業・科学複合体が、インドではなくヨーロッパで発展したのはなぜか?イギリスが飛躍した時、なぜフランスやドイツやアメリカはすぐにそれに続いたのに、中国は後れを取ったのか?」

 

「中国人やペルシア人は、蒸気機関のようなテクノロジー上の発明(自由に模倣したり買ったりできるもの)を欠いていたわけではない。


彼らに足りなかったのは、西洋で何世紀もかけて形成され成熟した価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造で、それらはすぐには模倣したり取り組んだりできなかった。」


〇ここに至って、あのハンナ・アーレントの「精神の生活 思考・意志」の「意味」が結実しているように見えます。


「日本が例外的に19世紀末にはすでに西洋に首尾良く追いついていたのは、日本の軍事力や、特有のテクノロジーの才のおかげではない。むしろそれは、明治時代に日本人が並外れた努力を重ね、西洋の機械や装置を採用するだけにとどまらず、社会と政治の多くの面を西洋を手本として作り直した事実を反映しているのだ。」


「二人の建築者を想像してほしい。(略)一人は木と泥レンガを使い、もう一人は鋼鉄とコンクリートを使っている。最初は両方の工法にあまり違いはないように見える。(略)ところが、ある高さを超えると、木と泥の塔は自らの重さに耐えられず崩壊する一方で、鋼鉄とコンクリートの塔ははるかに仰ぎ見る高さまで階を重ねていく。

ヨーロッパは、近代前期の貯金があったからこそ近代後期に世界を支配することが出来たのだが、その近代前期にいったいどのような潜在能力を伸ばしたのだろうか?

この問いには、互いに補完し合う二つの答えがある。近代科学と近代資本主義だ。
ヨーロッパ人は、テクノロジー上の著しい優位性を享受する以前でさえ、科学的な方法や資本主義的な方法で考えたり行動したりしていた。

そのため、テクノロジーが大きく飛躍し始めた時、ヨーロッパ人は誰よりもうまくそれを活用することが出来た。」


〇科学的な方法で考えたり行動したりしていた…。黒を白と言ったりしない。
つまり、考え方が「鉄筋とコンクリート」だった。
大事なのは、考え方だと言っている。

 

「近代科学とヨーロッパの帝国主義との歴史的絆を作り上げたのは何だろう?(略)
科学者も征服者も無知を認めるところから出発した。(略)両者とも、外に出て行って新たな発見をせずにはいられなかった。

そして、そうすることで獲得した新しい知識によって世界を制するという願望を持っていたのだ。」

 

 

 

<空白のある地図>

「十五世紀から十六世紀にかけて、ヨーロッパ人は空白の多い地図を描き始めた。ヨーロッパ人の植民地支配の意欲だけでなく、科学的な物の見方の発達を体現するものだ。

空白のある地図は、心理とイデオロギーの上での躍進であり、ヨーロッパ人が世界の多くの部分について無知であることをはっきり認めるものだった。」


コロンブスは、無知を自覚していなかったという点で、まだ中世の人間だったのだ。彼は、世界全体を知っているという確信を持っていた。」


「世界の陸地面積の四分の一強を占める、七大陸のうちの二つが、ほとんど無名のイタリア人にちなんで名づけられたというのは、粋なめぐりあわせではないか。

彼は「私たちにはわからない」という勇気があったというだけで、その栄誉を手にしたのだから。」


アメリカ大陸の発見は科学革命の基礎となる出来事だった。そのおかげでヨーロッパ人は、過去の伝統よりも現在の観察結果を重視することを学んだだけでなく、アメリカを征服したいという欲望によって猛烈な速さで新しい知識を求めざるを得なくなったからだ。」

 

「これ以降、ヨーロッパでは地理学者だけでなく、他のほぼすべての分野の学者が、後から埋めるべき余白を残した地図を描き始めた。自らの理論は完ぺきではなく、自分たちの知らない重要なことがあると認め始めたのだ。」


「ヨーロッパの帝国による遠征は世界の歴史を変えた。別個の民族と文化の歴史がただいくつも並立しているだけだったものが、一つに統合された人間社会の歴史になったのだ。」

 

「このようなヨーロッパ人による探検と征服のための遠征は私たちにとてもなじみ深いので、それがいったいどれだけ異例だったのかが見落とされがちだ。」


「多くの学者によれば、中国の明朝の武将、鄭和が率いる艦隊による公開は、ヨーロッパ人による発見の航海の先駆けであり、それを凌ぐものだったという。

鄭和は1405年から1433年にかけて7回、中国から巨大な艦隊を率いてインド洋の彼方まで行った。中でも最大の遠征隊は、3万人近くが乗り込んだ300隻弱の船で編成されていた。(略)

コロンブスの艦隊は、鄭和の艦隊がドラゴンの群れだとしたら、三匹の蚊のようなものだった。」


「それでも、両者には決定的な違いがあった。鄭和は海を探検し、中国になびく支配者を支援したが、訪れた国々を征服したり、植民地にしたりしようとはしなかった。

さらに、鄭和の遠征は中国の政治や文化に深く根差したものではなかった。1430年に北京で政権が変わった時、新しい支配者たちは突然遠征を中止した。(略)重要な技術的知識や地理的知識が失われ、鄭和ほどの威信と才覚を持った探検家が中国の港から出航することは二度となかった。」


「たいていの中国の支配者は近くの日本さえも自由にさせて。それは、特別なことではなかった。

特異なのは近代前期のヨーロッパ人が熱に浮かされ、異質な文化があふれている遠方の全く未知の土地へ航海し、その海岸へ一歩足を踏み下ろすが早いか、「これらの土地はすべて我々の王のものだ」と宣言したいという意欲に駆られたことだったのだ。」

 

「<帝国が支援した近代科学>  近代の科学と帝国は、水平線の向こうには何か重要なもの、つまり探索して支配するべきものが待ち受けているかもしれないという、居てもたってもいられない気持ちに駆り立てられていた。(略)

帝国を築く人たちの慣行と科学者の慣行とは切り離せなかったのだ。近代のヨーロッパ人にとって、帝国建設は科学的な事業であり、科学の学問領域の確立は帝国の事業だった。

イスラム教徒がインドを征服した時には、考古学者が同行して体系的にインドの歴史を調べたり、人類学者が文化を研究したり、地質学者が土壌を調べたり、動物学者が動物相を調査したりはしなかった。

一方、イギリスがインドを征服した時には、そういったことをすべて行った。」


〇アステカやインカ帝国を滅びした残虐非道なヨーロッパ人。そのことは、間違いないのですが、もしどこかの民族が他の諸民族を滅ぼし帝国を作るというのが、世界の必然だったのなら(そんなことはなく、たまたまそうだった、ということでしょうけど)ヨーロッパ人で良かったのかも…と思うのは私が今の人間だからなんでしょうか。

世界中が、科学の恩恵に浴することが出来るようになったのは、結果として、ここでヨーロッパが世界を征服したからだ、ということになるのでしょう。

この後、インドの稀少なクモやチョウの研究、遺跡の発掘、楔形文字の解読、比較言語学等に関する具体的なエピソードが語られていて、面白いです。


「実際、それまでのどの征服者よりも、さらには地元民自身よりもはるかによくわかっていた。征服者たちの秀でた知識には、明らかに実用面で利点があった。こういった知識がなかったら、とんでもなく人数の少ないイギリス人が、何億ものインド人を二世紀にわたってうまく統治したり迫害したり搾取したりできたかどうか疑わしい。」


「さらに、諸帝国が積み上げた新しい知識によって、少なくとも理論上は、征服された諸民族への援助が可能になり、「進歩」の恩恵を与えられるようになった。(略)

つまり、医療や教育を施し、鉄道や用水路を造り、正義や繁栄を保証することが出来るようになった。帝国主義者は、自らの帝国は大規模な搾取事業ではなく、非ヨーロッパ人種のために実施する利他的な事業なのだと主張した。」


〇いわゆる「きれいごと」です。「偽善者」です。
でも、いつも思うのですが、きれいごとを言って、多少なりともそのきれいごとを実践しようとする人の方が、「きれいごと」を知らない人よりもずっとマシだと思うのです。

何度も同じことを言って恐縮ですが、黒いものを白いというそういう、「汚いやり方」を平気でして、それがまかり通るという社会はおかしいと思います。
きれいごとは言っても、なかなかそうは出来ないのが、人間です。

でも、先ず、「きれいごとを言う」「きれいにやろうとする」それが大前提だと思います。きれいごとを言う人を馬鹿にする風潮があるのは、すごくおかしいと思います。


「当然ながら事実はこの神話としばしば食い違った。イギリス人は1764年にインドで最も豊かな州、ベンガルを征服した。この新しい支配者たちは自らが豊かになること以外にはほとんど関心がなかった。

杜撰な経済政策を採用し、そのせいで数年後にはベンガル大飢饉が勃発した。(略)ベンガル州の人口の三分の一に当たる、およそ1000万人のベンガル人がこの悲惨な出来事で亡くなった。」


「(略)彼らの犯した罪でたやすく百科事典が一冊埋まるだろう。(略)…帝国の功績で別の百科事典が一冊埋まるだろう。

ヨーロッパの諸帝国は、科学との密接な協力により、あまりにも巨大な権力を行使し、あまりにも大きく世界を変えたので、これらの帝国を単純には善や悪に分類できないのではないか。

ヨーロッパの帝国は、私たちの知っている今の世界を作り上げたのであり、その中には、私たちがそれらの諸帝国を評価するのに用いるイデオロギーも含まれているのだ。」


「こういった人種差別的な理論は、何十年にもわたってもてはやされ、世間に認められてきたが、やがて科学者にも政治家にも等しく忌み嫌われるようになった。

人びとは人種差別との高潔な戦いを続けているが、戦いの場が移ったこと、そして帝国主義イデオロギーに占めていた人種差別の位置には、今や「文化主義」が収まっていることには気づいていない。(略)


今日のエリート層は、多様な人間集団にはそれぞれ対照的な長所があると主張する時、十中八九、人種間の生物学的相違ではなく文化間の歴史的相違の視点から語る。私たちはもやは「血統だ」とは言わず、「文化のせいだ」と言う。」


「たとえば、イスラム教徒の移民に反対するヨーロッパの右翼政党は通常、人種差別的な語句を用心深く避ける。(略)

西洋文化はヨーロッパで発展したため民主主義的価値観や寛容さ、男女平等を特徴とする一方、中東で発展したイスラム文化は階層的な政治、狂信性、女性蔑視を特徴とすると主張する傾向にある。

二つの文化はあまりにも違うし、多くのイスラム教徒移民は西洋の価値観を取り入れようとしない(し、ひょっとすると取り入れられない)から、内紛を煽ってヨーロッパの民主主義と自由主義を蝕んだりしないように、流入を許すべきでないと主張する。」

「言うまでもなく、これは話の全貌ではない。科学は帝国だけでなく他の制度にも支えられてきた。(略)科学と帝国の華々しい隆盛の裏には、きわめて重要な力が潜んでいる。それは資本主義だ。」

 

 

 

 

 

 

サピエンス全史   上 第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン

古代ローマ人は負けることに慣れていた。歴史上の大帝国の支配者たちはみなそうなのだが、ローマ人も次から次へと戦いで敗北しながら、それでも戦争には勝つことができた。打撃に耐え、倒れずにいられないような帝国は、本物の帝国とは言えない。」

〇この意味がよくわかりません。戦いで敗北しながら戦争には勝つ。


「だがそのローマ人でさえ、紀元前二世紀半ばにイベリア半島北部から届いた知らせは腹に据えかねた。半島土着のケルト族の住む、スマンティアという小さな取るに足りない山の町が、ローマの支配下から脱け出そうとしたのだ。(略)


紀元前134年、ついにローマの堪忍袋の緒が切れた。(略)スマンティア人の闘志と戦闘技能に一目置いていたスキピオは、無用の闘いで兵士の命を無駄にしたくなかった。(略)


一年以上が過ぎ、糧食が尽きた。あらゆる希望を絶たれたことを悟ったヌマンティア人は、自らの町に火を放った。ローマの記録によれば、住民のほとんどがローマの奴隷になるのを嫌がって自ら死を選んだという。


後にヌマンティアはスペインの独立と勇敢さの象徴となった。「ドン・キホーテ」の著者ミゲル・デ・セルバンテスは、「ヌマンティアの包囲戦」(「スペイン黄金世紀演劇集」牛島信明編訳、名古屋大学出版会、2003年所収。邦訳のタイトルは「ヌマンシアの包囲」)という悲劇を描いた。


この作品は、ヌマンティアの町の破滅で幕を閉じるが、そこにはスペインの未来の繁栄のビジョンが描かれている。詩人たちは、この町の猛々しい守護者たちを称える賛歌を書き、画家たちは、包囲戦の壮大な光景をキャンバスに描き出した。


1950年代と60年代にスペインで最も人気のあった漫画本は、スーパーマンスパイダーマンについてのものではなく、ローマの圧政者と戦った古代イベリアの架空の英雄エル・ハバトの冒険を語るものだった。


今日に至るまで、古代ヌマンティア人たちは、スペインの武勇と愛国心の鑑であり、この国の若者の手本とされている。


だが、スペイン人の愛国者たちがヌマンティア人を褒めそやすときに使うのは、スキピオ母語であるラテン語に由来するスペイン語だ。(略)


ヌマンティア人の武勇を称賛するスペインの愛国者は、ローマカトリック教会の忠実な信奉者でもあることが多い_そう、ローマカトリック教会の。」

 

「同様に、現代スペインの法律は、古代ローマの法律に由来する。スペインのs時は、古代ローマの基礎の上に確立されている。そしてスペインの料理屋建築は、イベリア半島ケルト族の遺産よりもローマの遺産に、はるかに多くを負っている。(略)


これは私たちが好む類の物語ではない。私たちは勝ち目の薄い者が勝つのをうのが好きだ。だが、歴史に正義はない。過去の文化の大半は、遅かれ早かれどこかの無慈悲な帝国の餌食になった。


そしてその帝国は、打ち破った文化を忘却の彼方に追いやった。帝国もまた、最終的には倒れるのだが、豊かで不朽の文化の痕跡を残すことが多い。21世紀の人々のほぼ全員が、いずれかの帝国の子孫なのだ。」

 

<帝国とは何か?>

「帝国とは、二つの重要な特徴を持った政治秩序のことを言う。帝国と呼ばれるための第一の資格は、それぞれが異なる文化的アイデンティティと独自の領土を持った、いくつもの別個の民族を支配していることだ。では、厳密にはいくつの民族を支配していればいいのか?二つか三つでは不十分だ。20か30までは必要ない。帝国となるのに必要な民族の数は、どこかその間にある。


第二に、帝国は変更可能な境界と潜在的に無尽の欲を特徴とする。帝国は、自らの基本的な構造もアイデンティティも変えることなく、次から次へと異国民や異国領を呑み込んで消化できる。」

 

「ここで強調しておかなければならないが、帝国は、その由来や統治形態、領土の広さ、人口によってではなく、文化的多様性と変更可能な国境によってもっぱら定義される。」


「あまり大きくない現代国家ほどの領土に、どうやってそこまで雑多な人々を押し込められたのだろうか?それが可能だったのは、過去の世界には今よりも段違いに多くの異なる民族がいて、それぞれが現在の典型的な民族よりも少ない人口を抱え、狭い領土を占めていたからだ。


現在はわずか二つの民族の念願を果たすために苦労している、地中海とヨルダン川の間の土地には、聖書に出てくる時代には何十という国民や部族、小王国、都市国家が楽々と収まっていた。

帝国は人類の多様性が激減した大きな要因だった。帝国というロードローラーが、数限りない民族(たとえばヌマンティア人)の類のない特徴を徐々に跡形もなく踏みつぶし、そこから新たなはるかに大きい集団を作り上げていった。」


〇二十一世紀の人々のほぼ全員が、いずれかの帝国の子孫なのだ、とあったけれど、
この帝国の定義によれば、日本人は、帝国の子孫ではない、ということになるのだろうか?

 

<悪の帝国?>

 

「今の時代、政治的な罵り言葉のうち、「ファシスト」を除けば、最悪なのは「帝国主義者」だろう。帝国に対する現代の批判は、普通二つの形を取る。

1 帝国は機能しない。長期的に見れば、征服した多数の民族を効果的に支配するのは不可能だ。

2 たとえ支配出来たとしても、そうするべきではない。なぜなら、帝国は破壊と搾取の邪悪な原動力だからだ。どの民族も自決権を持っており、けっして他の民族の支配下に置かれるべきではない。

 

歴史的な視点に立つと、最初の批判はまったくのナンセンスで、二番目の批判は大きな問題を抱えている。


じつのところ帝国は過去2500年間、世界で最も一般的な政治組織だった。この2500年間、人類のほとんどは帝国で暮らしてきた。帝国は非常に安定した統治形態でもある。(略)


一般に帝国は外部からの侵略や、エリート支配層の内部分裂によってのみ倒された。逆に、征服された民族は、帝国の支配からはめったに逃れられなかった。ほとんどが何百年も隷属状態にとどまった。たいていは、征服者である帝国にゆっくりと消化さえ、やがて固有の文化は消え去った。

例えば、476年に西ローマ帝国が、侵入してきたゲルマン人の諸部族についに倒された時、何世紀も前にローマ人が征服したヌマンティア人やアルウェルニ族、ヘルヴェティア人、サムニウム人、ルシタニア人、ウンブリア人、エトルリア人、その他何百もの忘れられた民族は、骨抜きにされた帝国の亡骸から復活したりしなかった(大魚の呑み込まれたヨナが腹から出て来たという、旧約聖書の話のようにはいかなかったのだ)。彼らはまったく残っていなかった。(略)


多くの場合、一つの帝国が崩壊しても、支配下にあった民族は独立できなかった。(略)それがどこよりも明白だったのが中東だ。この地域における現在の政治的布陣(おおむね安定した境界を持つ、多くの独立した政治的実体の間での力の均衡)は、過去数千年間のどの時期にも、ほとんど類を見ないものとなっている。


前回中東がこのような状況にあったのは、紀元前八世紀半ばに大英帝国フランス帝国が崩壊するまで、リレー競争のバトンのように、中東は一つの帝国の手から別の帝国の手へと次々に引き継がれていった。」


「今日のユダヤ人やアルメニア人、ジョージア人が、古代中東の民族の子孫だと主張しており、それはある程度まで妥当なのは確かだ。だが、これはむしろ、帝国に征服された民族は吸収されてしまうという原則の正しさを示す例外にすぎず、彼らの主張さえもが多少誇張されている。

 

たとえば、現代のユダヤ人の政治的、経済的、社会的慣行が、ユダヤの古代王国の伝統よりも、過去2000年間に支配を受けた諸帝国に負うところの方が大幅に多いことは、言うまでもない。(略)


古代ユダヤにはシナゴークもタルムードも、モーセ五書の巻物さえもなかったのだから。」


「帝国を建設して維持するにはたいてい、大量の人を残忍に殺戮し、残り全員を情け容赦なく迫害する必要があった。帝国の標準的な手駒には、戦争、奴隷化、国外追放、組織的大量虐殺などがあった。」


「だがこれは、帝国が価値あるものを何一つ後に残さないということではない。すべての帝国を黒一色に、塗り潰し帝国の遺産の一切を拒否するのは、人類の文化の大半を退けるのに等しい。


帝国のエリート層は征服から得た利益を軍隊や砦のために使っただけではなく、哲学や芸術、道義や慈善を目的とする行為にも回した。」


「ローマの帝国主義がもたらした利益と繁栄のおかげで、キケロセネカ、聖アウグスティヌスは思索や著述にかける暇とお金が得られた。


タージマハルは、ムガル帝国がインドの臣民を搾取して蓄積した富がなければ建設できなかっただろう。」

 

「今日、ほとんとの人が、私たちの祖先が剣を突きつけられて強制された帝国の言語で話、考え、夢見ている。」

 

 

<これはお前たちのためなのだ>

 

「(略)やがて紀元前550年ごろ、ペルシアのキュロス大王が、それに輪をかけて大げさな自慢をした。

アッシリアの王たちはつねに、アッシリアの王にとどまった。全世界を支配していると主張した時にさえ、アッシリアの栄光を増すためにそうしていることは明らかで、彼らに後ろめたさはなかった。


一方キュロスは、全世界を支配しているだけではなく、あらゆる人のためにそうしていると主張した。「お前たちを征服するのは、お前たちのためなのだ」とペルシア人たちは言った。


キュロスは隷属させた民族が彼を敬愛し、ペルシアの従属者であって幸運だと思う事を望んでいた。自分の帝国の支配下で暮らしている国民の称賛を得るためにキュロスが行った革新的な努力の最も有名な例を挙げると、彼はバビロニアで捕囚となっていたユダヤ人が、ユダヤの故国に戻り、神殿を再建するのを許すよう命じた。


そして、資金援助さえ申し出た。キュロスは自分がユダヤ人を支配しているペルシアの王だとは考えていなかった。彼はユダヤ人たちの王でもあり、だからこそ、彼らの福祉に責任があったのだ。


全世界をその居住者全員の利益のために支配するという思い込みには驚かされる。進化の結果、ホモ・サピエンスは他の社会的動物と同様に、よそ者を嫌う生き物になった。サピエンスは人類を「私たち」と「彼ら」という二つの部分に本能的に分ける。(略)


この民族的排他性とは対照的に、キュロス以降の帝国のイデオロギーは、包括的・網羅的傾向を持っていた。このイデオロギーは、支配者と被支配者の人種的違いや文化的違いを強調することも多かったが、それでも全世界の基本的な統一性や、あらゆる場所と時代を支配する一揃いの原理の存在、互いに対する万人の責任を認めていた。


人類は一つの大家族と見なされる。親の特権は子供の福祉に対する責任と切っても切り離せないのだ。


この新しい帝国のビジョンは、キュロスやペルシア人からアレクサンドロス大王へ、彼からヘレニズム時代の王やローマの皇帝、イスラム教国のカリフ、インドの君主、そして最終的にはソヴィエト連邦の首相やアメリカ合衆国の大統領へと受け継がれた。」


「同じような帝国のビジョンは、世界の他の場所でもペルシアのモデルとは独立して発達した。特に目覚ましいのが中央アメリカとアンデス地方と中国の例だ。伝統的な中国の政治理論によれば、天は、地上のいっさいの正当な権威の源だという。


天は最もふさわしい人物あるいは家系を選び、天命を授ける。するとその人物あるいは家系が、万民のために天下を支配する。このように、正統な権威は当然ながら普遍的だ。」


〇「お前たちを支配するのはお前たちのためだ」というのは、支配者が被支配者をコントロールしやすくするための詭弁だと思っていました。自分は日本人だなぁ、と思います。支配者が被支配者を思いやるなどということはあり得ないこと、と思う気持ちが根強くあります。

でも、現実に、ペルシア王キュロスによって、捕囚から解放され故国に神殿を作る資金援助をされたユダヤ人の子孫であるハラリ氏にとっては、そのようなことは「あり得る」ことなのでしょう。

そして、そう考えると、私たち日本人も、敗戦によって、アメリカに支配され、そのおかげで、基本的人権が与えられ、国民主権憲法がもたらされました。
もし、アメリカに支配されずにいたら、多分今も、天皇主権の世の中で、我らは天皇の臣民、天皇のためならいつでも命を捧げます、と教育勅語を唱えて暮らしていたのでしょう。

「支配者が被支配者のことなど思いやるはずがない」という根強い感覚は、日本人の支配者(安倍総理)のことを思い浮かべるからではないか、と思う今日この頃です。


「中国の統一帝国の初代支配者である始皇帝は、「遍く<宇宙の>六方において万物は皇帝に帰属する……人の足跡がある場所であればどこでも、<皇帝の>臣民とならなかった者はいない……皇帝の慈悲は牛馬にさえ及ぶ。その恩恵を受けなかった者は一人もいない。誰もが自分の屋根の下で安心できる」と豪語した。


それ以降、中国の政治思想だけでなく中国の歴史の記憶の中でも、帝国時代は秩序と正義の黄金時代と見なされた。


公正な世界は別個のさまざまな国民国家から成るという近代の西洋の味方とは逆で、中国では政治的分裂の時期は、混沌と不正の暗黒時代と見なされた。(略)」

〇私自身が、「支配者の慈悲や公正さ」などを、うさん臭く感じるのはともかく、少なくとも、ここに挙げられている帝国の支配者たちは、正義や公正や慈悲を掲げて政治をしようとしているのは、確かだと思います。

以前、ハラリ氏も言っていたように、そうしなければ、大勢を納得させることが出来ない、ということなのでしょう。

それに比べると、私たちの国では、そのようなことは、ほとんど語られませんし、むしろ、そのようなことをいう人は、きれいごとをならべる未熟者のように見られます。実際、政治家は平然と嘘をつき、多くの国民もそれを容認しています。

私たちの国で、こんなにも、不正やでたらめが容認されているのは、なぜなんだろうとあらためて思います。

 

 

<「彼ら」が「私たち」になるとき>

 

(〇 目が悪くなったのか、文字が見えにくくて困ります。全て太文字にします。)

「多数の小さな文化を融合させて少数の大きな文化にまとめる過程で、帝国は決定的な役割を果たしてきました。思想や人々、財、テクノロジーは、政治的に分裂した地方でよりも帝国の国境内でのほうが簡単に拡がった。


帝国自体が意図的に思想や制度、習慣、規範を広めることも多かった。それは一つには、手間を省くためだった。小さな地区がそれぞれみな独自の法律や書記の方式、言語、貨幣を持っている帝国を支配するのは大変だ。標準化は皇帝たちにとって大きな恵みだったのだ。


帝国が共通の文化を積極的に広めた第二の、そしてやはり重要な理由は、正当性を獲得することだった。少なくともキュロス大王と始皇帝の時代以降、道路の建設であれ流血であれ、帝国は自国の行動は、征服者よりも被征服者の方がなおさら大きな恩恵を受けるよう、優れた文化を広めるのに必要なこととして正当化してきた。

その恩恵は、法の執行や都市計画、度量衡の標準化といった明らかに重要なものや、税、徴兵、皇帝崇拝といった、ときに怪しげなものもあった。だが、ほとんどの帝国のエリート層は、帝国の全住民の全般的な福祉のために働いていると、本気で信じていた。


中国の支配階級は、近隣の人々や外国の臣民のことを、自らの帝国が文化の恩恵をもたらしてやらなければならない惨めな野蛮人たちとして扱った。天命が皇帝に授けられたのは、世界を搾取するためではなく、人類を教育するためだった。


ローマ人も、野蛮人に平和と正義と洗練性を与えているのだと主張して、みずからの支配を正当化した。未開のゲルマン人や身体に色を塗りたくったガリア人は、汚らしい無知な生活を送っていたが、そこへローマ人がやって来て、法で従順にし、公衆浴場で清潔にし、哲学て進歩させたというのだ。


紀元前三世紀のマウリヤ帝国は、ブッダの教えを無知な世界に広めることを使命とした。イスラム教国のカリフは、出来れば平和裏に、必要ならば剣をもって、ムハンマドの教えを広めるという聖なる命を受けた。スペイン帝国ポルトガル帝国は、西インド諸島南北アメリカ大陸で求めるのは富ではなく、真の信仰への改宗者だと公言した。


自由主義自由貿易の双子の福音を広めるイギリスの使命には、日が没することがなかった。ソヴィエト連邦は、資本主義から理想的な労働者階級独裁(プロレタリアート)への止めようのない歴史の流れを促進する義務を負っていると感じていた。


今日のアメリカ人の多くは、自国の政府には第三世界の諸国に民主主義と人権の恩恵をもたらす道義的義務があると主張する_たとえそれらの美徳が巡航ミサイルやF16戦闘機によってもたらされるのだとしても。


帝国によって広められた文化の概念は、もっぱらエリート支配層が生み出したものであることは滅多になかった。帝国のビジョンは普遍的で包括的な傾向を持つので、帝国のエリート層にとって、単一の偏屈な伝統に狂信的に固執するよりも、どこであれ見つかる場所から思想や規範や伝統を採用する方が、どちらかと言えば易しかった。


自らの文化を純化し、自らの根源と見なすものへ戻ろうとする皇帝もいたが、帝国はたいがい、支配している諸民族から多くを吸収した混成文明を生み出した。ローマの帝国文化はローマ風であるのと同じぐらいギリシア風でもあった。」

 

「ただし、このような文化のるつぼのおかげで、征服された側にとって文化的同化の過程が少しでも楽になったわけではない。(略)


同化の過程は不快で、大きな心の痛手を残すことが多かった。」


「19世紀後期には、教養あるインド人の多くが、イギリス人の主人たちに同じ教訓を叩き込まれた。こんな有名な逸話がある。一人の野心的なインド人が、英語という言語の機微まですっかり習得し、西洋式の舞踏のレッスンも受け、ナイフとフォークを使って食べるのにも慣れた。礼儀作法も身につけて、イングランドに渡り、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで学び、認定を受けて法廷弁護士になった。


ところが、スーツを着てネクタイを締めたこの若き法律家は、イギリスの植民地だった南アフリカで列車から放り出された。彼のような「有色人(カラード)」が乗るべき三等客車に満足せずに一等客車に乗ると言って譲らなかったからだ。彼の名は、モーハンダース・カラムチャンド・ガンディーだった。」


「西暦48年、皇帝クラウディウスは、元老院に卓越したゴール人を数人迎え、演説の中で彼らについてこう語った。「習慣や文化、婚姻の絆」を通して、彼らは「我々に溶け込んだ」。お高くとまった元老院議員たちは、旧敵をローマの政治制度の中枢へ迎え入れることに抗議した。


するとクラウディウスは次のような事実を挙げて、彼らに耳の痛い思いをさせた。彼ら元老院議員の家族の多くも、もとをたどれば、かつてローマと戦い、後にローマの市民権を与えられたイタリアの部族に属していたのだった。じつは私自身の家族もサビニーニ人の子孫だ、と皇帝は議員たちに指摘した。」


「二世紀には、ローマは一連のイベリア生まれの皇帝に支配された。(略)帝国の新しい市民はローマ帝国の文化を夢中になって採用したので、帝国そのものが崩壊してから何世紀も過ぎても、引き続き帝国の言語を話し、帝国がレヴァント地方の属州の一つから採用したキリスト教の神を信じ、帝国の法に従って暮らした。


同じような過程がアラブ帝国でも見られた。七世紀半ばに打ち立てられた時、アラブ帝国はアラビア人イスラム教徒のエリート支配層と、その支配下にある、アラビア人でもイスラム教徒でもないエジプト人、シリア人、イラン人、ベルベル人との明確な区別に基づいていた。


だが、帝国の被支配民の多くは、イスラム教信仰と、アラビア語と、混成の帝国文化を徐々に採用した。」

 

「中国では帝国化の事業は更に徹底した成功を収めた。最初は、野蛮人と呼ばれていた民族集団や文化集団がさまざまに入り乱れていたが、2000年以上の間にそれらが中国の帝国文化に首尾良く統合されて、漢民族(紀元前206年から西暦220年まで中国を支配した漢帝国にちなんで、そう命名された)となった。」


「過去数十年に及ぶ植民地解放の過程も、同様に理解できる。ヨーロッパ人は近代に、優れた西洋文化を広めるという名目で、地上の大半を征服した。彼らは大成功を収めたので、何十億もの人がその文化のかなりの部分を徐々に採用した。(略)


彼らは人権や、自決の原理を信奉するようになり、自由主義や資本主義、共産主義フェミニズム国民主義といった西洋のイデオロギーを採用した。


二〇世紀を通じて、西洋の価値観を採用した地元の諸集団は、これらの価値観の名において、ヨーロッパ人の征服者たちと対等の地位を要求した。すべてヨーロッパの遺産である自決、社会主義、人権の旗印の下に、多くの反植民地主義の闘争が起こった。


エジプト人やイラン人、トルコ人がもともとのアラビア人征服者たちから受け継いだ帝国文化を採用し、適合させたのとちょうど同じように、今日のインド人やアフリカ人、中国人は、もとの西洋の支配者がもたらした帝国文化の多くを受け容れつつ、それを自らの必要性や伝統に即して形作ろうとした。」

〇「帝国主義」を肯定的に論じている文章を初めて読んだような気がします。
最初に著者も述べていた通り、帝国主義は悪に決まってる、と思い込んでいましたから、読みながら落ち着かないものがありました。

正直に言うと、帝国主義が本当に「人間を元気に生きられる状況」にしてくれるのなら、ここで言われているように、いいのかもしれない、と思います。

例えば現在のユーロ圏についてなど、よくわからないなりに、素人の私としては、いっそ、一つの国になってしまった方が、いろいろ簡単ではないのか?と思ったことはあります。

でも、最悪、あの「IS」のような国が武力で帝国を目指すとしたら、世界は恐怖そのものになります。そして、本音を言うと、日本の「日本会議」が帝国を目指すのも、うんざりです。日本は自分の国ですし、大事に思っていますが、あの日本会議のように、「国民に主権があるのは間違っている」とか「人権など日本人には必要ない」とかいう人々が帝国を作ったら、どんなことになるだろう、と思います。

帝国主義には今も不信感があります。

でも、世界には、この著者のような信念を持てるほど、国というものに、希望を持つことが出来る人もいるのだなぁと思いました。

本当は、そういう希望を持つことが出来る方が、人としてはずっと前向きに、多くの人の力を結集して生きられるはずなのに、と思います。

私たちの国の政治は酷すぎます。

 

<歴史の中の善人と悪人>

「歴史を善人と悪人にすぱっと分け、帝国はすべて悪人の側に含めるというのは魅力的な発想だ。帝国の大多数は血の上に築かれ、迫害と戦争を通して権力を維持してきたのだから。

だが、今日の文化の大半は、帝国の遺産に基づいている。もし帝国は悪いと決まっているのなら、私たちはいったいどのような存在ということになるのか?


人類の文化から帝国主義を取り除こうとする思想集団や政治的運動がいくつもある。帝国主義を排せば、罪に汚されていない、無垢で純正な文明が残るというのだ。こうしたイデオロギーは、良くても幼稚で、最悪の場合には、粗野な国民主義や頑迷さを取り繕う不誠実な見せかけの役を果たす。


有史時代の幕開けに現れた無数の文化のうちには、無垢で、罪に損なわれておらず、他の社会に毒されていないものがあったと主張することはだとうかもしれない。だが、その黎明期以降、そのような主張のできる文化は一つもない。」

 

「たとえば、今日の独立したインド共和国とイギリスの支配との愛憎関係について考えてほしい。(略)


それでも、現代のインド人の国家は大英帝国の子どもだ。イギリス人はインド亜大陸の居住者を殺し、傷つけ、虐げたが、彼らはまた、相争う藩王国や部族などの、途方に暮れるほどの寄せ集めを統一し、インド人が共有する国民意識と、おおむね単一の政治的単位として機能する国家を生み出した。」


「以前の「純正」な文化を再建し、保護することを願って、残酷な帝国の遺産を完全に拒否することにしたとしても、それによって守っているのは、さらに古くておなじぐらい残酷な帝国の遺産以外の何物でもない可能性が非常に高い。


イギリスによる支配でインド文化が台無しにされたと憤慨する人は、ムガル帝国の遺産と征服者であるデリーのスルタンの権力を、図らずも神聖視することになる。」


「文化の継承にまつわるこの厄介な問題をどのように解決すればいいのかは、誰にもはっきりとはわからない。どの道を選ぶにしても、問題の複雑さを理解し、過去を単純に善人と悪人に分けたところでどうにもならないのを認めるのが、第一歩だろう。

もちろん、私たちはたいてい悪人に倣うと認める気があれば、話は別だが。」

 

 

<新しいグローバル帝国>

 

「紀元前200年ごろから、人類のほとんどは帝国の中で暮らしてきた。将来も、やはり人類の大半が帝国の中で暮らすだろう。だが、将来の帝国は、真にグローバルなものとなる。全世界に君臨するという帝国主義のビジョンが、今や実現しようとしているのだ。


21世紀が進むにつれ、国民主義は急速に衰えている。しだいに多くの人が、特定の民族や国籍の人ではなく全人類が政治的権力の正当な源泉であると信じ、人権を擁護して全人類の利益を守ることが政治の指針であるべきだと考えるようになってきている。


だとすれば、200近い独立国があるというのは、その邪魔にこそなれ、助けにはならない。スウェーデン人も、インドネシア人も、ナイジェリア人も同じ人権を享受してしかるべきなのだから、単一のグローバルな政府が人権を擁護する方が簡単ではないか?


氷冠の融解のような、本質的にグローバルな問題が出現したために、独立した国民国家に残された正当性も、少しずつ失われつつある。どのような独立国であれ、地球温暖化を単独で克服することは出来ない。中国の天命は、人類の問題を解決するために天から授けられた。現代の天命は、オゾン層の穴や温室効果ガスの蓄積といった、天の問題を解決するために人類から授けられる。

グローバル帝国の色はおそらく緑なのだろう。


2014年の時点で、世界はまだ政治的にばらばらだが、国家は急速にその独立性を失っている。独立した経済政策を実施したり、好き勝手に宣戦を布告して戦争をおこなったりすることや、自らが適切と判断する形で内政を実施したりすることさえも、本当に出来る国は一つとしてない。


国家はグローバル市場の思惑や、グローバルな企業やNGO(非政府機関)の干渉、グローバルな世論や国際司法制度の影響をますます受けやすくなっている。資本と労働力と情報の途方もなく強力な潮流が、世界を動かし、形作っており、国家の境界や意見はしだいに顧みられなくなっている。

私たちの眼前で生み出されつつあるグローバル帝国は、特定の国家あるいは民族集団によって統治されはしない。この帝国は後期のローマ帝国とよく似て、多民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。

世界中で、しだいに多くの起業家やエンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参加するようにという呼びかけを受けている。彼らはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠をつくし続けるか、じっくり考えなければならない。だが、帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。」


〇<新しいグローバル帝国>については、全文を抜き書きしました。
これで、「サピエンス全史 上」のメモを終わります。

(上巻を読み終えた感想)

グローバル経済という言葉は既に定着していますが、グローバル帝国というのは、具体的にはどういう国になるのか、はっきりイメージ出来ません。

最初は、一つの国ということで、地球国、と思い浮かべました。
でも、著者は「世界中の起業家や専門家、学者たちは、この帝国に参加するか、自分の国と民族に忠誠をつくし続けるかの選択を…」と言っています。多分、そのような意思を持って動いてゆけば、きっと道が拓け、いつかグローバル帝国が実現する、ということを言っているのだと思いました。

キリスト教イスラム教的な価値観、仏教的な価値観、更にはもっと様々な違う文化の国が一つになるというと、とても難しいことで、絶対に無理だ、と感じます。

でも、例えばアメリカに占領され、民主主義を取り入れた社会で育った私は、戦前の日本が良いか、占領後の民主主義国家の日本が良いかというと、間違いなく、占領後の基本的人権の認められている日本を選びます。

そんな風に、様々な価値観を知り、国民が選ぶことが可能になれば、自ずと行きつくところに行きつく、と思います。

私たちホモ・サピエンスの未来がどうなるのか、どうするのか、まだまだ先が長い道のりですが、その方向性の一つを示したということで、大きな意味を持つ提案だと思いました。

一番感心したのは、問題点や悲観的な面はきちんと押えながらも、前向きにプラス思考で良い面を見出して、道を探っている姿勢です。若いなぁと思いますし、若さっていいなぁと思います。

 

※ このあと、「サピエンス全史 下」に続きます。

 

 

 

 

サピエンス全史 上 第10章  最強の征服者、貨幣

「1519年、エルナン・コステス率いる征服者が、それまで孤立していた人間世界の一つであるメキシコに侵入した。アステカ族(現地に住んでいた人々は自らをそう呼んでいた)は、このよそ者たちが、ある黄色い金属に途方もない関心を示すことにたちまち気づいた。」

「実際、スペイン人たちの出身地であるアフロ・ユーラシア世界では、金への執着は伝染病の様相を呈していた。激しい憎悪に燃える敵同士でさえ、この役に立たない黄色い金属を喉から手が出るほど欲しがった。」

キリスト教徒の征服者たちが造ったこの四角い硬貨には、流麗なアラビア語の文字で次のように宣言されていた。「アッラーの地に神はなし、ムハンマドアッラー使徒なり」。メルグイユやアグドのカトリックの司教さえもが、広く流通しているイスラム教徒の硬貨の忠実な複製を発行し、敬虔なキリスト教徒たちも喜んでそれを使った。

寛容性は反対側の陣営でも盛んに発揮された。(略)異端者であるキリスト教徒に対する聖戦を呼びかけるイスラム教徒の支配者たちまでもが、キリストや聖母の加護を祈願する硬貨で、喜んで税を受け取った。」

<物々交換の限界>

「狩猟採集民族には貨幣はなかった。どの生活集団も、肉から薬、サンダルから魔法の道具まで、必要なものはすべて狩り、採集し、作った。」

「だが、都市や王国が台頭し、輸送インフラが充実すると、専門化の機会が生まれた。人口密度が高い都市では、専門の靴職人や医師だけでなく、大工や聖職者、兵士、法律家も、それぞれの仕事に専従出来るようになった。
非常に優れたワイン、オリーブ油、あるいは陶磁器を生産するという評判を得た村落は、ほぼ全面的にその製品に特化する価値があることを発見した。」

「恩恵と義務の経済は、見ず知らずの人が大勢協力しようとするときにはうまくいかない。兄弟姉妹や隣人をただで助けるのと、恩恵に報いることがないかもしれない外国人の面倒を見るのとでは、まったく話が違う。

物々交換に頼ることは可能だ。だが物々交換は、限られた製品を交換するときにだけ効果的で複雑な経済の基盤を成し得ない。」

「物々交換経済では、靴職人もリンゴ栽培者も、何十という商品の相対的な価格を、毎日あらためて知る必要がある。市場で100種類の商品が取引されていたら、売り手も買い手も4950通りの交換レートを頭に入れておかなければならない交換レートは、なんと49万9500通りに達する!

そんなに多くのレートなど知りようがないではないか。
だが、話がさらにややこしくなる。仮に靴一足に相当するリンゴの個数をなんとか計画できたとしても、いつも交換が可能とはかぎらない。

なにしろ、交換の場合には双方が相手の望むものを提供する必要があるからだ。」

「専門の栽培家や製造業者から産物や製品を集め、必要とする人に分配する中央物々交換制度を確立することでこの問題を解決しようとした社会もある。

そのうちで最も大規模で有名な実験はソヴィエト連邦で行われ、惨めな失敗に終わった。」

「だが、ほとんどの社会は、大勢の専門家を結び付けるための、もっと手軽な方法を発見した。貨幣を創り出したのだ。」

<貝殻とタバコ>

「貨幣は多くの場所で何度も生み出された。その発達には、技術の飛躍的発展は必要ない。それは純粋に精神的な革命だったのだ。それには、人々が共有する想像の中にだけ存在する新しい共同主観的現実があればよかった。」

「だが、貨幣は硬貨の鋳造が発明されるはるか前から存在しており、さまざまな文化が貝殻や、牛、皮、塩、穀物、珠、布、約束手形など、他のものを通過として使い、栄えた。

タカラガイの貝殻は約4000年にわたって、アフリカ、南アジア、東アジア、オセアニアの至る所で貨幣として使われた。20世紀初期になっても、当時イギリスの植民地だったウガンダではタカラガイの貝殻で税金が払えた。

現代の監獄や捕虜収容所では、タバコがしばしば貨幣として使われてきた。煙草を吸わない囚人でさえ、喜んでタバコで支払いを受け、他のあらゆる品物やサービスの価値をタバコに換算した。

あるアウシュヴィッツの生存者は、収容所で使われたタバコという通貨について、こう述べている。「私たちは独自の通貨を持っていた。その価値を疑う者は誰もいなかった。

それはタバコだ。あらゆる品の値段がタバコの本数で記されていた……「平時」、つまりガス室送りの候補者たちが通常の割合で到着している時には、パン一塊の値段はタバコ十二本、300グラムのマーガリンのパッケージは30本、腕時計は80~200本、アルコール一リットルは400本だった!」

「理想的な種類の貨幣は、人々があるものを別のものに転換することだけではなく、富を蓄えることも可能にする。時間や美しさなど、貴重なものの多くは保存できない。イチゴのように、短期間しか保存できないものもある。

タカラガイの貝殻は腐らないし、ネズミに食べられないし、火事に遭っても残る可能性があるし、あまりかさばらないので金庫にしまっておける。」

「貨幣は簡単に、しかも安価に、富を他のものに換えたり保存したり運んだりできるので、複雑な商業ネットワークと活発な市場の出現に決定的な貢献をした。貨幣なしでは、商業ネットワークと市場は、規模も複雑さも活力も、非常に限られたままになっていただろう。」


<貨幣はどのように機能するのか?>

タカラガイの貝殻もドルも私たちが共有する想像の中でしか価値をもっていない。その価値は、貝殻や紙の化学構造や色、形には本来備わっていない。つまり、貨幣は物質的現実ではなく、心理的概念なのだ。
貨幣は物質を心に転換することで機能する。だが、なぜうまく行くのか?なぜ肥沃な田んぼを役立たずのタカラガイの貝殻一つかみと喜んで交換する人がいるのか?骨折りに対して、色付きの紙を数枚もらえるだけなのに、なぜ進んでファーストフード店でハンバーガーを焼いたり、医療保険のセールスをしたり、三人の生意気な子供たちのお守をしたりするのか?

人々が進んでそういうことをするのは、自分たちの集合的想像の産物を、彼らが信頼しているときだ。信頼こそ、あらゆる種類の貨幣を生み出す際の原材料にほかならない。裕福な農民が自分の財産を売ってタカラガイの貝殻一袋にし、別の地方に移ったのは、彼は目的地に着いたとき、他の人が米や家や田畑を子の貝殻と引き換えに売ってくれると確信していたからだ。

したがって、貨幣は相互信頼の制度であり、しかも、ただの相互信頼の制度ではない。これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ。

この信頼を生み出したのは、非常に複雑で、非常に長期的な、政治的、社会的、経済的関係のネットワークだった。なぜ私はタカラガイの貝殻や金貨やドル紙幣を信頼するのか?なぜなら、隣人たちがみな、それを信頼しているから。そして、隣人たちが信頼しているのは、私がそれで信頼しているからだ。

そして、私たちが全員それを信頼しているのは、王がそれを信頼し、それで税金を払うように要求するからであり、また、聖職者がそれを信頼し、それで10分のⅠ税を払うように要求するからだ。

一ドル紙幣を手に取って、念入りに見てほしい。そうすればそれが、一方の面にアメリカ合衆国財務長官の署名が、もう一方の面には「我々は神を信じる」というスローガンが印刷されたただの紙にすぎないことがわかる。

私たちがドルを何かの対価として受け入れるのは、神と財務長官を信頼しているからだ。」

「もともと、貨幣の最初の形態が生み出された時、人々はこの種の信頼を持っていなかったので、本質的な価値を本当に持っているものを「貨幣」とせざるをえなかった。歴史上、知られている最初の貨幣であるシュメール人の「大麦貨幣」は、その好例だ。」

「とはいえ、大麦は保存も運搬も難しかった。貨幣の歴史における真の飛躍的発展が起こったのは、本質的価値は欠くものの、保存したり運んだりするのが簡単な貨幣を信頼するようになった時だ。そのような貨幣は、紀元前3000年紀半ばに古代メソポタミアで出現した。銀のシュケルだ。」

「貴金属の一定の重さが、やがて硬貨の誕生につながった。史上初の硬貨は、アナトリア西部のリュディアの王アリュアッテスが紀元前640年ごろに造った。(略)

今日使われている硬貨のほとんどは、リユディアの硬貨の子孫だ。
硬貨は二つの重要な点で、何の印もない金属塊に優る。まず、金属塊は取引のたびに重さを量らなければならない。第二に、塊の重さを量るだけでは足りない。私が長靴の代金として支払った銀塊が、鉛を薄い銀で覆ったものではなく純銀製であることは、靴職人には知りようがない。硬貨はこうした問題の解決を助けてくれる。」

「それは彼らがローマ皇帝の権力と誠実さを信頼していたからで、皇帝の名前と肖像がこの銀貨を飾っていた。
そして、皇帝の権力は逆に、デナリウス銀貨にかかっていた。硬貨なしでローマ帝国を維持するとしたら、それがどれほど困難だったか想像してほしい。もし皇帝が大麦と小麦で税を集め、給料を支払わなければならなかったとしたら、どうだろう。

シリアで税として大麦を集め、ローマの中央金庫に運び、さらにイギリスへ持って行って、そこに派遣している軍団に給料として支払うのは、不可能だっただろう。
ローマの町の住民が金貨の価値を信頼していても、従属民たちがその信頼を退け、代わりにタカラガイの貝殻や、象牙の珠、布などの価値を信頼していた場合も、帝国を維持するのは、同じくらい難しかっただろう。」


<金の福音>

「ローマの硬貨に対する信頼は非常に厚かったので、帝国の国境の外でさえ、人々は喜んでデナリウスで支払いを受け取った。一世紀のインドでは、一番近くにいるローマの軍団でさえ何千キロメートルも離れていたにもかかわらず、市場での交換媒体としてローマの硬貨が受け容れられていた。(略)

「デナリウス」という名前は硬貨の総称となった。イスラム教国家のカリフ(支配者)たちは、この名称をアラビア語化し、「ディナール」を発行した。ディナールは今なお、ヨルダン、イラクセルビアマケドニアチュニジア他数カ国の通貨の名称だ。」

「国や文化の境を超えた単一の貨幣圏が出現したことで、アフロ・ユーラシア大陸と、最終的には全世界が単一の経済・政治圏となる基礎が固まった。人々は互いに理解不能の言語を話し、異なる規則に従い、別個の神を崇拝し続けたが、誰もが金と銀、金貨と銀貨を信頼した。

この共有信念抜きでは、グローバルな交易ネットワークの実現は事実上不可能だっただろう。」

「だが、非常に異なる文化に属し、たいていのことでは同意できなかった中国人やインド人、イスラム教徒、スペイン人が、金への信頼は共有していたのは、どうしてなのか? なぜ、スペイン人は金を信頼し、イスラム教とは大麦を、インド人はタカラガイの貝殻を、中国人は絹を信頼するということにならなかったのか?

経済学者たちはおあつらえ向きの答えを持っている。交易によって二つの地域が結びつくと、需要と供給の力のせいで、輸送可能な品物の値段が等しくなる傾向がある。その理由を理解するには、次のような仮想の状況を考えるといい。

インドと地中海沿岸との間で本格的な交易が始まったとき、インド人は金に関心がなかったので、インドでは金にはほとんど価値がなかったとしよう。
だが、地中海沿岸では金は地位の象徴として垂涎の的で、非常に高い価値を持っていた。次に何が起こるだろうか?
インドと地中海沿岸とを行き来する貿易商人は、金の価値の違いに気づく。彼らは利益を得るために、インドで金を安く買い、地中海沿岸で高く売る。その結果、インドでは金の需要と価値が急速に高まる。
一方、地中海沿岸には金が大量に流入するので、その価値が下がる。いくらもしないうちに、インドと地中海沿岸での金の価値はほとんど同じになる。

地中海沿岸の人々が金を信頼していたというだけで、インド人も金を信頼し始める。たとえインド人には依然として金の使い道が全くなかったとしても、地中海沿岸の人々が欲しがっているのであれば、インド人も金を重んじるようになるのだ。」

「貨幣は人間が生み出した信頼制度のうちほぼどんな文化の間の溝をも埋め、宗教や別、人種、年齢、性的指向に基づいて差別することのない唯一のものだ。貨幣のおかげで、見ず知らずで信頼し合っていない人どうしでも、効果的に協力できる。」


<貨幣の代償>
「貨幣は二つの普遍的原理に基づいている。
a 普遍的転換性_貨幣は錬金術師のように、土地を忠誠に、正義を健康に、暴力を知識に転換できる。
b 普遍的信頼性_貨幣は仲介者として、どんな事業においてもどんな人どうしでも協力できるようにする。

これら二つの原理のおかげで、厖大な数の見知らぬ人どうしが交易や産業で効果的に協力できるようになった。だが、一見すると当たり障りのないこの原理には、邪悪な面がある。
あらゆるものが転換可能で、信頼が個性のない硬貨やタカラガイの貝殻に依存している時には、各地の伝統や親密な関係、人間の価値が損なわれ、需要と供給の冷酷な法則がそれに取って代わるのだ。

人類のコミュニティや家族はつねに、名誉や忠誠、道徳性、愛といった「値のつけられないほど貴重な」ものへの信頼に基づいてきた。それ等は市場の埒外にあり、お金のために売り買いされるべきではない。

たとえ市場が良い値を提示しても、けっして売買されないこともある。親は子供を奴隷として売ってはならない。敬虔なキリスト教徒は地獄に堕ちるような滞在を犯してはならない。忠義な騎士は絶対に主君を裏切ってはならない。先祖代々の部族の土地は、けっしてよそ者に売ってはならない。
貨幣は、ダムの亀裂に滲み込む水のように、いつもこうした障壁を突破しようとしてきた。」

「貨幣には、さらに邪悪な面がある。貨幣は見ず知らずの人どうしの間に普遍的な信頼を築くが、その信頼は、人間やコミュニティや神聖な価値ではなく、貨幣自体や貨幣を支える非人間的な制度に注ぎ込まれたのだ。

私たちは赤の他人も、隣に住む人さえも信用しない。私たちが信用するのは、彼らが持っている貨幣だ。」

「従って、人類の経済史はデリケートなバランス芸だ。人々は貨幣に頼って、見知らぬ人との協力を促進するが、同時に、貨幣が人間の価値や親密な関係を損なうことを恐れている。

貨幣の移動と交易を長きにわたって妨げて来たコミュニティのダムを、人々は一方の手で喜んで打ち壊す。だが、彼らはもう一方の手で、市場の力への隷属から社会や宗教、環境を守るために、新たなダムを築く。
市場がつねに幅を利かせ、王や聖職者、コミュニティによって築かれたダムは貨幣の潮流にそう長くは持ちこたえられないと考えるのが、今日一般的だ。だが、それは単純すぎる。野蛮な戦士や宗教的狂信者や憂慮した市民たちが、計算高い商人をこれまで何度となく打ちのめし、経済を作り変えさえしてきた。

したがって、人類の統一を純粋に経済的な過程として理解することはできない。歳月を経るうちに、何千もの孤立した文化がまとまって今日のいわゆる地球村(グローバル・ヴィレッジ)を形成するに至った経緯を理解するには、金銀の役割を考慮に入れなくてはならないが、それに劣らず極めて重要な武力の役割も、けっして無視できないのだ。」

〇経済と武力が現在の「地球村」を作った。