読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「第三部  日本人はみずからを救えるのか?

 

第一章 さらなる変化に見舞われた世界

 

いま、世界は本書が最初に出版された当時と比べれば多くの点でまったく変わってしまった。(略)

いまアメリカは世界で圧倒的な大国となり、その地位をおびやかすほどのライバルはひとつもない。

同時に、世界でのこの国の役割も大きく変わってしまった。このことは世界のあらゆる人々に重大な影響をおよぼさずにはいない。

 

 

経済をどう運営すべきかにだれもが確信を持てなくなり、今後も不況が長期にわたって続きかねないことから、人々も将来についての見通しを変えざるを得なくなった。(略)

 

 

二〇一一年三月には、日本の有史以来、最大級の災害に見舞われた。この国がいかに脆弱であるかを日本の人々は思い知らされた。そしてそこから新しく、なおかつ強い影響力を及ぼしかねない政治不安が生じた。

 

 

これは日本の人々の考え方が変化したことと無縁ではない。自分たちは守られている、当局もちゃんとやってくれていると当然のように受け止めて来た彼らは、それが本当なのだろうか、当局の能力は大丈夫なのだろうかと、真剣に見直そうとしている。

 

日本のどこを見回しても、騒ぎや混乱が起き、なにひとつとしてたしかなものはない。

しかしそれでも、第一部と第二部で論じた日本にとってもっとも根本的な問題は、当時と比べていまなお少しも変わっていないことはすぐにわかる。我々は「物事は変われば変わるほど、同じであり続ける」という名高いフランスのことわざを思い出さずにはいられない。

 

 

だからこそ本書の考え方が若い世代にも伝わるようにと、出版社は新版を出そうと決めたのである。(略)

 

なぜならこの二〇年間で、日本の人々は政治に劇的な変化が起きてもおかしくないという考え方に馴染んで来ているからだ。(略)

 

しかしながら、たとえ民主党が初期のマニフェストに掲げたような、日本の有権者たちが望むように日本をつくり変えるための政治プログラムが、二〇一二年一二月の選挙後に台無しにされてしまったにせよ、それでも非常に大きな政治の変化は本当に可能である、という事実が多くの人々の心に刻まれたことに変わりはない。

 

 

そして日本の人々の心にその可能性がとどまり続けるかどうかが、民主党政権後の日本の政治にとって実に重要な意味を持っているのである。(略)

 

 

これほど大勢の人々が異議を唱えて街に繰り出したのは、一九六〇年代以来のことである。

しかも霞が関に集まる通常の抗議デモとはいくつかの点で違っていた。というのも、デモには遠方から子供連れで駆け付けた母親たちが、若者たちとともに参加していたからだ。

 

 

彼らの存在はこのデモのなかでは重要な意味を持っていた。それにもかかわらず日本のメディアがそれにまったく関心を向けようとしなかったために、一般の人々の中でもこの事実が十分に認識されていないのだ。(略)

 

 

 

バランスが悪いと言ったが、実際には完全にバランスを書いている。政権の座についてまもない民主党がこの政治の基本にかかわる状態をただそうとすると、激しい妨害が起こった。理想を掲げた人々だれもが大きな打撃を受けた。民主党内の相当数の政治家たちが、二〇〇九年の選挙で掲げた公約に真っ向から反対する動きを支持したからである。

 

 

野田が首相に就任した後、果たして彼は所属する政党がどのような意図を持って設立されたのかがわかっているのだろうか、と思うことがしばしばあった。なぜなら彼は、選ばれた政治家に政策決定権を取り戻そうとするどころか、民主党を分裂させ、有権者が選んだわけでもない官僚による自動操縦状態にこの国を託す方向へと、突き進んでいるように見えたからだ。(略)

 

 

 

官僚がのさばっているからこそ、そうした状態を変える必要があるというのに、根本的な改革をしようとの考え方そのものが、当の官僚にやすやすと乗っ取られてしまったかに思われる。小泉純一郎が首相になったとき、彼こそ日本が待ち望んできた偉大なる改革者だと言って、メディアがどんなにうかれ騒いだかを覚えているだろうか?(略)

 

 

小泉はネオリベラリズムという名で知られる経済政策の右傾化を、日本にとって必要な改革であると取り違え、それをやすやすと信じ込んでしまった。だがこのような政策こそ、アメリカやヨーロッパの社会経済に大変なダメージをもたらしたものなのだった。

 

 

地位の高い日本人政治家というのは、たとえ初めは改革精神にうながされていたとしても、財務省の役人に睨まれると、大抵の場合はその志を持続できなくなってしまうものらしい。

 

 

菅直人も例外ではなかった。私は彼が財務大臣在任中に、官僚によって洗脳されてしまったのだ、という気がしている。彼には官僚を支配するい必要な知識がなかった。首相就任後の彼は、惨めにも失敗した。特に二〇一一年三月の大震災後、大規模な支出をともなう計画を打ち出す英断がなによりも必要であったにもかかわらず、彼にはそれが出来なかった。(略)

 

 

 

小沢、鳩山と協力して取り組んでいれば、菅は官僚たちの権力に対して、もっと強く立ち向かえたはずである。ところが菅は二人から遠ざかることで民主党の亀裂を深めた。

そして野田が首相になった。(略)

 

 

野田の脳みそは財務官僚のそれと目に見えない線で繋がっているのではないかと思えるほど、彼はロボットさながらに財務官僚たちの言いなりになった。

彼が消費税増税を主張して止まなかったのもそのあらわれだった。(略)

 

 

日本の政党政治の歴史を研究している人間なら誰であれ、自分が所属する政党の力を削ぐに決まっているのに、なぜ野田がそのような行動をとったのかまったく理解できない、と考えることだろう。

 

 

幅を利かせる財務省

 

この第三部の冒頭で財務省に焦点を絞って議論を進めてきたのは、鳩山由紀夫以来の民主党の首相に同省がおよぼしてきた影響力が、重要な意味を持っているからである。それは東日本大震災以後の出来事のみならず、今後の日本の将来についても当てはまる。

 

 

 

この国を政治的にしっかりと統轄することがいかに重要であるかは、大震災後の状況のなかでこれまでになくはっきりと浮き彫りになった。大地震と大津波に見舞われた後、日本は実に多くの点で対応を誤った。そのために、大変な被害に見舞われた地域経済を復興させるための、大きなチャンスを取り逃がすことになったのだった。

 

 

民主主義にのっとって良好に機能する公式の政治システムのなかで、頂点に位置する政治家たちは、なにを優先課題にすべきかを決めなければならない。つまりその時々でなにが国にとって一番重要であるかを見定めなければならない、ということだ。多くの地域が壊滅的な被害を受け、国民に多数の死傷者が出た大災害後の危機的な状況で、このことがなによりも重要なのはすぐにわかるだろう。(略)

 

 

これはそれまであまり顧みられることのなかった東北地域にメリットをもたらす、と思われた。ところがこのチャンスは、これを書いている現時点で、活かされているとは言えない。被災地の多くの人々はちゃんとした住居ができるのを未だにまっているような状況である。

 

 

こうした事実に加え、工業国・日本を再活性化させ、日本の人々にとってもっと住みよい場所にするというビジョンに、財務省の役人たちが心動かされることはない。それどころか、彼らはすでに遠い過去にさかのぼる、かつての政策にいまだに従っている。同省のなかで主流派に属するキャリア官僚たちの間には、財政保守主義と呼ばれる根強い伝統がある。(略)

 

 

経済大国を築くという目的達成のために、経済機構の官僚と共に、日本の省庁の官僚たちが最善の方法と目していたやり方は、ドッジが勧めたものとはまったく違っていた。しかしこのドッジ・ラインがいつまでも忘れられないらしく、キャリア官僚たちはその後もときどき、これこそが正しいやり方であるかのように話題にするのだ。(略)

 

 

いまの財務省のキャリア官僚たちに共通して見られる財政保守主義も、こうした歴史に根差している。さらに右翼思考の影響を受けた海外経済の流行がこうした傾向をいっそう助長することになった。

 

 

別の著書のなかで私はこの世界的流行をウィルスに例えたことがある。最初に感染したのはアメリカである。同国では大富豪が政治を牛耳るようになり、彼らにおあつらえむきのイデオロギーを提供し、貢献するエコノミストたちは、公共サービスのための予算は削減すべきであるという考えを、まるで宗教の教義ででもあるかのように強く主張する。(略)

 

 

日本の財務省の官僚たちも同じウィルスに感染していることは疑いない。消費税増税とともに、この流行を推進するアメリカの圧力とも言える。直接的な影響も受けているのだろう。(略)

 

 

もちろん日本の政府赤字がGDP比で大変な額に上っていることは事実でも、アメリカやヨーロッパ諸国など苦境に陥った国々とは違って、日本が外国の金で負債をまかなっているわけではない。日本の政府債務はすべて国内でまかなっているのである。(略)

 

 

多くの人々に現実が理解できないのは、彼らが日本政府のふるまいを自分たちの家計に重ね合わせて理解しようとするからである。もし読者の家計が借金を抱えていて、将来、それを返済する手立てが見つからなければ、いずれ破産するだろう。しかし国の財政は家計のやりくりとは全く違う。(略)

 

 

日本の国民が消費税増税を望まないのは当然だし、人々の反応からもそれははっきりとわかる。しかし日本の健全な将来のために増税が絶対に必要だという主張を、四六時中見聴きしていれば、いまの状況をどう判断すればいいのかがわからなくなってしまう。(略)

 

 

日本の政界における巨人・小沢についてこれまでもたびたび執筆してきた私は、小沢こそ、彼の人格と志をおとしめようと、長期にわたって繰り広げられてきたキャンペーンの被害者だと思っている。これは検察と日本の大新聞の幹部編集者たちが展開する、きわめて有害なキャンペーンである。

 

 

日本の司法関係者と大新聞の編集者たちはともに、どんな手を使ってでもいまの日本の既存の政治体制を維持したいのである。そして官僚の力を削ぐすべを心得、しかもそれをよく理解している政治家がいれば、彼らはほぼ自動的にその影響力を抹殺しようとする。

しかもそのような試みは成功を収めることが多い。

 

 

 

小沢と彼らとの闘いには、本書の第一部と第二部にも記したような、日本の政治にまつわる多くの面があらわれていた。それは日本を統治する究極の権利を有するのはだれか、をめぐる闘いでもあった。」

 

 

〇 消費税増税など必要ないというこの著者の主張と、「ジャパン・クライシス」の主張は正反対です。いったいどっちが正しいのか。

どちらの著者も「いかがわしい嘘つき」には、見えません。むしろ見識ある、良心的な人に見えます。一体何をどう考えて、何を信じて良いのか、分からなくなります。

 

 

 

 

 

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「資本を安く生み出す

 

非常にコストの安い資金調達を大々的に行なった第二の時期が、「バブル経済」であった。これは本書の第二部の核心に触れる問題である。このことをもっとよく理解するには、「オーバーローン[銀行の貸し出しを含む全運用資金が自己資本の合計額を大きく上回り、その差額を中央銀行の貸し出しによって穴埋めしている状態]」として知られる第一期がどうであったか、という視点になって検討する必要があるだろう。

 

 

 

一九五〇年代と六〇年代に、戦後の産業グループのかなめとなった系列銀行がそれを行ったのは、十分な理由があってのことだった。彼らは単なる銀行以上の、「資金ポンプ」と呼べるような役割を果たしていた。

 

 

「奇跡の経済」の初期の段階では資金が非常に不足しており、その乏しくも貴重な資本を手に入れられる企業だけが、日本の重工業や消費者向け輸出産業の主力へと育っていった。そうした企業はもっぱら今日の系列組織へと、やがて進化することになるグループに所属していた。

 

 

戦時経済の運営にかかわったことのある人々は、一九五七年頃、すばらしく効率のいい金融システムを計画した。このシステムでは市中銀行は同じグループのメンバーに対しては、先進国の銀行の規準からすれば、通常よりずっと多くの融資をすることができた。

 

 

普通、銀行は相手に確かな資産がなければ融資はしない。資産の裏付けを要求しないような金融システムは信用できず、そのような経済は絶えず危機的な状況に陥りかねないだろう。中央銀行は融資の裏付けとなる市中銀行の財政状況を確認しなければならないため、彼らに準備預金を要求する。

 

 

日本の中央銀行市中銀行に対して非常に寛大な態度で臨んだことは、奇蹟の経済成長を二〇年にわたって促し続けたこの国の金融システムのなかでは、決定的に重要な意味を持っていた。(略)

 

 

 

財閥の持ち株会社(当時、民間企業の利益に寄与していた)がなくなると、それにとって代わった銀行はネットワークを築き、実質的に無尽蔵に資金をていきょうしながら、政府官僚やビジネス官僚を支える一方、中央銀行は彼ら銀行が生き残れるようとりはからった。

 

 

 

この「オーバーローン・システム」のはじまりは、明治時代に工業化を急速に進めた頃にさかのぼる。(略)

 

 

戦争中、健康な日本男性は兵士になるしかなく、ほかのすべての日本人が「天皇への敬愛」から当局に従わされていた時でも、そうした風潮に反発する企業が民間部門には残っていた事実を忘れてはならないだろう。(略)

 

戦前の日本では、世間は利潤を求める実業家たちを見下していた。金儲けはつねに愛国精神に反するものとされていた。すべての国民は天皇の、そして国の栄誉あめに尽力すべきときに、利潤を追求することは流れに逆らうも同然だった。(略)

 

 

しかし太平洋戦争が終結するまで、日本の戦争能力を最大化しようとする役人の意向に無条件でしたがおうとはせず、力強く独立性を保った民間部門はあったのである。(略)

 

戦後の「オーバーローン」のモデルとなったやり方が整ったのは一九四三年末のことだった。当時、軍部は当初の予想を上回る莫大な物資を消費していた。そしてすでに述べたように、民間企業は当局の意向に反してあまり協力的ではなかった。

 

 

 

そこで特別な措置が必要となり、「軍需融資指定金融機関制度」が儲けられた。これによって実質的に日本のあらゆる金融機関は有無を言わせず資金面で協力させられることになった。(略)

 

 

いまやオーバーローンは過去のものとなったが、後の手法もこれと同じ考え方を受け継いだ。つまり物価を十分にコントロールし、消費者経済を混乱させるようなインフレを予防できるのであれば、どんどん金を刷るだけで問題は解決できるというものである。

 

 

 

バブルの英雄たち

 

「オーバーローン」に続く「バブル経済」が登場すると、不動産の価値を二倍、三倍、四倍に膨らませることで、コストのかからない資金が生み出せるようになった。(略)

 

ただし誤解しないでほしいのだが、これは不動産ディーラーたちが会議室で考えて起きたことではなかった。大蔵省が暗に銀行に融資を増やすように勧めたことから始まったのである。(略)

 

 

欧米のエコノミストやビジネスマンたちはなおも、日本の金融当局が本当にそれをやった(つまり市場とは関係なく地価や株価を吊り上げた)とは信じられずにいる。というのも彼らには非公式な権力関係こそが日本の政治システムを支えている事実が理解できないからだ。

 

 

もし純粋な市場経済のなかで、「バブル経済」時のような金を生み出すやり方を実行したのなら、惨憺たる結果が生じることだろう。資産価値の高騰は一般経済お波及しかねなかった。だが円高がそれを防いだ。

 

 

さらにもうひとつ重要だったのは、日本の金融当局や金融業者、また産業界の有力者たちは、非公式ではあるが経済プロセスを強力に支配しているので、資産価値の高騰が消費経済に影響を及ぼさないよう、防ぐことができると気づいていた点だ。きわめて複雑な日本人の個人的なつながりや、企業間の非公式な結びつきれば、物価をコントロールし、経済に有害なインフレを避けるには十分だった。

 

 

つまりこのように舞台裏では、経済的な現実を生み出す「バブル経済」の英雄たちがきわめて効率よく管理していたのであった。

 

 

ヨーロッパ諸国やアメリカの金融当局なら、霞が関の当局者たちがやったようなことは、決してできなかっただろう。欧米諸国にはなにが経済の現実であるかについて独自の意見を持つグループがあまりにも多すぎる。また彼らには経済破綻を防ぐために株価を人為的に高く維持するなどということは決してできなかっただろう。

 

 

金融専門のうるさいジャナリストたちの質問に答えなければならず、さらには自分たちが何をしているかを首相なり大統領なりに対して説明しなければならない。(略)言い換えれば、彼らには説明責任があるということだ。

 

 

 

日本の財務官僚たちはそんなことに頓着する必要はない。彼らは非公式な権限をふるって、日本の大きなビジネス上の取引に干渉できる。しかもどの企業が融資を受け、どこが受けられないかを最終的に決めるのも彼らである。

 

 

また彼らは利率を決定し、資産価格をコントロールする。恐らくそれ以上に重要な意味があるのは、経済的な現実を生み出す際の、メディアとのすばらしい関係だろう。

 

 

日本では財務省に付随する記者クラブに所属していなければ、新聞で定期的に金融ニュースを伝えることはできない。(略)

財務官僚は公式見解に沿った記事を書いてくれるのであれば、すぐれたアナリストと目をつけた人間や、影響力が高いと見た者には、「内部」情報を与えてやる。

 

 

そのため日本経済新聞は「バブル経済」を生み出した高級官僚の見解をさかんに宣伝する役割を果たすようになった。日本の経済評論家や大学の経済学教授のほとんどは、同紙というアンプにつないだスピーカーのようなものである。

 

 

彼らのほとんどは恐らくそれ以上のことを知らないのだろう。なかには偽りの現実であるとよくわかっている人間もいるのだろうが、もし私がいま論じているような分析を披露すれば、名のある機関で仕事を続けられなくなってしまうだろう。

 

 

日本の金融官僚たちがこのようにしっかりと政治権力を握っていられる理由のひとつは、単に彼らがだれよりも詳しく情報に通じているからにすぎない。(略)

たとえば彼らはどの大手銀行が実質的に破綻しているか、独立の公認会計士が監査すれば、不健全であるとしてとっくに倒産していたに違いない企業がどこかを知っている。

 

 

 

彼らのおかげで、平成ブームという世界市場からしても最大規模の設備投資が可能になった。しかしそのために日本の市民は大変なつけを支払わされた。(略)

日本の大手企業が投資するのに必要な金の最終的な供給源となったのは、日本の一般の人々の預金だった。それが保険会社や信託銀行を通じて株式市場に流れた。日本企業はいまもこのときの投資で購入した資産を保有している。

 

 

 

しかし官僚たちが膨らんだ風船から空気を抜くことにし、市場が「崩壊」した後、何兆円もの金が日本の家計や金融機関から失われてしまった。家計部門から産業部門への富の移転は一九八〇年代の後半から着実に加速していった。(略)

 

 

いまこの文庫版に加筆・修正している時点で、いまだに日本のバブルと欧米のそれは比較されているわけだが、その分析の殆どは正確ではない。既に述べたように日本とアメリカのバブルの目的は違っていたし、その始まり方も異なっていた。

 

 

どのように違っていたかをもっと明らかにするには、もう少し説明が必要だろう。それにはまずいわゆる経済の金融化という重要な展開に目を向けなければならない。つまりは政治経済のなかでもっとも重要な活動が製造やサービスの生産ではなく、資金運用にシフトしたことである。

 

 

 

それは一九九〇年代になって極端に加速したために、経済の現実を理解しようとしてきた人々の大半が、その展開についていけなくなったほどだった。

アメリカはその先駆けであった。ヘッジ・ファンドやそのほかの非銀行系金融機関や、従来の銀行が、そのはじまりの段階では日本では財テクと呼ばれたこの手法を取り入れるようになっていった。(略)

 

 

金やその代替物の取引は、二〇世紀の終わりにかけて、いまだかつてないほど極端なまでに過熱していった。それが可能になったのはパソコンの性能が向上して超高速演算が可能になったからだが、経済は社会にどのように貢献すべきか、という政治の基本的な問題が忘れ去られてしまったことが災いしていた。

 

 

これはきわめて重大な点である。(略)

金融機関が金からさらに金を生み出すために、前代未聞の途方もないやり方に手を染める一方では、製造業やサービス業といった「実体経済」は停滞していった。すると人々の給料や賃金も横ばいになった。(略)

 

 

アメリカではバブルに次ぐバブルを生むことで、こうした流れのすべてを循環させなければならなかったのだ。(略)

 

 

こうして金融システムはとてつもなく拡大し、しかも脆弱となっていった。そして銀行はどこもクズ同然の莫大な金融商品を抱え込むようになっていた。ところがそれまで疑わしい資産に金を賭けていた銀行が、同じように詐欺同然の手口を駆使する同業者への疑心暗鬼から、互いに融通し合うのを止めると、金融システムの崩壊がはじまった。

 

 

ここでも忘れてならないのは、これに関わった銀行家や投機を行っていた者たちが、信じがたいほどの金持ちとなり、途方もない報酬を自分でも得、互いにも与え合っている一方では、生産という経済活動は止み、後退し続けていることである。このように日本の「バブル経済」がたどった道とはまったく違うのである。」

 

 

〇ここを読むと、今の政府が市場や株価をコントロールして、見せかけの好景気を演出している手口は、もうずいぶん前からの官僚のやり口だったのだということが、よくわかります。

 

筋の通らないやり方に黙って「従う」政治家でなければ、このようなやり方は、

出来ないわけで、自民党の政治家が何故あれほどに、「低レベル」なのかも、

納得できるような気がしました。

 

それにしても、せめて、犯罪は、取り締まらなければ、社会の根幹が、崩れてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「実体なき経済の魔力

 

経済のことなどほとんど関心のない人であっても、製品をつくり、穀物を生産してそれらを売る活動と、金や株式を売買し、あるいはゴルフクラブの会員権に投資するといった活動との間に違いがあることは知っている。これらはふたつの別個の経済のように見えるし、その違いははっきりしている。(略)

 

 

だが後者の経済では、我々は自分たちが取引する物に触れることができない。こうしたものには、ある瞬間にはとてつもない価値があるかもしれないが、次の瞬間にはほとんど無に等しくなることもある。(略)

 

 

こうして人々は実体のない「ペーパー経済」と「実体経済」とを区別するようになった。(略)

 

 

日本の不動産の名目上の価格が膨れ上がるにつれて株価も上昇し、それが公式の地価を押し上げたために、読者も知ってのように生産能力のさらなる向上拡大が可能になったのだった。こうして互いに密接に結びつく日本企業は、コストを削減するため、そして新しい製品をつくるため、大規模な設備投資をする手段が与えられたのだった。

 

 

不足と価値について

 

仮に二〇〇〇年のある時点で、経済史の専門家が二〇世紀の経済システムの大きな変化を振り返り、日本の管理者たちが手掛けた新しい手法のなかで、もっとも重要な意味があったのはなんだったかを自問したとすれば、ほぼ無の状態から資本を生み出したこと、というのがその答えとなるはずだ。

 

 

 

新手法を手掛けた彼らの中心をなすエリート集団は、かつて古くて質素な東京中心部のビル、つまり大蔵省で日々を過ごしていた。私が見る所、ほとんどが東京大学法学部卒業で、金持ちの娘と結婚し、連日遅くまで働く彼らは、現実を作り出す手腕にかけては世界でも選りすぐりの人々であろう。

 

 

この「現実」という問題について、ここで言っておきたいことがある。すでに述べたように、政治化された日本社会を維持してきたのは偽りの現実である。つまりウソや幻想によって日本社会が保たれているということだ。

 

 

もうひとつこれとは別に、架空の現実ではあっても、しっかりした現実となり得るものがある。それは、誰もが通常の現実はこういうものだ、という想像にしたがって行動するようになるからだ。

 

 

これが一番よく当てはまるのは経済活動である。人々が信じるからこそ、それは経済の現実となるのである。つまり経済的な現実は心理的な要因に大きく左右される、ということだ。(略)

 

経済学というのは価値について考える学問である。(略)

初期の経済理論のなかで一番よく知られているのが労働価値説である。物質面で生活を豊かにするものは、すべて人々の労働から生み出されるという考え方である。

 

 

それに関連するのが、不足という概念である。(略)物が不足していなければ、経済学という学問も存在しないわけである。(略)

 

 

諸国政府も財政や国の経済全般ができるだけ豊かであってほしいと望むものだ。しかしどんな階層の人間であろうと、その経済生活にも限界はある。(略)

 

この限界を打破できればどんなにいいことだろうかと思うが、個人でそれを打ち破るのは不可能だ。そして多くの人々は仕事を続けざるを得ず、エネルギーをすべて会社に吸い取られてしまうのだから、そんなことはすっかりあきらめるより他ない。しかし経済の限界を克服するという、終わりなき難問に取り組む政府は、つねに足りないものを減らし、価値を生み出そうとする。

 

 

そして日本の官僚よりもこの問題にうまく対処できた政府を私は知らない。一見すると、日本の官僚は世界中の政府やエコノミストたちがつねづね不可能だと考えて来たことを達成したかに思える。完全なる無に見えるものから価値を創造することにかけて、彼らほどすぐれた手腕を発揮した者はいない。

 

 

 

日本の偉大なる経済的成功を可能にした要因は、ただひとつというわけではない。そこには無数の要素がかかわっていた。既に述べた組織的な要因、満州で推進した強引な産業開発から得た多くの教訓、傑出した官僚たちの能力と献身ぶり、そしてとりわけ厖大な数の日本人労働者がひたむきに職務にいそしんだことなどだ。

 

 

 

しかしこうしたプラスの要因があるにせよ、コストが非常に安い資本を経済にふんだんに投入するという驚くべき手法を用いなかったら、無理を重ねて産業システムを発展させ、世界市場の多くを支配するにいたる力を発揮できたかどうかは疑わしい。

 

 

しかもその間、銀行が預金を企業にせっせとまわすことで、つねに家計部門から産業部門へと富は移転していた。その一方では、消費者金融制度が未発展なままに取り残されていたのだ。

 

 

しかし大がかりな低コストの資金調達は二度にわたって、しかも長期間、行われた。それは海外の目には、強力な魔術でも使ったかのように映ったのだった。」

 

 

 

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「第二章 説明責任を果たそうとしないバブルの張本人

 

日本の市民たちがときおり受け入れさせられる偽りの現実とは、壮大で、驚きのあまり思わず息をのむほど巧妙な欺瞞である。その典型例でもあり、同時に人々の暮らしの根本にもかかわるものが、「バブル経済」であった。これはきわめて重要な出来事である。(略)

 

 

 

この中では「バブル」という言葉そのものが、偽りの現実の形成におもな役割を果たしている。(略)

 

 

だが一九八〇年代後半に起きた出来事を理解しようと思うなら、泡沫を意味する「バブル」ではなく、「風船」を思い浮かべ、そこに「ゴム」や果ては「皮」といった形容詞を付け加えるべきだ。(略)

 

 

これまであなたは「バブル経済」は不動産投機によって起きたと繰り返し聞かされてきたことだろう。そして投機は銀行融資でまかなわれてきたので、あなたは新聞に寄稿する多くの有識者たちと同じように、「バブル経済」の責任の大半は市中銀行にあると結論付けたかもしれない。

 

 

さらには、銀行業界の規制緩和のせいだとする、大蔵省の説明を耳にしたこともあるかもしれない。しかしあなたは大いに誤解させられている。

 

 

 

なぜなら「バブル経済」には秘められた目的があったからだ。日本でこのことを知っている専門家はもちろんいるが、彼らはあなたにその事実を伝える気はない。そして政府の専門家たちも、現実の真の姿を明らかにしようなどとは、決してしないだろう。

市民であるあなたは、政府の専門家や評論家たちというのは、人々の信頼を裏切るものだ、という事実を忘れてはならないのだ。

 

 

 

バブル経済」の真の目的は、たしかに政府の公式の政策ではなかった。状況の論理から生じ、管理者たちが非公式な権力を行使しようと、複雑な手法を通じて進めて行ったのが、バブルだった。(略)

 

 

このことは、そこから空気を抜くために、金融当局がどんなやり方をしたかを詳しく検討すれば、すぐにわかる。

 

 

二番目に、その本当の目的が何であったかを理解するには、「バブル経済」でおもに利益を手にしたのがだれだったかを知らなければならないだろう。最大の恩恵に浴したのは、系列システムと政治的に密接に結びついた大企業だ。実際、彼らはそのすべてを得た。(略)

 

 

なぜそんなことが可能になったかを説明する前に、「バブル経済」などと実態にそぐわない呼称がつけられたこの現象の背後で、なぜ各機関が際立った協調ぶりを見せたのか、その理由を理解しておかなければならないだろう。

 

 

戦後日本が征服したもの

(略)

 

燃料や原材料、食料や生産機械の一部、それに航空機といった、日本経済が自力で供給できないものを買うためには、国際市場で稼がなければならない。

 

 

ところが日本の管理者たちが推進する使命によって、日本の輸出額は、輸入で使う外資獲得に必要とされる金額をはるかに上回って膨れ上がった。二〇一一年三月の大震災とそれにともなう大津波による

打撃で落ち込むまで、日本は数十年にわたって巨額の貿易黒字を計上してきた。その巨大さゆえに世界中でひんしゅくを買うにいたったのである。(略)

 

 

ところが日本に輸入される外国車はいまなおかぎられた市場向けでしかなく、また海外産の電子機器も、国内消費者市場では日本の有名メーカー製品と比べればもののかずではない。それは第一部で述べたように、「販売系列」というたてのつながりや業界団体を通じて、外国勢との競争から日本の市場を管理し、守るのが比較的容易だからである。

 

 

こうした日本のやり方は新重商主義として知られている。一六世紀から一八世紀のヨーロッパに広く見られた重商主義の新型である。ちなみに、多くの日本人は、自分たちがなぜ重商主義だと批判されるのかが理解できないらしい。それは彼らが重商主義を「貿易立国」と同じ意味だと解釈しているからだ。しかし重商主義経済とは、他諸国を犠牲にして自国の力を強化することにつながる。(略)

 

 

日本の輸出業者が狙い定めた海外の産業部門が、台風にともなう豪雨を思わせる輸出攻勢に突如として見舞われればどうなるかを想像してみてほしい。(略)

 

半導体産業など、その恰好の事例だろう。いくつかの種類のチップが、利益を度外視し、単に日本勢の市場シェアを確立するために、大量に国際市場(特にアメリカ)に供給された。このようなやり方を見て、先のレオン・ホラーマンは、日本の官僚は自国を、できるだけ多くの世界の重要な産業部門の「司令部」にしようとしている、という結論にいたったのだった。

 

 

読者は退屈に思うかも知れないが、ここでこの「貿易問題」とは、経済ではなく政治問題である、という点に目を向ける必要がある。

その違いは何だろうか?(略)

本来、「経済学」と呼ばれる独立した学問はなかった。というのも人間の暮らしの経済的に重要な側面は、政治哲学の問題として研究されていたからだ。そしてそうしてしかるべきだったのだ。世界のどこでも、経済と政治は関連し合っている。(略)

 

 

政治化された日本社会では、政治的な思惑の方が経済より重視されていることはすぐにわかる。日本の経済機構同士は、非常に長期にわたって相互に守り合い、拡大をめざしていることから、彼らの目的は経済ではなく政治的だと言える。(略)

 

 

日本経済に関して、専門家の意見が分かれる点は多々あるが、そのなかで日本の企業が収益よりも市場シェアを長いこと重視してきた、という点でほぼすべての人々は一致した見方をしている。(略)

 

 

また普通、経済活動をはじめると、市場での地位を確立するまでは、最初は損失をこうむっても仕方がないものだ。しかしここで疑問に思うのは、どの時点で、市場での支配領域を広げることから、収益を求めることへと軸足を移すのか、ということだ。(略)

 

 

系列銀行は同じグループ内のメーカーに融資し続けるが、それは系列システム全体が拡大を望んでいるからだ。日本企業が市場で短期間に確固たる地位を築けるようにとりはかる、というのが伝統なのである。

 

 

 

彼らの背後には手厚い支援体制がある。国内市場では価格を高くし、それが輸出を後押しし、系列銀行やほかのメンバーたちも協力を惜しまない。彼らが一丸となって海外市場シェアを勝ち取ろうと動く場合には、欧米企業にはとても真似のいないような低価格で、しかも長期にわたって製品を提供する。ここでもやはり収益より市場の制覇が優先されるのである。

 

 

 

日本企業と競争しなければならない海外の産業は、このようなやり方にはうんざりさせられている。日本の経済活動に対して海外が不信を抱くのも、こうした偏った攻勢のかけ方に強い不安を覚えるからである。(略)

 

 

だが私は「失われた一〇年」など存在しなかったと考えている。

これは問題の上っ面をなでただけの呼称にすぎないのだが、当局にしてみれば、みんながそう信じてくれる方が都合がよかった。アメリカ政府は圧力をかけ、要求を突きつけるのを止めるし、日本の労働者たちは報酬がカットされても文句を言わずにしたがってくれるからだ。

 

 

 

「失われた一〇年」とされるこの時期は、東京のかなりの地域と大阪での再開発とともにはじまった。その結果、東京は以前よりずっときれいになった。かつて上昇を続けていた経済指標が上りはしなくても、またこれまで見慣れた形となってあらわれたわけではなくとも、大がかりな経済活動はたしかに行われていたのだ。(略)

 

 

日本の人々にもっといい住宅環境を与えることは、経済面でも有益であり、また社会的にも意義あることだ。日本企業は日本に必要な海外製品を買う外貨を稼ぐために、まだこれからも輸出しなければならないだろう。しかし無限の拡大をめざす生産マシーンが生み出すものの多くは、国内市場に向けることができる。

 

 

日本では連携のとれた作業によるインフラ整備がなによりも必要とされている。それが日本の人々にいっそうのメリットをもたらすのは間違いない。これは当然やらなければならないことなのに、なぜそうならないのか?

 

 

我々はその理由を別の議論の中ですでに検証した。官僚たちは出来るだけ早く日本が欧米諸国に追いつけるようにするという、本来の任務を果たした。だが本来の目的に達した後も、彼らは自分の役割を変えようとはしない。

 

それを変えられるはずの国会が、重要問題をひとつも決断できないのは、残念なことにこれがうまく機能していないからだ。国会は政策を議論することもなく、政治スキャンダルに明け暮れている。(略)

 

 

一九七一年にアメリカが為替レートの見直しに踏み切ると、どう対処すればいいのか考えあぐねた大蔵省は、当初、「円を防衛」するという、同省始まって以来の最大の失敗をおかした。

大企業のように系列システムの支援をほとんど期待できない日本の中小企業の多くが、ドル・ショックの余波で大変な損害をこうむった。円の価値が上昇したために、海外収益は吹き飛んだ。

 

 

 

しかし日本という生産マシーンはまたしても驚異的な回復力を見せた。(略)

その後しばらくして、アメリカ政府は日本の国際貿易収支が常に黒字で、しかもアメリカとの貿易がきわめて不均衡であることは「耐え難い」と判断した。(略)

 

 

 

この事態に、日本を注視する多くの外国人たちは、日本企業は海外市場、特にアメリカ市場でのシェアの大半を失うことになるだろうと考えた。ところがそうはならなかった。なぜそうならなかったのか?

 

 

彼らはどんなに安くても、海外の人々が買ってくれる値段で製品を売ったからだ。なかにはアメリカ市場を独占するに近い地位を獲得した日本企業もあった。だがメーカーの多くは長い間、海外輸出で赤字を計上することになった。

 

 

こんな状態で、日本の生産マシーンはどうやって拡大し続けたのだろうか?非公式とはいえ、誰の目にも明らかだった戦後日本の使命をどうやって果たし続けたのだろうか?

 

 

このような疑問を投げかけてこそ「バブル経済」の目的が明らかになるのである。戦後の世界経済が発展するなかで迎えた「必然的」な転換期に起きたのが「バブル経済」だった。状況の論理にしたがううちに、日本の金融部門の管理者たちは、経済活動ではまったく新しい分野を操作できそうなことに気づいた。」

 

〇 難しくて、よくわかりません。

 

 

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「状況の論理

このことについてもっとつぶさに検証してみよう。企業や銀行、業界団体、企業内労働組合、インフラ整備などを含め、日本という生産マシーンは飛行機にたとえることができるかもしれない。

 

 

飛行機と同様、これは基本的には不安定である。強い風や雷などに見舞われれば飛行機は激しく揺れ動くが、不景気やエネルギー危機もそれと同じようなものだ。

パイロットは予定のコースを大きく外れたり、機体が墜落しないよう、絶えず修正を加え続けなければならない。

 

 

 

これは退屈だし疲れる作業でもある。そこで飛行機を地球の形に沿って、安定的に、適正な高度を保つため、自動操縦装置というものが開発された。

自動操縦装置は機体を決まった飛行コース上に保つ慣性航法装置に連動しており、方向舵、昇降舵、スロットルなどにどのような指示を送らなければならないかを「知っている」。

 

 

 

機体全体が飛行コースを「知っている」のは、航路上の位置を意味するウェイポイント、要するにフライト・プランであり、任務にしたがって、あらかじめ航空士によって多くの数字が入力されているからだ。

 

 

本書ですでに明らかにしたように、日本という生産マシーンの主要なフライト・プランはずっと以前からすでに確定していた。すなわちそれが、戦後の日本にとっての、生産能力を無限に拡大するという使命であった。(略)

 

 

 

飛行コースは決まっているが、いつまでたっても目的地に達することはない。日本という生産マシーンをどこに連れて行くつもりなのか、操縦士が我々に教えてくれたことはない。なぜなら操縦士などいないからだ。

 

 

国会も、首相もほかのだれも操縦士の仕事をやっていない。なぜなら日本には政治的な説明責任というものが存在しないからだ。(略)

 

 

そして彼らには説明責任が要求されないので、有権者やメディアから日本が快適に着陸できる目的地へ向かって真剣に舵取りを行う時期がきた、などと促されることもない。ちなみに日本にとっての着陸地点とは、単なる成長に次ぐ成長ではない、それ以外の経済活動の望ましい目標とはなにかを検討することにほかならない。

 

 

読者も自分自身の経験から、私の言う「状況の論理」が理解できるのではないだろうか。たとえばあなたは理由があって何かをやってきたのに、その理由について考えなくなってしまったとする。読者がそれをやってきたのは、周囲の人々があなたにそれを期待したからである。

 

 

世界中の多くの政治活動はなんらかの目的があって行われているわけだが、それでいて目的はとうの昔に忘れられてしまっている。(略)

 

 

日本の官僚機構には大規模で、きわめて重要な記憶がそなわっている。つまり時の流れと共に状況が変化しても、あれこれ考え、省庁間で議論を行うといった骨の折れるプロセスを経る必要がなかったということだ。(略)

 

 

それぞれの組織には行き届いた集団的な記憶があって、それは個人の記憶よりはるかに価値あるものであった。(略)

つまり大抵の場合、なにか意志決定が必要な事態に直面する時、官僚たちは進むべき方向はただひとつであると強く感じるのである。(略)

 

 

彼らは状況に左右される。しかしもっと高いレベルでの選択、すなわち日本という国家の目標に関わるような選択は排除される。

官僚たちをこうした高いレベルの選択について考えるよう仕向けられる権力、あるいは政治的な意見を持つ人間は一人もいない。

 

 

 

これを示す最近の悲しい事例が、東日本大震災での福島第一原子力発電所の自己であった。日本の将来の世代の健康や安全に大きな影響を及ぼしかねない深刻な事故であったにもかかわらず、この国を運営する最上層を占める人々は、原発という規定のプログラムをそのまま継続するのみで、政策を変えようとはしなかった。

 

 

 

もちろん日本の人々は政策の転換を求め、それを声高に叫んでいた。ところがそうならなかったのは「原子力村」と呼ばれる、従来の原子力政策の継続によって利益を得る企業や専門家など関係者の働きかけによるところが大きい。

 

 

このことからも政府の官僚やビジネス官僚たちが手を組み、いかに強力に日本の民主主義を押さえ込んでいるかがわかる。(略)

 

 

しかしここには複雑な要因がある。官僚たちも人間であり、そして人間は過ちをおかすものだ。ところが日本の省庁は自分たちが間違いをおかした事実を決して認めようとはしない。そんなことをすればすべてが台無しになってしまうからだ。彼らがするのはせいぜい国民のことを十分に考えなかったと詫びるくらいのものだろう。重大な過ちをおかしたなどとも認めるわけにはいかないのだ。(略)

 

 

 

物事をうまくとりはからうことが出来るとの定評があるからこそ。彼らが権力を握っても構わないと世間は見なしているのである。それ以外に彼らを信頼する根拠はない。(略)

 

つまり、日本の官僚グループは、過去の彼らのやり方が間違っていたと示唆するような、政策的な変更を行うことができない、ということになる。ひとつでも過ちを認めれば、世間の信頼に基づいた彼らの立場が揺るがされることになるからである。(略)

 

 

すでに述べたように、日本の管理者たちは通常、自分たちの行動について説明するよう求められることはない。彼らには説明責任がないのである。つまり彼らは自分自身やその職務について、客観的に検証する訓練を受けていないということだ。

もしあなた個人が、一度も批判されず、なにをやっているのか説明するよう要求されなければ、いわゆる自覚を高めるチャンスはほとんどないことになる。同じことが日本の官僚機構についても言える。(略)

 

 

 

日本の官僚機構の最高レベルを占める人々には、社会のなかでみずからを正しく位置づけることができない。なぜならそれに必要な自覚が備わっていないからだ。

彼らには国全体と自分たちとの関係についてまったく事実が見えていない部分がある。

官僚たちは状況の論理にしたがいながら、自分たちはつねに日本にとっての最善の行動をしていると、当然のように考えている。(略)

 

 

日本では無限の産業発展という目的が適切かどうか検証されることはないのに、国を守るための当然の使命と受け止められている。そしてこのことが管理者たちにとっては現体制の維持を可能にしてくれるものであり、さらに日本にとって現体制の維持とは、生産力を拡大し続けていくことなのである。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「国家安全保障ビジネス

 

なぜ生産拡大のためにこれほどたやすく多くのことが犠牲にされてしまったのか、という質問に対する私の二番目の答えは、日本人が安全保障を強く求めているからというものだ。

 

日本人が安全を求める気持ちは並外れて強い。日本国民と政治エリートたちは自分たちがさほど安全だとは感じていないようである。(略)

日本のために場所を空けてやろうとする国はひとつもない、日本は気まぐれな外部勢力に翻弄されている、日本は理解されていない、その意図もわかってもらえない、日本が信頼できるような国も国際機関もひとつもない、などと考える人々は非常に多い。

 

 

 

思い過ごしとも言えるこのような被害者意識は、日本が開港を迫られて外国船を受け入れ、都市部に海外からの使者や商人を受け入れて以来、日本に広がっていった。(略)

 

 

日本の国際的な立場を論じるおびただしい数の評論を、長年にわたって読み、その意味を考え続けた結果、私は世界によって痛めつけられるのではないかという恐れがあまりに根強く、また浸透しているからこそ、日本は多諸国との間に良好な関係が築けないのだ、と確信するようになった。(略)

 

 

海を越えたもっと広い世界でどうすれば安心できるのであろうか?(略)

日本の管理者たちというのは、法による規制を受けず、効率的な紛争解決のための法的手段が欠如した社会政治体制の産物であった。我々はこの事実を忘れてはならないだろう。それまでの国内での経験からして、管理者たちには、国際協定や条約が信頼できるなどとは到底思えなかったのである。つかのまであっても安心感を与えてくれるものは人脈だけだった。

 

 

戦後の日本とアメリカという奇妙な関係は、両国のつながりも一種の人脈なのだと考えるならば、もっと理解しやすくなる。(略)

 

 

ところで先ほど挙げた「経済の目的とはなにか」という疑問に対する答えとして、世界の大半の国々は、生活水準を向上させることであると、ほぼ当然のように考えている。産業発展のための努力が望ましいとされるのは、それが人々の暮らしをより快適にしてくれるからだ。

 

このような基準を当てはめるならば、国民一人当たりで計算すると日本は世界一の経済成長を遂げた「国民一人当たりのGDPの統計には、資料や為替水準によって順位にばらつきがある。ちなみに二〇一一年の日本はIMFによれば一七位」ほどなのだから、平均的な日本人の暮らしもさぞ改善されたに違いないとだれしも思うだろう。

 

 

ところが周知のように、一九七〇年代以降、現実にはそうなっていない。実際、住宅や単純な娯楽といった面で、日本人の暮らしは以前より悪くなったと言える。読者も自分の経験からそれがわかるのではないだろうか。大都市圏の中産階級の住宅事情はアメリカやヨーロッパの大半の国々と比べても悪く、だれもがすし詰めの電車に、以前より長時間揺られて会社に通わなければならなくなっている。

 

 

戦後の日本経済を形作った主要な政策決定を検証してみると、日本の戦略家たちは人々の暮らし向きをよくしようなどとは考えていなかったことがわかる。彼らはむしろ国家の安全保障を重んじていた。

 

 

中期的な収益を考えもせず、生産能力の拡大のために、そして海外市場のさらなる征服の為、さらには海外資産を大いに獲得するため、稼ぎ出した利益を絶えず新たな投資に振り向けた理由が、それ以外にあり得るだろうか?(略)

 

 

ふたたび日本に目を転じ、その権力構造とこの国の経済が世界におよぼす影響を考えるならば、我々はすぐさまそこにはっきりした矛盾があることに気づく。日本は一心に経済大国をめざし発展してきたわけだが、中央政府による強力なみちびきなしにどうしてそれが可能だったのだろうか?国の利益を達成するため、これほど断固たる決意をもって、しかも献身的に取り組むには、どこかにそれを指導する強力な政治的中枢があるはずだ、と考えるのが当然だろう。

 

 

だからこそ日本に詳しい多くの人々は、神経の中枢や操縦室のような働きをなす、重要な政治勢力を代表する政策立案者グループが、どこかにいるはずだと考えたのだった。(略)

 

 

 

要するに外から日本を眺めると、そこにとてつもなく大がかりな陰謀があるように思えてくるのだ。さもなければ、日本人たちがなぜこれほど整然と、脇目もふらず、持続的に、しかも効率よく、あらかじめ仕組まれたとしか思えない行動をとれるのか、説明がつかないのである。(略)

 

 

彼らが日本の非公式な政策に関して、許容されている範囲内でのみ意思決定を行うというのであれば問題はない。だがそうではない。日本の方向性を変えるような政策を決定する必要があるかどうかに関しても、彼らは説明を求められない、という意味なのである。

 

 

彼らはそのような決定をするよう要請されることもなければ、たとえ外部や省庁内の多くの官僚が決定すべきだと感じたとしても、そうしようなどと考えもしないのである。

 

 

このことは経済大国たらんとする日本の持続的な使命を解き明かす、私の三番目の答えにも関連している。これは私にとっては一番興味ある要因である。というのも、なぜ陰謀でもないのに外部から見ると陰謀に見えるのか、という理由を説明してくれるように思えるからだ。そして日本の官僚権力のメカニズムの核心に迫るものでもある。

 

 

 

一九八〇年代のあるとき、アメリカ共和党の著名な上院議員ロバート・ドールは、日本の政治エリートが日本を自動操縦装置にまかせたなどと思わない、と述べたことがあった(貿易摩擦の最中であった)。数年後、この発言について彼と話し合ったとき、私は自動操縦という比喩は、日本政府の官僚の行動を理解するのに適切だと思う、と言った(それで彼も考えをあらためたと思う)。」

 

 

 

 

 

 

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「失われた栄誉

 

私は国民に神秘的な特性が備わっていると言われても、それを信じないし、国民が歴史の力によって動かされるとも思わない。歴史の力など、わからないことの方が多いのだ。問題が難解であるからと言って、それを国民の精神などという推しはかりがたいもののせいにするような、非現実的な考え方には注意しなければならない。(略)

 

 

 

いまここでは生産能力の無限の拡大による国力の強化という使命を解き明かす、三つの答えの第一番目、栄誉について検討することにしよう。(略)

 

 

栄誉は分かち合いやすいものだ。地域社会といった集団で成し遂げたなにかが評価されれば、地域にみなぎる喜びを我々もまた感じることになる。(略)

 

 

政治哲学史における巨人マキアヴェリが、長年、否定的な評価を受けて来たことは、読者も恐らく知っているだろう。彼が為政者に与えた助言は、皮肉っぽく、無節操で、ごまかしに長け、不実で道義をわきまえていないというのが、一般的な解釈であった。しかし彼が生きた時代には、その助言はイタリア都市国家の栄誉という、道理ある目的にかなうものであった。

 

 

国の栄誉を求めるあまり、おびただしい数の人間が虐殺されたことは、周知の通りだ。何世紀もの間、戦争に勝利し、国民すべてを征服することこそが、国にとっての究極の栄誉であると考えられてきた。(略)

 

 

みずからの領土を拡張して栄誉を獲得しようと争った諸国の中で、日本は特異な位置を占めていた。その理由のひとつは、近代史のなかでの日本の開国は、時期としてはやや遅すぎたからである。(略)

 

 

アメリカに負けた日本には、まったく正反対のものが与えられた。敗戦は日本にとって屈辱だった。それまで数十年にわたって日本がつちかってきた民族主義的な感情も、エネルギーも、敗戦によって打ち砕かれた。イギリスやオランダ、そしてフランスのように、過去に築いた帝国や大国としての地位が、集団に、自分たちは十分な栄誉を獲得したと記憶されているのとは違って、多くの日本人は世界という舞台で日本は適切な役割を果たしていないと強く感じていた。それはまぎれもない事実であった。(略)

 

 

一九六〇年代と七〇年代、日本は世界平和のために特別に貢献したと、実に多くの人々が考えていることに、私はいつも驚いたものだ。だがやがて、日本の人々はそれを国の栄誉と考えているのだ、と理解するようになった。

 

一九四五年以降、日本人はそれを切実に求めていた。しかしまもなく日本は経済大国として、ほかの追随を許さない、並ぶ者なき国際的な栄誉手にすることになる。(略)

 

 

二〇世紀の初め、日本の政治エリートだれもが、強国となって世界で尊敬される存在にならなければならない、と一致した見方をしていた。唯一意見が食い違っていたのは、そのやり方だった。外交と軍事力を通じてこそ優位を獲得できると考える人々がいる一方、経済成長こそが日本にとって理想的な道だと説く人々がいた。(略)

 

 

しかし日本では、武士の精神こそがこの国の最高のものであるとされ、商人や彼らの考え方は何世紀にもわたって見下されてきた。だから一九三〇年代の日本で、軍隊が軍事征服を通じて栄誉を追求しようと強引に決定したことは、なんら不思議ではなかったのである。(略)

 

 

人々はGNPを日本の偉大さをあらわすものとして信奉するようになった。

ではさらに拡大することで、どれほどの栄誉がもたらされるというのだろうか?すでに述べたように、四〇年ほど前の時点で、大半の日本の人々はGNPに魅力を感じなくなっていたように私は思う。(略)

 

 

しかし世界の大きな変化に日本が手をこまねき、変化を経済政策に反映いずにいる間に、こうした楽観論は大きな打撃を受けた。そしてバブル崩壊後に噴出した問題によって、半世紀でもっとも長期にわたる景気停滞へと日本経済が追い込まれると、こうした見方はさらに後退した。

 

 

 

ここで重要な点は、従来の成長をあらわす数値に頼って、経済力の拡大や縮小について考えるようなやり方は、的外れだということである。一番重視しなければならないのは、経済活動の方向性である。

 

 

経済はなんのためにあるのだろうか?もっといい暮らしをするために、経済になにを期待するのだろうか?

どんな経済関連の議論においても、こうした疑問を無視することはできない。経済帝国の建設という統計上の成果が日本人の最終目標に掲げられているかぎり、経済力を通じて栄誉を切望する日本の人々がこうした疑問について考えることはないだろう。この点については最終章であらためて検討したい。」

 

 

〇 「何のために…」という価値観について議論する習慣が、私たちにはない、というか、むしろそれは個々人がそれぞれに考えるものなので、「集団」があからさまに語り合って結論を出すようなものではない、と避ける空気があると思います。

 

生きることに意味などない、と考えるのが、最も真実な生き方だ、と

する人がたくさんいる社会では、「経済の意味」を語り合う土俵がないとも言えます。

 

西欧の価値観では、経済は何のためにあるのか、と考えるのは当然でも、生きることに意味などない、と言っている人は、様々なことの「意味」など考えないでしょう。

 

その一番の根本が違っているので、「何故議論がないのか?」とこの著者が問題視する都度、そのことを考えてしまいます。