読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第二部  昭和天皇の実像)

張作霖爆殺事件

 

橋爪 それでは二番目の「張作霖爆殺事件の際の対応」に移りたいと思います。

張作霖事件は一九二八(昭和三)年六月四日に起こりました。(略)

その結果、どうなったかと言うと、張作霖軍閥は息子の張学良によって継承された。張学良は事の真相を知るにおよび、父の仇である日本に強い敵意と不信感を抱き、その後は、国民党と共産党を橋渡しして抗日統一戦線をつくるように動いていくわけです。

 

 

ですから、結果からみるならば失敗で、やらない方がよかったとも言えるわけですけれど、とにかくそういう事件がおこる。

ここでの最大の問題は、これが日本陸軍の軍人が関与した政治的な陰謀であって、その真相を陸軍の首脳もすぐに知ったのだけれども、それについて適切な処分がなされなかったということです。(略)

 

 

この報告を受けたあと、田中儀一は「自分は軍に騙されていた」と大変に怒りまして、さっそく、元老の西園寺公望と相談する。西園寺公望は、日本の軍人が犯人であると判ったら、一刻も早く軍法会議で処罰するべきだ、それでこそ日本の国際的な信用も、軍の統制も保たれる、と正論を述べるわけです。

 

 

 

ところが閣僚たちは、小川平吉鉄道大臣をはじめとして、真相の公表などもってのほかであると、一致して反対する。孤立した田中首相は悩んだあげく、十二月二十四日になって天皇に、張作霖爆発事件は「遺憾ながら帝国軍人関係せるものあるもののごとく、目下鋭意調査中」である、もし事実であれば軍法会議で処罰する、詳細が判明次第、陸軍大臣が報告する、と口頭で報告します。

 

 

さて、ここからが天皇の行動です。天皇は事件後の七月、関東軍に責任なしという報告を、陸軍→田中首相→奈良武官長経由で聞いていたので、田中首相の新たな報告に衝撃を受ける。田中首相にはなにも言いませんでしたが、奈良武官長には、軍人による張作霖の暗殺は許しがたいむねの感想を述べています。

 

 

また陸軍大臣白川義則大将が、調査を開始すると上奏した際には、軍紀を厳正に維持するようにと注意を与えています。

そうこうしているうちに、野党が国会で、真相公表を迫るなど、この事件は政治問題化していきます。一方、陸軍は、事件の内容は公表せず、責任者の処分も最小限にとどめるとの方針を固め、板挟みになった田中首相は苦慮する。

 

 

 

軍法会議の開催を求める田中首相と、首相批判を強める陸軍との水面下での攻防が続き、結局、関係者の処分をたんなる行政処分(警戒を怠って、何ものかが爆殺事件を起こすのを防げなかったことに対する責任=要するに、犯人ではないという意味)にとどめるという妥協が成立する。

 

 

 

一九二九年六月二十七日、田中首相天皇に、調査の結果、陸軍に犯人はいないと判明した、ただし事件の発生の責任をとって、警備上の責任者を処分する、と報告する。天皇はこれに対して、「責任ヲ明確ニ取ルにアラザレバ赦シ難キ」と田中首相を叱責。

 

 

翌日参内した白川陸相の報告に対しても、首相がかつて報告した内容と違うではないか、これで軍紀が維持できるのか、と激怒して席を立った。寺崎英成御用掛が一九四六年にまとめた「昭和天皇独白録」によると、天皇田中首相にこの際、「辞表を出してはどうか」と詰問したという。

 

 

また同「独白録」によれば天皇は、河本大作大佐が、軍法会議(法廷は一般に公開される)を開けば機密事項を洗いざらい暴露してやる、と陸軍を脅迫したという事実を伝え聞いている。この直後に、田中内閣は総辞職してしまう。

これが張作霖爆殺事件に関する天皇の行動の全体です。(略)

 

 

 

この種の事件のうち、中国大陸で最初に起こった陰謀事件が張作霖爆殺事件だったわけだから、天皇がこの事件を軍法によって適切に処理すべきであるとたびたび田中首相や白川陸相に注意し、圧力をかけていったことは、たいへん正しい。法を守るこうした感覚こそ、当時の閣僚や陸軍の幹部に欠けていたものです。(略)

 

 

加藤 (略)児島襄の記述だと、天皇は、事件から一年後の一九二九年六月に、田中儀一首相の二度目の上奏を受け、その翌日、陸軍の軽い処分を報告する白川陸相の内奏を聞くにおよんで激怒し、「総理がかつて上奏したものと違うではないか」と述べ、「総理のいうことはちっともわからぬ、二度とききたくない」と侍従長にもらした結果、田中首相は総辞職したことにになっています。

 

 

 

そしてこれを受けて橋爪さんは、天皇田中首相を強く叱責したのは、事件の処罰に関し、言を左右にし、結局、これを厳正に行わなかったためだと見ています。でも、たとえば児島襄とは逆の立場からこの事件を記述している井上清の「昭和天皇の戦争責任」だと、そこのところの解釈は、だいぶ違っています。

 

 

井上によれば、天皇が田中を怒ったのは、言を左右にし、最初に行った約束を守らなかったうえに、事件に関し、国民に嘘の発表を行う許可を天皇に求めたためだとなる。天皇にすれば、それは首相が国民に嘘の発表をすることを自分が許可するかたちになる、そういう上奏を田中がしたため拒否したので、最終的に陸軍と内閣が厳正な処分をしないことに怒ったのではない、と井上は見ています。(略)

 

 

橋爪 陸軍軍人の任免は、陸軍大臣の専権事項ですから、天皇にはそもそも承認するとか拒否するとかいう権限はないのです。だから、拒否はしなかった。それでも陸軍当局は、これまでの経験があるから、非公式の打診をしたものであり、天皇はその機会をとらえて、異例の注意を与えたものと考えることができる。精一杯のことをしていると思います。(略)

 

 

 

ところで天皇は、この事件に関して、若気の至りだったとあとで反省していると思います。なにをどう反省したかということですが、私の考えでは、田中儀一首相はむしろ真相の究明をはかろうと最大の努力をした側の人間でしょう。

 

 

ところが、天皇接触できる相手はかぎられていたので、軽率に、というか真相究明を急ぐあまり、前回の報告と違って事件をうやむやに葬るという報告があがって来た時に、田中儀一を個人的に追及するような言い方をしてしまった。そのために田中儀一は、すぐに辞職して、真相究明はますますうやむやになってしまい、なおかつ田中は心労のために頓死してしまった。それで河本大佐の処分は決着してしまった感がある。

 

 

この事件は、天皇が即位して間もない時期のことですが、この種の事柄は結果がすべてですから、ひとつの教訓として反省の材料にしたのではないか。

 

 

 

加藤 その「若気の至りだったと反省している」というのは、どこに出てくる言葉でしょうか。もし「昭和天皇独白録」にでてくる言葉を指すなら、その文脈では、橋爪さんが言うようにはなっていないと思います。この話は、この本の最初にでてきますが、このとき天皇が田中のことを怒ったら、そのことがショックで田中が死んでしまった。自分がコミットしたらこういうふうになってしまった。

 

 

そして田中の同情者が以後、重臣たちを敵視するきっかけをつくってしまった、反省して、「この事件あつて以来、私は内閣の上奏する所のものは仮令自分が反対の意見を持つてゐても裁可を与へる事に決心した」そう書いてある。(略)

 

 

 

橋爪 加藤さんは文学者だから、人間を見る時にその個人の性格とか、そのとき何を考えていたかという点をまず考えるのは仕方がないと言えば言えるのかもしれないけれど、人間の行為は社会関係のなかで営まれるのだから、組織や法制などにも十分目を配ってもらいたいと思う。

 

 

張作霖事件の場合、天皇のおかれていた文脈からみて、陸軍に対する追及が主眼だったと理解するのが、いちばん自然ではないのかな。軍紀の維持について繰り返し注意を与えている点も、このことを裏付けてると思うけれども。

 

 

 

満州事変はれっきとした陰謀なのだから、首相や内閣はもちろん、参謀本部にも連絡のないまま、出先の軍が暴走した。中国側の策略に対抗するためと報道されたので、世論もそれにひきずられた。そのあと、政府と参謀本部が調整した案件が、天皇のところに上奏されてくるわけだから、首相と軍がまっこうから対立した張作霖事件の時と違って、天皇も基本的にそれを認めるしかない。日華事変についても、これから見ていくわけですが、同様のことが言えると思う。」

 

 

 

天皇の戦争責任(第二部  昭和天皇の実像)

「私的領域

 

橋爪 それでは次に、先に述べた六つのポイントのうち、一番目の「家庭に関する行動」について、できるだけ簡単に説明してみます。(略)

「お局制」とはどういうものかというと、独身の女性が局というかたちで天皇の日常生活に奉仕し、ずっと宮中に住んで、一種の後宮のようなものになるわけです。昭和天皇は、大正天皇の正妻の子どもですけれど、天皇に即位すると、彼の意思でこの「お局制」を廃止し、お局部屋に住む正親町典侍ら古手の局たち四十九人を青山御所の官舎に移してしまった。

 

 

そして、いわゆる核家族と言いますか、通常の市民と同じかたちの家族を今後は営むと決意して、宮中改革を行った。(略)

その次に重要なことは、時期が前後するけれど、彼はたくさんの子どもを良子妃とのあいだにもうけていますが、良子妃に生まれたのはどういうわけか最初の四子まで、全部、女子(内親王)だったんです。(略)

 

 

それまでの慣行によれば、二子、三子ぐらい、続けて女子が生まれたりすると、たいてい側室をあてがわれて男子の誕生を期すということになる。実際、昭和天皇も遠回しに進められただろうと思うけれど、これを断固拒否して、忍耐を重ね、ようやく明人親王、すなわち、いまの天皇をもうけている。(略)

 

 

加藤 いままでの天皇戦争責任論というのは、天皇に対する無知や先入観によって非常に弱いものになっていると思うので、以下、できるだけ昭和天皇については公平かつ謙虚でありたいと考えています。(略)

いま橋爪さんは昭和天皇が普通の市民と同じような在り方をもとうとしたことを評価すると言われたけれど、それは勘所が違っているのではないでしょうか。

 

 

たとえば、昭和天皇は、日本の天皇制をイギリスやオランダの君主とくらべてみたため、お局制なんていうことをやっているかぎりは、日本の君主制は非常に遅れたアジアの野蛮な国の段階にとどまっている、で、これじゃいけない、と考えた、そう昭和天皇の行為を理解することもできる。(略)

でも、それを裏付ける材料がないかぎりは、一般の市民のようなかたちに近づけたいと考えたというよりは、むしろ西洋の立憲君主のあり方に近づけたいと考えたのではないか、とそう考える方が妥当であるように思う。

 

 

橋爪 そういう文脈があることにあえて反対はしません。ただ、そのふたつは矛盾するものではないと思う。」

 

 

天皇の戦争責任(第二部  昭和天皇の実像)

「背景

 

竹田 第一部では、いま戦争責任を論じることにどういう意味があるのか、これをどんなかたちで考えれば、いまの時代や状況にきちんとはまるかたちになるのか、ということを中心に話を進めてきました。ここからはできるだけ具体的に歴史的事実にふみこんで、「天皇の戦争責任はあるのか/ないのか」、責任があると言えるなら「どういう観点であると言えるのか」、ないと言うなら「どういう観点で、ないと言えるのか」について、それぞれの立場から論じてもらいたいと思います。(略)

 

 

橋爪 では、天皇の戦争責任について、私が感じていることをまず簡単に話します。

天皇の戦争責任がある」という人がよくいるけれど、率直な感想としては、なんとなくずるい気がする。(略)

 

 

私は、そういうことを言う人に対して、「あなたは何の権利があってそういうことを言うのだ」と強く思います。そして、その種の責任追及にたいしてどう反論できるかというと、「天皇に責任があるという人たちは、戦前、戦中の時期に摂政になり、そして天皇になった昭和天皇個人が、実際にどういうふうに行動したのかという実像を理解して、そういうことを言っているのか」と問い返したく思います。

 

 

私が理解しているかぎりで、情勢判断や行動基準に関して、天皇立憲君主として、これ以上望めないほど適切に行動していると断言できる。私たち日本国民はこうした困難な時期に、最善の天皇をもったわけです。それを裏付けるため、具体的に行動の面からみていけば、次のように、大きく六つの出来事に注目すべきです。

 

 

① 家庭に関する行動 ―― 昭和天皇は、公的世界と区別された、私的領域を守った。

 

② 張作霖爆殺事件の際の対応 ―― 即位してすぐに起きた張作霖爆殺事件のときは、軍旗違反(陸軍の陰謀)の危険性をみぬいて、その真相を究明し処罰するよう政府を督励した。満州事変や日華事変のときは、独自の政治的見識にもとづき、不拡大の判断を示した。

 

③ 二・二六事件の際の対応 ―― 立憲法治国家の原則により、断固として反乱軍の鎮圧を指示した。

 

④ 開戦時の行動 ―― 東条英機を首相に任じ、対米英戦争を回避しようとした。

 

⑤ 終戦時の行動 ―― 国体護持と天皇の身柄についての危惧をおして、降伏を決断した。

 

⑥ 戦後の行動 ―― 自らが退位せずにとどまることで、戦後の日本国に正統性を与えた。

 

 

それぞれの折節における天皇の判断と行動は、大日本帝国憲法が規定している合理的な君主としての行動をとっているわけであって、そこには賢明な判断がいくつも重ねられている。もし、この実像とずれたイメージが人々のあいだに広がっているとすれば、それは、「天皇機関説」と「天皇主権説」という大日本帝国の国家体制(国体)に関する不幸な二重の解釈にまつわる誤解の一種ではないかと私は思う。

 

 

たとえば、井上清さんが書いているような”天皇は主権者であったのだから責任がある”(「昭和天皇の戦争責任」)という短絡的なロジックは、いわゆる皇国史観の発想と同じものだと思います。(略)

 

 

 

加藤 これまでの天皇の戦争責任の論じられ方について、橋爪さんが「ずるい気がする」ということには、ほぼ全面的に同意できます。(略)

ただ、僕の天皇責任論というのは、ひとつは戦前・戦中に天皇が行ったことを対象にしますが、もうひとつは、その戦前・戦中に行ったことに戦後、天皇がどのような認識を示し、どういう対応をとったか、ということを対象にする。前者でも譲歩するつもりはないが、重心はむしろ後者にある。(略)

 

 

僕は、昭和天皇の行動の実像から見ていくのには賛成です。(略)

昭和天皇の戦争責任、これはアジアの人々に対する責任と考えてもらってもいいけれど、そういうことに対する基本的な責任は、天皇にもあると僕は考える。(略)

 

 

橋爪 私はなにも、被疑者について「推定無罪」をたてるように、天皇を無罪とみなそうというのではないのです。そうではなくて、公人としての天皇には行動能力がないのだから、そもそも被疑者たりえない、という考え方なのです。(略)

 

 

まず、その前提として、さきほど言った「天皇とはいかなる存在であるか」についての、彼自身の理解を考慮に入れるべきだと思います。天皇という存在は、きわめて特別なので、常人の理解ではおしはかりにくいとことがあるんです。

 

 

天皇は君主です。君主は、一国の中にひとりしかいなくて、生まれた瞬間にそのような立場を引き受ける。それは常人には想像もできないプレッシャーで、それによって特異な人格を形成します。そういう特異な人格であるということを、よくよく理解するべきだと思う。

 

 

これは戦後でもそうで、一例をあげると、私は「よいトイレ研究会」というトイレの改善を調査研究する変なグループに半年ばかり参加していたことがあるんです。(略)

そのときついでに、三階の貴賓席の裏側にある「天皇、皇后専用トイレ」も見せてもらったんです。(略)

 

 

常人からすれば、専用のトイレがあるとはなんと贅沢なことだろう、という話になるのですが、そこで非常に印象深かったのは、これが使われたことがあるのかと聞いたところ、何回もおいでになっておられるのに一回もない。皇族方は、公式行事の予定が入ると、到着時間をプラスマイナス三十秒みたいに指定されてしまうでしょう。

 

 

だから、生理的な要求に関しては、基本的に我慢するんです。前の日から水などはあまり飲まず、すべて節制されるのだそうです。もし、トイレに行かれるとなると予定に支障をきたすから、みんなの迷惑になる。これは皇太子を含めて、いまの後続でも全部そうなんです。(略)

 

昭和天皇に関して言えば、当時の皇族の例にたがわず、生後すぐ里子に出された。そして将来の君主として、皇長孫として育てられ、学習院初等科に通ったけれど、ご学友というのがいて一般の生徒からは隔てれらていた。(略)

 

それから、相撲と水泳はいいがゴルフはだめとか、つねに行動を制限されたわけです。(略)

では、どういう教育が天皇に施されたのかというと、いくつかの系統があるのですが、ひとつの系統は「大日本帝国憲法下での国家機関としての天皇」になるための教育です。ここまで厳しい規律訓練を受けたのは、昭和天皇が初めてです。(略)

 

 

 

もう一つの系統は、皇太子時代の一九二一(大正十)年に七か月にわたって、イギリス、フランス、イタリアなどを遊学したのですが、そのときに従来の環境からまったく解き放たれて西欧の世界、第一次大戦直後のヨーロッパを実際にみて、国際的な感覚を学び、彼の人格の基礎にくりいれた。英国王室の一員として遇されたことが、彼の君主館に大きな影響を与えた。

 

 

 

昭和天皇は、こういう世界同時代性と、日本固有性を、ふたつながらに具えている、たいへんに特異な君主であった。それが彼を個人として理解する場合の出発点になると思います。(略)

 

 

(略)

 

 

竹田 いま聞いたかぎりでは、近代日本の天皇は、かたちのうえでこそ西洋型の立憲君主だけれども、中身においては全然違う君主であり、ちょっと異様な君主のあり方をしているというイメージが伝わって来たけれど、こういう天皇像は一般的によく言われているんですか?

 

 

橋爪 わりあい、よく言われていると思う。ただ、左翼系の人たちは聞く耳をもたないから。

 

 

加藤 でも、左翼系の人間でも、こういうふうなことはある程度……。

 

橋爪 調べればわかる。

 

 

(略)

 

 

橋爪 じゃあ、もうちょっと背景説明として、明治国家について話をします。

明治国家といっても、一八八五(明治一八)年までの太政官制と、そのあとの内閣制(このときにはまだ議会がない)、さらに一八八九(明治二十二)年に明治憲法が施行されてからの立憲君主制では、政体としてかなり違うので一口では言えないんですが、話を簡単にするために、憲法制定以前のことは考えないことにします。(略)

 

 

ひとつの考え方は、日本は完全な西欧型の立憲君主国であって、法治国家であって、天皇は国家機関であるという、きわめて合理的な考え方ですね。これはいわゆる天皇機関説であり、大日本帝国憲法の構成を額面通りに受け取るならばこうなるわけでしょう。天皇自身もこの考え方で教育されているから、そこで期待されているとおりの立憲君主として行動しようとしたわけです。

 

 

もうひとつの考え方は、天皇主権説、あるいは天皇親政説と言われるもので、皇道派青年将校の決起などを支えたイリュージョン(illusion 幻想・錯覚)がこれです。これは決して公認の学説ではなかったのに、天皇機関説論争を境に軍の正式な考え方になり、この考え方のもとに総力戦とか、玉砕とか、特攻とかが戦われるようになった。だから、これもあながち正統でない考え方だとは言えないわけです。

 

 

むしろ、軍隊や学校での教育や、マスコミの宣伝を通じて、民衆のあいだにはこのほうが浸透してしまっていた。

この考え方は、大日本帝国憲法のなかのどこに根拠をもっていたかというと、第一条の「万世一系天皇之ヲ統治ス」というところで、「万世一系」というのはなにかといえば、神武天皇以来の天皇の皇統が連綿と続いているということですから、明治維新に先立って天皇は日本を統治する権限をもっていたことになる。

 

 

だから、その権限を発動して、明治維新を起こして幕府を打ち倒し、明治国家をつくったという話になる。(略)

それに加えて、第三条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」。これは、天皇政治責任を負わないという規定なのですが、神秘化されて、天皇が現人神であり統治の主体だという観念と結びついた。

 

 

 

そうだとすれば、立憲君主国であるというのは、これは見せかけのことであり、その根源には天皇の、いわば憲法制定権力のような、憲法を超越した主体性がある。その呼びかけに臣民が応じるならば、憲法体制を乗り越えて、国家改造のためのアクションを起こしていいということになる。

 

 

 

この天皇主権説にもとづけば、憲法よりも、君臣の義、尊王の至情の方が優先するという考え方になる。大日本帝国は、明治維新の正統性を肯定しなければなりませんから、こうした考え方をまったく排除することはできない。

 

 

このふたつが曖昧なかたちで、ないまぜになっていたことが、大日本帝国憲法の問題点でした。通常の立憲君主国は、王朝というかたちをとっているから、何年何月に誰が王権を奪取したかということが明白なわけで、それはプロイセンの王朝であれ、ブルボン王朝であれ、イギリスの王朝であれ、たいへんにはっきりしている。(略)

 

 

大日本帝国憲法は契約説をとっていないから、憲法に先行する天皇主権がある(あった)という観念を許容してしまうわけです。

では、天皇自身はどう考えて国家にかかわっていたかと言うと、皇祖皇宗に忠実で、同時に、明治天皇の遺訓に忠実でなければならないと考えていた。(略)

 

 

明治大帝の遺訓というのは、天皇機関説という明治憲法の考え方、つまり西欧型の立憲君主制です。その両方に忠実であるということは、彼自身もこの両義性をある程度引き受けざるをえないということを意識していたことになる。(略)

 

 

 

加藤 いまのバックグラウンドについて言うと、「天皇親政説と天皇機関説」というふたつの要素は、いままで言われてきた言い方だと「顕教密教」というかたちで理解していいと思う。(略)

 

 

もうひとつは、「万世一系」という憲法に先立つあり方が、ブルボン王朝などとは違うと言われたけど、たとえば西欧でも主権神授説などが必要だった。つまり、王権というのは法的な話し合いによって、契約によって成立しているのではなく、言ってみれば憲法に先立つものとして神授されているんだという説が必要とされた。

 

 

 

その王権神授説に対して、ロックなど複数の啓蒙思想家がでてきて、その論拠をくずしていったという経緯がある。そういうことを考えると、この「万世一系」という概念にも天皇親政説、天皇機関説の一対に対応する「憲法に先立つあり方」と「憲法にもとづくあり方」という一対の重層があって、「憲法に先立つあり方」が西洋にはない特異なところだというよりは、むしろそのふたつのあり方が重層、共存しているところに、西洋とは違うあり方があると理解していいわけですね。

 

 

 

橋爪 王権神授説というのは、人民と王のあいだに契約はないかもしれないが、人民と神とのあいだにすでに契約があるのだから、人民は神の任命した王に従いなさいということで、やはり契約説の範囲内にある考え方だと思います。(略)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

「神聖ニシテ侵スヘカラス

竹田 では、そういう構想を考えていく手掛かりとして、天皇をどうイメージするか、天皇に戦争責任があるか、という問題に戻ってみたいと思うのですが。

 

橋爪 そこに戻って言えば、私が天皇を評価する最大の理由は、いくつきあの局面で天皇が法律による軍隊のコントロール憲法による国のコントロールを最大限に追及したからです。

 

彼が守ろうとしていた憲法体制とは、役割と権限と地位と義務と権利からできている憲法体制であって、少なくともそういうやり方で日本国を運営しなければ、この国は同時代の国際的な水準に立てなくて、どうしようもない国になってしまうと考え、そういう義務感のようなもので動いていたと思う。

だから彼は、憲法とか条約とかいうものを最高の格率にして、それから逸脱する要素を自分の内部から排除し、できるかぎり自分の周辺からも排除しようと思ったんですね。

 

竹田 それは戦前ということ?

 

橋爪 そうです。戦後においても、退位しないということでそれに貢献した。

 

加藤 どういう意味、退位しないことによって、というのは?

 

橋爪 簡単に言えば、退位の規定がないのに退位をしたら、それは憲法的な行動ではないからです。そして、戦後的価値観に反対する人々を元気づけることになる。

 

竹田 そういう面で天皇を評価する?

 

橋爪 ええ。戦前の日本の非合理的な国家体制のなかで、もっとも合理的に行動しようとした。天皇は、そういう個人である、と評価する。

 

 

加藤 そういう評価もあるとは思うけど、僕の昭和天皇についての評価は、やはり橋爪さんとだいぶ違うな。僕からみると橋爪さんの評価は、かなり昭和天皇に甘い。(略)

 

(略)

 

 

橋爪 いま、個人として自分だったらどうできたか、と言ったのは道義的な問題についてですよ、政治じゃなく。天皇を一種の政治的存在と考え、政治家と同列にその政治的行為の責任を追及するというのは、間違いだと思う。天皇は、天皇という国家機関上の職責を果たした個人、と考えるべきだ。

 

 

通常の人間が出来ることには限界があって、完全を求めることはできないでしょう。平均的な人間ならなかなかあそこまで出来ないだろうというレヴェルでその職責を果たしている場合、それ以上どうやって非難できるだろう。

 

加藤 だから僕は、いわゆる統治権者としての天皇の政治的責任と、天皇の一個人としての道義的責任というのを切り離したつもりなんですよ。道義的な意味において彼を責めうる立場の人はどこにいるか、と橋爪さんは言ったけど、それが戦争の死者なんです。(略)

 

竹田 ハイデガーの場合と似ているかもね。彼はナチ加担の咎で戦後いったん謹慎処分をうけてその後教職に戻るのだけど、その後一貫して、ユダヤ人の虐殺を含めてナチの犯したことについて一切コメントしなかった。

 

 

たしかヤスパースだったか、ナチスへの加担という面については、当時の知識人の多くが結局は加担せざるを得なかったということがあって責められない面もあるが、その後自分のやったことについての認定という点では、ハイデガーのこの沈黙は異様であり、むしろその点に知識人として重大な責任があると思う、というような意見があったと思う。

 

 

(略)

 

 

竹田 ただ、まず素朴なことを言うと、日本は侵略戦争を起こした、ということを認めるとすると、天皇はその最高責任者ですね。その法的な責任というのは問われないわけかな?

 

 

橋爪 そのことですが、こんなふうになっているのではないでしょうか。

まず明治天皇は、途中で憲法が出来たから、前半は専制君主、後半は立憲君主なわけです。そこで、後半の立憲君主制下での天皇ということに限定して考えると、大日本帝国憲法の第一条に「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」と書いてあって、第二条をとばして、第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と書いてある。

 

 

 

それから、天皇の統治行為は憲法の定めるところによって行う、となっているわけです。では実際に、天皇が国家の主権者として、どのような行為を行うかということですけれど、大部分の行為は行政府、すなわち内閣が行う。内閣は天皇を輔弼する、つまり助ける義務があって、その政治責任国務大臣がとることが憲法で決まっています。

 

 

具体的にはどういうことかというと、天皇に「こういうことをしましょう」と提案する場合、内閣が閣議を開いて国家の意思決定を行ない、そして書類を天皇のところにもっていく。天皇が署名することによってそれは効力をもちますが、天皇の署名の横に国務大臣が署名(副署)をしないかぎり効力をもたない。

 

 

副署があるかぎりで効力をもつ。天皇は、内閣の所管する事柄に関して、形式的には署名というかたちで意思決定を行なうが、実質的にはなにもしない。そして意思決定の責任はすべて内閣が負う。これが旧憲法のシステムです。

 

 

軍についてはどうか。軍も政府機関の一部ですから、予算や人事などで政府のコントロールを受け、通常の行政手続きに従う。しかし、これは統帥権の独立に関係するのですが、陸軍と海軍は大日本帝国憲法よりも古くから存在する組織だということもあり、内閣ではなくて天皇に直属すると憲法で定められた。

 

 

 

軍は一面、行政府と独立の存在なのです。ですから国家機関は二股になっている。戦争時、軍隊は作戦命令に従って動くのですが、その作戦命令を起草立案するのは陸軍の参謀本部と海軍の軍令部で、その命令を全軍にくだす最高指揮官が、大元帥であるところの天皇です。

 

ただし、大日本帝国憲法は曖昧で、天皇が陸海軍を指揮する場合に、誰が輔弼の責任をとるかを明示していないんです。

そこで、慣例上、陸軍の参謀総長と海軍の軍令部長(昭和八年以降は軍令部早朝)が輔弼責任を取り、陸軍の作戦命令は参謀総長が気お寿司、天皇が署名をして、それをそのまま下達する。(略)

 

 

 

御前会議といっても、本来は形式的なもので、天皇の臨席のもと、すでに決まったことを天皇の前でもう一度述べるだけの儀式です。天皇はオブザーバーで、この会議の構成員ではないと考えられます。(略)

 

 

 

天皇大元帥ですから、軍の最高指揮官であり、なんでも命令できるようなイメージが一般にありますが、御前会議に臨席しても、会議のメンバーではないから、黙って座っているだけで、原則として発言しないんですね。統帥部の判断に裁可を与えるという立場であり、権威を与えるという立場であったと思う。

 

 

 

天皇は公的人間(国家機関)ではあるけれど、政治的意思決定を下す立場にない。政治的な決定をしないから、政治的責任もないのです。ここが、結果責任を問われる政治家とは違う。政治家は政治的意思決定を下したい人が、なりたくてなるものでしょう。

 

 

けれども天皇は、そういう選択の余地なく、生まれてみたtら天皇になる宿命を負っていた。そういう個人をつかまえて、政治的責任を問うのはフェアでない。自分個人だって天皇として生まれたかもしれない、とあえて考えて、彼の行動を検証(追体験)してみるというのが、せいぜいできることなのです。

 

 

(略)」

 

 

 

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

憲法第九条 ― 戦争放棄

 

加藤 憲法について議論が進んでいるので、このあたりでちょっと第九条の問題についても語っておきます。戦争放棄条項と天皇の関係は、憲法で言うと第九条と第一条の関係になります。昭和天皇東京裁判で免責となり、現憲法に第一条の天皇の存置条項を入れるためには、第九条の戦争放棄条項がバランサーとして必要だったというのが、両者の基本的な関係といってよいでしょう。(略)

 

 

つまり、憲法の平和条項を自分たちの力で作ったんじゃなくて、戦争の勝者から、敗戦国としての国家に押し付けられたものを、当時の国民が熱狂的に賛同して受け入れたというあり方は、この第九条の規定でいうと、自衛権の否定、というところに痕跡をとどめているんじゃないかと思われるのです。(略)

 

 

 

でも、僕たちは、この平和条項の議論を一歩先に進めるために、自衛権は当然あるんだよ、そのうえで、国際紛争の解決の手段としての戦争を否定し、非軍事的に国際平和の実現をめざすんだよ、というかたちに、議論の土俵をつくりかえたほうがいいんじゃないだろうか。これが僕の提案です。

そのメリットは次のようなものです。(略)

 

 

でも、これだと、平和条項は、たんに大日本帝国の侵略行為の罪責感の打ち消しのために反動形成されたエクスキューズ(excuse 言いわけ・弁明)としての理念でしかないことになる。しかし第九条の理念を現実化し、その主意を前に進めるために、そこからむしろ崇高な理念という性格をとりさり、平和条項を現実に着地させるのがいい。

 

 

第九条の理念は、自衛権は当然ある、しかしわれわれは国際社会の紛争解決の手段としては、戦争を放棄し、平和を追求するという形で再構築するのがいいと思うんです。浅田彰湾岸戦争のとき「女々しいと言われようがなんと言われようが、ラジカルな平和主義をとるしかない」、「われわれは戦うくらいなら全員無抵抗で殺される用意だってある」、これは「すべての戦争が核戦争になり得る時代」にその「重要性を訴えること」で「特別な立場に立てる」世界史的先進性をもった憲法なんだと言ったけれども、

僕に言わせると、これは戦後民主主義における憲法第九条の反動形成としての性格を、典型的に表現した言葉です。

 

 

第九条という理念が戦後に隠し持ってきた、戦前的な玉砕思想的な傾斜、罪責感打消しの心情的な傾斜が、湾岸戦争の危機感のなかで噴出した例と言えると思う。だけど僕は、この第九条は、そういう罪責感打消しの意味ではないところで、ほんとうは戦後の日本人の願いを体現しているんだと考えたい。それを、罪責感打消しの理念型から、開かれた理念として受け取りなおすことが、この議論では大事なんだというのが、この新解釈の僕の提案です。(略)」

 

〇この後も、加藤氏の話がしばらく続くのですが、戦争について最近感じていることを、少し書きます。少し前に橋爪氏が、

「端的に言えば(当時の)日本は国家を運営する能力がなかった」と書いていました。

 

では、今は?今の日本は国家を運営する能力があるのでしょうか。

総理大臣が違法なことを平然とする。犯罪者なのに、総理大臣である自分の「仲間」だという理由で、その犯罪を不問に付す。つまり、国のトップが、法と秩序をズタズタに破壊したのです。

 

 

そして、それを支えた自民党は未だに高い支持率を持っています。犯罪を犯す総理大臣がその職を続けられるのは、その犯罪を見て見ぬふりをする国民がいるからです。

これが法治国家でしょうか。これが近代国家でしょうか。これで、日本に国家を運営する能力があると言えるでしょうか。

 

こんなモラルや道理を理解する力もない人々が「管理者」になっているこの国が、戦争をした時、一般庶民は、あの太平洋戦争の時と同じように、どれほど酷い目にあうかと思うと、「国家を運営する能力の無い国」には、戦争をする能力もない、と私たちはしっかりとわかっていなければならないと思います。

 

 

「加藤 (略)この場合、いくつか課題がありますが、主要問題のひとつは、現在の自衛隊をどうするかだと思う。もちろん、国際平和部隊の中核に移行していくとしても、いまの自衛隊のかたちのままではダメです。なぜかというと、いくつか理由があるけれど、そのいちばん大きなものは自衛隊がシヴィライズ(civilize 市民化)されていないということです。

 

 

シヴィリアン・コントロールというのは、 文民が軍隊を統括するということですが、その前提は、軍隊の本体がいわば市民に統括されうる身体になっていること、それ自体がいわば市民化され、市民的原則が貫徹された近代軍隊になっているということです。でも、いまの自衛隊は市民原則をもつ近代軍隊になっていない。戦前の天皇の軍隊としての性格をいまだにひきずっている。

 

 

 

戦前の軍隊は大元帥天皇をいただいた神の軍隊で、そこでの最高の価値は、天皇天皇に体現された国体を守ることだったのですが、これに対して近代軍隊というのは、市民のための軍隊で、市民を守るということが一番の存在理由です。いまの自衛隊に、その国家を守ることの中身が国家指導者をではなく市民を守ることだという第一原則がタタキこまれているとは、どうしても思えないのです。(略)

 

 

 

ナチスというのはどうしようもないものだったけれども、ただひとつ、ドイツの東部戦線でロシア軍が攻めて来た時、ドイツ国軍は市民を守って潰滅した。ヒルグルーバーは、こう述べて、この東部戦線の自己犠牲的な戦いに肯定的な価値をおき、そこからドイツの歴史を描きなおすことが一定の意味をもつという視点を提示した。(略)

 

 

 

では日本の場合はどうだったか。同じように軍隊が市民を守るべき状況というのが、二度、あるいは三度だけあった。それが、ソ連参戦直後の満州と米軍上陸時の沖縄の場合、また住民が海に身投げして死んだサイパンなどの事例です。(略)で、そのとき日本軍がなにをしたか。少なくとも大きな事例、満州、沖縄の二度とも、きれいに、臣民つまり市民を守るのではなく、市民を盾にして自分たちは逃げるという、ドイツの軍隊とまるで逆のことをやっている。(略)

 

 

 

でも、いまにいたるまで、その自衛隊が、戦前の軍隊の問題点を戦後の観点から自己批判し、責任を明確化し、それとは違う組織として自分を提示するということをしていない。服部卓四郎という人などが中心になって太平洋戦争の歴史というのをまとめていますが、ここに問題があったという指摘、自己批判、あるいは戦前の軍部に対しての批判、戦前の軍部に代わっての謝罪、というようなことがなされたという話はついぞ聞かない。

 

 

 

この服部卓四郎という人物自身が、辻政信とともに最悪の作戦と言われるノモンハン事件(本書212頁参照)を強引に主導した一人で、そのことの責任をうやむやにして生き延び、その後、GHQに勤務した軍人なのですから、他は推して知るべしで、戦前の軍隊のあり方をどのくらい批判出来ているのか、内部の市民化はどの程度すすんでいるのか、僕はその点に関して、いまの自衛隊に根深い不信感をもっています。(略)

 

 

 

橋爪 (略)自衛隊と軍隊は、どういうところが一番違うかというと、法律的に違っていて、軍隊には国内法が適用されず、国際法上、戦時法規で保護される。自衛隊の場合は、国内法の適用をまぬがれないうえ、そもそも外国では行動できない。ここが違うわけですね。(略)

 

 

 

しかし、自衛隊は実質的には軍隊で、専守防衛ということになっているけれど、日米安保条約というものがあり、アメリカ軍の対等の相手です。そして、国際法上も奇妙なことに軍隊のあつかいを受けている。戦闘行為じゃなくて外国に行った時、駐在武官というのがあちこちにいるけれども、そういう軍人同士の集まりに呼ばれる。国外では軍人として処遇されているわけです。(略)

 

 

橋爪 民兵でも義勇軍でも、その条件というのはですね、訓練を受けて、国際法の知識があって、指揮官がいて、そして整然と行動する能力がないかぎり、そういうものとは認められない。自分で義勇軍になりたいと言っただけでは義勇軍にはなれない。

 

 

加藤 わかってるわかってる。(略)

 

 

 

竹田 いまの加藤さんの発言だけど、数年前、われわれは「思想の科学」で吉本隆明と同じ問題で議論したことがあった。あのとき吉本さんは、自衛隊や軍隊をまったく拒否して、もし外国から攻められたら自分は市民として銃をもって戦う、と答えた。われわれには異議があって、橋爪さんがやはり反論した。ただ、加藤さんの立場はそれとは少し違うと思う。

 

 

橋爪 どこが違う?

 

 

加藤 だって吉本さんは、国家が廃絶されることを先取りした理念として、第九条をみてる。吉本さんは自衛権を認めない。僕は、第九条を崇高なる理念としてはみていない。だから自衛権は認める。

 

 

(略)

 

 

 

橋爪 まず第一に、なぜいまの日本に軍隊がないかというと、それは戦争に負けたからです。日本は軍隊を運営する能力がない民族であり、非文明国であるというふうに理解されて、陸軍省海軍省が解体されたからです。そしてその後、アメリカの政策に変化があって、自衛隊ならよかろうということになり、日米安保条約が結ばれた。

 

 

 

自衛隊というのは、戦略をもてない軍隊で、どのように戦うかは相手次第。敵がどこからどのように攻めてくるかに依存しているわけです。(略)

なぜそういう中途半端な自衛隊なるもので防衛が果たされるかというと、それはアメリカと合体しているからです。いざという場合には、アメリカ軍の参謀本部の指揮下に入るでしょう。そして、米軍の援軍が到着するまでの間もちこたえて、米軍がやってきたら共同行動するわけでしょう。

 

 

アメリカが仮想敵国について研究し、情報を提供してくれるからでしょう。つまり、アメリカが軍隊を日本に駐留させ、日本の防衛を約束してくれているからこそ、この態勢は成立しているわけです。もし、自衛隊という名前であれ、軍隊という名前であれ、日米安保のような同盟関係を一切結ばないで、しかも戦争を紛争解決の手段にしないという覚悟を固めると、それはスイスのようなやり方になるでしょう。(略)

 

 

橋爪 私の考えでは、シヴィリアン・コントロールがうまくいかない理由は、自衛隊が軍隊ではないからです。軍隊であるという実態を明確に日本国民が認識しないかぎり、それをコントロールすることは不可能なんです。

 

 

 

加藤 それだったら、シヴィリアン・コントロールができるようなかたちで、自衛隊を軍隊として認知すればいいじゃないですか。(略)

ようするにどうしたら自衛隊という組織の中身が変わるか、ということが一番大きな問題なんです。シヴィリアン・コントロールというのは、ある組織があって、その組織の上を市民がおさえるということでしょう。

 

 

だけどそういうことが成り立つには、その組織がすでにシヴィライズされていること、軍隊としていえば市民原理をもつ近代軍隊になっていることが必要です。体質として天皇の軍隊とい戦前の軍隊のしっぽをひきずっている自衛隊が近代軍隊化するには、その組織自身がかわらないといけない。(略)

 

 

 

もしそれが内側からでは変わらないというのであれば、これまでと違う働きかけをくわえ、これを外から変えていくしかない。(略)

 

 

橋爪 シヴィリアン・コントロールがなぜ必要かと言うと、加藤さんは誤解しているのかもしれないが、軍隊内が市民社会ではありえないからです。軍では、指揮系統を通した命令が絶対で、討論している暇はない。軍隊が、本質として反市民社会的な団体だからこそ、それを市民の代表である文民政治家(シヴィリアン)が指揮する必要がある。これがシヴィリアン・コントロールの原則です。(略)

 

 

 

橋爪 日本で軍隊のことを考えると、どうしても日本軍のイメージに引き寄せられてしまうけれど、近代国家の軍隊は、市民を守ることと、シヴィリアン・コントロールとこの二点が基本にならなければならない。

シヴィリアン・コントロールのためには、国会に防衛委員会をもうけて常時討論し、有事法制を整備し、国防の専門家を育て、国民に軍事常識を普及し、国民の信頼をかちえなければならない。

 

 

 

なぜ日本にそういうシヴィリアン・コントロールの軍隊ができなかったのかということをちょっと述べると、それは臣民ということと関係がある。

「臣民」という言葉は、日本人の発明で、儒教にもない言葉だと思います。

 

 

 

儒教の考え方では、「君」というものがあり、それから「臣」というものがあり、それから「民」というものがある。民というのは自作農であって自由な主体です。いっぽう臣というのは君主の奴隷です。もともとは民は臣よりも身分が高かった。自由だったからですね。

 

 

 

ところが、臣は君の代理人となることによって税金を取り、官僚組織をつくることによって民衆を支配し、やがて民よりも上に立つみたいになった。民のなかから臣になりたいという人まで出てくるようになった。

 

 

 

つまり、伝統中国では、君と臣、このふたつが支配階級であり、この下側に民があり、搾取されている。臣と民とは対立するものである。これが古典的な儒教の発想です。臣は君に対して忠誠をつくす義務がありますが、民には必ずしもそんな義務はないのです。

 

 

 

ところが、この臣と民とを日本は一緒にし、「臣民」という新しいカテゴリーをつくって、これを「国民」という名前の代わりにした。(略)

臣民がどう集まって、どう自発的に組織をつくろうとも、それはかならず天皇に対する忠誠義務を課せられてしまう。そういう論理構造になります。大日本帝国憲法はこの論理でできている。だから、大日本帝国憲法のなかで軍隊をつくると、シヴィリアン・コントロールにはなりえない。なぜならば君がコントロールする構造だからです。

 

 

 

竹田 だからね、それをどうするかというときに、第九条をもういっぺん選び直すという道もあるぞ、というのが加藤さんの提案ですね。第九条を選び直すという感覚がでてきてはじめて、軍というものは自分たちがつくっているものだ、という感覚が出てくる。それを通過しないと、いつまでもいわば古い臣民軍のような感度のままで軍や自衛隊を認めていかざるをえない。それが加藤さんの言い分だと思うけど。

 

 

加藤 そう。

 

 

橋爪 九条と、シヴィリアン・コントロールの問題は直接関係がないと思うな。われわれには戦前の経験しかないわけだから、かつて日本軍がどのような理由でシヴィリアン・コントロールを免れていたかを具体的によく研究しないと、いくら自衛隊を作り変えようとか、あるいは民兵をつくろうとかしても、同じことが起こる。

 

 

竹田 うーむ、どうも論点の違いの核心がわかりにくいな。(略)

 

 

竹田 加藤さんの主張としては、そういう事実の問題はともあれ、「戦争放棄」ということが国民の選択肢としてありうる、ということですね。

 

 

橋爪 それは、現実的な選択肢として、ありえません。いまそれを説明しようとしているのです。そもそも、日本国憲法をもちながら国連に加盟するということは、論理的に矛盾している。国連に加盟したなら、国連軍が組織されたとき、加盟国は最大限の努力を払って、国連の戦略目的を達成するために行動しなければならない。

 

 

それが、国連憲章の課す義務なのです。国際社会の常識がそのようにできているとき、日本だけが憲法上そこに加われないようになっているから、「懲罰規定」だと言ったのです。

 

 

加藤 でも、国連というのも、そういう意味ではこれまでの戦争による国際紛争の解決に代わる国際平和の実現と確保を目標に謳い、第二次世界大戦後につくられた組織なわけだから、その目標達成にいたる方法での違いはあるにせよ、日本がもし本気でこれに取り組み、働きかければ、その「集団安全保障機構」への特別な仕方での参加という例外を認めさせることは不可能ではない。(略)

 

 

(略)

 

 

橋爪 国際社会の現実を無視した暴論ですね。完全無抵抗主義というのは、大日本帝国とまったく同じ精神構造だと思う。なぜかというと、大日本帝国は「望むべき世界秩序を実現するために軍事力を使ってやりましょう」という話で、完全無抵抗主義というのは「それが悪かった。自分たちがそういう征服意思をもったから戦争が起こった。だから、征服意思さえ持たなければ、平和的な世界秩序が実現できるに違いない」と、こういう裏返しになっている。

 

 

 

これもまた、国際社会では通用しない論理です。国際社会は、たくさんの国々があって相互に意思しているのだから、その複雑な関係のなかでどうやって戦争をミニマム(minimum 最小限・極小値)にしていくかというのが大事なのに、そういった現実の平和を維持していく論理とはまったく無関係なわけです。

 

 

つけくわえるならば、日本が無謀な軍事的行動を起こしたときにそれをストップできたのは、外国が国際紛争を軍事的に解決しようと決意してくれたからでしょう。

 

 

 

加藤 ですからそれを除去するという考え方です。ただ橋爪さんの議論を聞いていると、そこから日本は「軍隊をもってもいい」という論理がでてきそうな気もするんだけど、それはどうなんですか?

 

 

橋爪 考え方の筋としては軍隊をもってもいい。なぜなら主観国家だから。ただし、それにはたいへんに強い社会能力が必要です。シヴィリアン・コントロールと、言うのは簡単だけれど、伝統のない国にはとてもむずかしい。少なくとも戦後日本は、戦前の影から完全に脱却できていないし、たんなるそれの裏返しに安住しているだけなんだから、まだその能力が足りないのではないか。

 

 

 

(略)

 

 

 

橋爪 戦争放棄条項と自衛隊は、それだけで組になっているわけではなく、日米安保条約と三つで組になっているわけです。その全体でセットになっている。つまり、第九条と自衛隊をもっている限り、日米軍事同盟から逃れられないということですね。これは、それ以外の国際秩序を他の国と共同で構想していくことができない、ということを意味している。

 

 

 

加藤 それだったら、もういまの枠組みは絶対に変わらない、ということになっちゃうじゃない。(略)

僕に言わせれば、第九条というのはなにより第一条の象徴天皇条項と組になっている。戦後、天皇制をなくさないために、象徴天皇というかたちでもいいからと天皇制の命脈をつないだ。そのためにいわば保証として戦争放棄の第九条をおくことが必要になった。(略)

 

 

だから、たとえば日米安保条約というのは、米軍が日本に駐留していてけしからんと言われるけれども、それをやめて、それとは別のあり方を模索しようとすれば、そこから第九条をどう考えるか、自衛隊をどうするか、またさらに天皇の地位をどう国民主権の戦後日本の体制に位置づけるか、というようなことが必然的に問題になってくる。

 

 

 

そこで、これらの枠組みの総体をどうするか、というように僕たちは自分で考えなくちゃいけない。それがいま、なぜそのように議論が進まないかというと、それが、軍隊というのは絶対よくないとか、自衛隊を持つなんて言ったら軍国主義に逆戻りするとか、すぐにそういう、「二度と誤りを繰り返さない」ことを価値化する罪責感打消しタイプ議論になるからでしょう。

 

 

 

それを打開する共通了解がないということが問題なんです。(略)

 

 

僕は、集団自衛権をも認めない戦争放棄のまま国連参加を国連に認めさせる、という方向で、この問題を解決する倫理的な筋道はつくれると思っていますが、とにかく、いまのところは、第九条の解釈で自衛権を認めるか認めないかということが、この一連の問題群を考えるうえで、ひとつの入りh口を構成していると思う。そこで共通の了解ができれば、いまのところは満足です。

 

 

橋爪 加藤さんはどうも、安全保障という国際社会の問題を、日本の側だけからしか見ないようですね。そもそも戦争放棄条項を残す=日米安保条約がないと困る、ということなのだから、最初にそこを選択してしまったら、現じょぷ維持の結論しかでてこない。

 

 

 

日米安保だって、日本がいまのままなら、そのうちアメリカに廃棄を通告されてもおかしくない。そうしたら日本は大混乱ですよ。

単なる自衛権ではなくて、やはり集団自衛権を認めるかどうかというところまで話を進めないと、この問題は解けないと私は思う。ここで集団自衛権とは、国連憲章の認めている軍事同盟であって、日本以外の国が侵略された場合にそれを助けるかどうかということです。たとえば、クウェートや韓国を助けに行くかどうか。

 

 

 

竹田 それでは戦争放棄という条項はありえないことになるね。

 

 

 

橋爪 集団自衛権の考え方は、国際紛争を解決する手段として軍事行動を認めるわけです。それは、世界の現実だと思うし、国連憲章の考え方です。それで世界の秩序は、現に維持されていて、日本はそこから大きな利益を得ている。しかし日本は、過去の経緯から第九条のことがあるので、応分の責任を果たさないで、フリーライダー(free rider ただ乗りする人)としてぶらさがっているという実態があるわけです。

 

 

 

(略)

 

 

加藤 戦争行動とは別の努力をすることにした、というのが「押し付け」られたものであれ、とにかく戦後、日本人が憲法に定めた理念として実質的に選択してきたものだと認めるからですよ。戦後日本の半世紀の実績をもつ選択だからです。戦争という手段をとらないで国際紛争の解決をやっていくノウハウを積んでいく国があったっていい。国際紛争の解決の手段として軍事力と非軍事力がある。(略)

 

 

 

橋爪 別の努力をすることにした、というけれど、アメリカに示唆されてそれもいいと思っただけで、日本国民が自分たちだけで議論してそう決めたのとは違う。そんなものは、理念ではなくて、やはり懲罰ではないのか。

 

 

(略)

 

 

竹田 かなり細かい議論になっているけれど、こういうことじゃないだろうか。国家とか権力、あるいは戦争とか軍隊ということに関して、いままでは、現にある権力や戦争という事態を完全に否定して理想的な崇高な理念でやっていくか、それはアメリカから押し付けられたニセの理念でしかないから、日本が主権国家として本来もっていたものを取り戻すべきだ、という考え方の、ふたつの道筋しかなかった。

 

 

けれど、現在の時点人あってみると、国民が公共的な感度をもつということにおいても、近代社会とか市民社会という観点から軍隊や戦争という問題をしっかり位置付けることが、非常に重要であり、そのことがまた戦争責任を考えるうえでも欠かせない道筋である。

 

 

ところがいままでの議論、天皇の戦争責任とか、日本の戦争責任とか、あるいは慰安婦の問題などについての議論にも、そういう観点が完全に抜け落ちている。まずそういう点では二人の意見は一致していると思う。

対立しているのは、戦争放棄という考えが国債関係のなかで現実感覚として可能かどうか、というところで、それはそれで一つの門dファイではあるけれど、いわば前提になる問題を通り過ぎて先まで行き過ぎている気がする。

 

 

考え方だけで言うと、僕としてはどちらかといえば橋爪大三郎の考え方に近いと思う。つまり、国際紛争を少しずつ押さえてゆくためには国際ルールがどうしても必要であり、そのためには、やはりそれなりの実力、つまり武力が前提とならざるを得ない。実力のないルールというのは絵そらごとですね。(略)

 

 

加藤 しかし、そういう体制に参加する用意がいまの日本にあるだろうか。たとえば小沢一郎が「国連軍に日本も参加できるように第九条に付加条項をつけるか新たに平和安全保障基本法を作るべきだ」という主張をしているけど、それはウサン臭い感じがして僕は賛成できない。(略)

 

 

橋爪 小沢一郎の主張にはそんな詳しくないから、同じかどうか知りませんけれど、彼の主張は、従来の自民党の主張よりまともだと思いますよ。それに、いったい何を根拠に、いまの自衛隊を旧軍と同一視するのかわからない。自衛隊に失礼ではないか。(略)

 

 

 

加藤 僕が自衛隊と旧軍に連続性を見るのは自衛隊自身のイニシアティヴによる旧軍への自己批判的断然の動きが弱いからですよ。なぜいまも海上自衛隊艦は旭日旗を掲げるのか。日の丸ではないのか。

 

 

 

(略)

 

 

竹田 でも、それは順序が逆ではないかな。橋爪さんは「整合性をとるために第九条を改正せよ」と言う。だけど、その言い方には、なにかが欠けていると感じる。つまり大事なのは、国際関係上の現実性として、こういう対応ではやっていけない、というだけでなく、「こういう社会をみんなでつくっていくんだ」という新しいイメージ、いままでの戦前的な国家ではなく、単に理想主義的なそれでもない将来の国家像の展望が提示されないといけないと思う。(略)

 

 

橋爪 シヴィリアン・コントロールの意識を欠いたまま、自衛隊の軍事力だけが突出している。そこで、まずとにかくシヴィリアン・コントロールの構図をきちんとだし、それを通じて、国内に議論の場をつくる。そして、世界に対する構想をだす、という順序になると思います。」

 

 

〇 「ただし、それには大変に強い社会能力が必要です」と橋爪氏は書いています。「主権国家なら軍隊を持ってもよい」これは、当たり前の考え方だと思います。

ただ、法治国家を語っていながら、無法者のように何でもありのやり方で、社会をズタズタにした安倍政権を見た今となっては、私たちの国には「大変に強い社会能力」はない!!と断言したいと思います。

 

 

安倍政権の人々だけがひどかったのではない。それを黙って見ていた一般国民や、忖度によって、そのやり方を許していた周りの人々も同罪だと思います。

「私たち」にその能力がないのだと思います。

情けないことだけど、そのことをまず認めなければならないと思います。

 

ですから、軍隊を持つのは、絶対反対です。

 

今日、安倍首相が辞任を表明しました。

本当に本当に良かった。この人のおかげで、どれほど酷い腐敗政治が蔓延ったか。

本来なら、数々の犯罪的なやり方が明るみに出た段階で、その責任を取って、辞任に追い込まれた…となるのが、当然なのに、そうならなかったのは、この国に「社会能力」がなかったからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

「正統性の根拠

 

加藤 僕の観点をはっきりさせるために、なぜ天皇について考えることが大事か、もう少し言ってみます。

僕は戦前の日本人は、自分が日本という国の中でどういう存在なのか、あるいは日本の国民とはどういう存在なのかということについての認識を、非常に明確なかたちで持っていたと思う。(略)

 

 

でも戦後になると、憲法によって国民主権が明示されますが、自分たちでつくった憲法ではないので、その結果、たとえば日本国民とはなんなのかとか、戦後の日本人はどういう存在なのか、ということがわからなくなった。でも、戦前が天皇との関係で自分を決めた、というなら、戦後求められているのは、主権者である自分と他社の関係を自分で決めることなんですね。誰も決めてくれないんだから、自分のほうから、自分と憲法の関係は、こう、自分と政治の関係は、こう、と決めていくことが、自分が誰かということを確定していくことに繋がる。

 

 

そう考えると、日本の「象徴天皇という存在」と「国民としての自分」との関係を確定する作業も、国民が自分が何者かを決める上で、大きなモメントになることがわかる。(略)自分と天皇の関係を国民が自分から定義することが、本当は主権者となるため、避けられないことなのではないかと思うわけです。

 

 

 

橋爪 戦前に比べれば、戦後の日本は近代化という点で一歩すすんだ、と言えると思います。(略)

しかし現在の人類は、国家をつくって国際社会のなかで生きていくという段階なので、国家の作り方に関して言えば、どうしても非合理の要素、あるいは特殊事情がからんでしまう。民族とか歴史とか、それ自身は選択できないのに人類をいくつかのグループに分割してしまうものを所与にするのでないと、国家を構成できないのです。

 

 

 

日本の場合は、その非合理な要素や特殊事情が、天皇の存在というところに集約されていて、それが今の憲法では象徴天皇というかたちになっている。自分たちの社会を合理的に運営して、同時代の国際社会に対して開いていくためには、この非合理な要素をどう認識して、それと付き合っていくかということに関して、自覚的、かつ戦略的でないといけないと思う。(略)

 

 

そのことをみていくために、さきほど言った正統性ということをとりあげて考えてみることにします。

日本国憲法が正当な憲法なのは、大日本帝国憲法の正統な改正手続きを経て合法的に発布され、効力を持ったからです。では、その大日本帝国憲法がなぜ正当化というと、それは明治の半ばに、日本の統治権者である天皇によって制定されたからです。

 

 

 

では、明治維新のあとから大日本帝国憲法が発布されるまでの間は、どのように天皇の正統性があったか。明治政府は、王政復古、すなわち律令制への復帰を掲げた。(略)

律令制に復帰した最初のごく短い期間と、それを手直しした太政官制度の十数年間、内閣制度をとった最後の数年間このように、時期によってちょっと制度が違うんですけど、ようするにそれは伝統的な日本の統治権者である天皇を支持する勢力が武力革命を起こして徳川幕府を打倒し、合法的な政権として宣言したものでした。(略)

 

 

 

明治政府は江戸幕府を敵として打倒したわけで、外交権のないはずの江戸幕府が結んだ条約など、ほんとうなら否定してもよいわけですけれども、明治政府の人々は当時の列強に承認されるにはどうしたらいいかという国際常識があったので、日米修好通商条約などの不平等条約を全部甘受し、条約改正にこぎつけるまでのあいだ、その条約上の義務を守り抜いた。こういうことが国家の正統性のために大切なわけです。

 

 

さらに戦後の社会について言うと、憲法学ではしばしば、憲法が国の根本規範であるということを強調するけれども、条約もそれに負けず劣らず、というかそれと等しい地位を占めることを忘れてはいけない。ポツダム宣言を、日本は受諾したわけです。(略)

 

 

天皇に関する部分は、憲法が改正され、サンフランシスコ講和条約を結んで独立を認められたときに実行的な規定ではなくなったのですけれど、とにかくこうした、日本国の正統性の由来をきちんと理解することには意味がある。

 

 

 

加藤 僕には、なぜそのことがそんなに重要なこととして言われるのか、ということがわからないな。橋爪さんの言い方が詭弁めいて聞こえるいちばんはっきりしている例を言うと、橋爪さんは、日本国憲法が正統性を持つ理由は、大日本帝国憲法の改正だからだと言うけれど、これは法的にはそういう外見を持っているにせよ、なにしろ改正内容が「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という憲法の骨格におよぶような改正でしょう。窓のサッシをとりかえる規定を利用して、家の大黒柱から間取りから、全部変えちゃったようなものです。(略)

 

 

橋爪 どこがどうウサン臭いのかはっきりわからないうちは、それを引き受けるもないものだと思う。憲法が公布されたのは一九四六(昭和二十一)年十一月三日、発効したのは翌年の五月三日。この手続きは帝国議会を経ているし、天皇が公布しているわけです。(略)

 

 

 

かたちのうえから言えば、日本国民に主権があったほうがいいと思うので、主権者である私が皆さんに主権をあげます、という構成になっている。でも、アメリカに占領されて押し付けられたものは、主権者であることの証明にならない。かりに押し付けられたものでなかったとしてしても、主権者である天皇から与えてもらうなんていうのは主権者である国民にとって迷惑な話だ。もし本当に日本国民が主権者でありたいのであれば、主権者を僭称している天皇を打ち倒して、共和制の革命を起こすのが本筋だから、そうやってもいい。いずれにしても、こういった表面的な話は受け入れられないわけです。(略)

 

 

 

橋爪 まず第一に、帝国議会を再招集すべきだという正統感覚をもった議論があっていい。日本の右翼はだらしがないから、そこがポイントだということに気づかなかった。その分、日本の言論はバランスを欠いたものになり、国民は右翼を甘くみるようになった。(略)

 

 

 

次に、この憲法は押し付けられた憲法だし、形式上の正統性をとりつくろっているだけだから、自主憲法を制定すべきだ、という議論がある。(略)そこで、自主憲法とはどういうことか聞いてみると、内容はともかく、押し付けられたことがよくないので憲法を「改正」するということらしい。そして、どの憲法を改正するのかと聞いてみると、戦後の日本国憲法だという。改正すると言う以上、改正する以前の押し付けられた新憲法も、正統な憲法だと認めていることになる。腰折れもはなはだしい。

 

 

 

こんな腰折れの議論でも、左翼をおどかす効果はあったとみえて、三番目に、憲法を改正させない「護憲」勢力というものができあがった。天皇条項が入っている憲法をそのまま「護る」など、左翼の風下にもおけない反動です。第九条はそのままでいいから天皇制を廃止し共和制に移行すべきだ、という議論ならまだわかるのですが、そうではない。(略)

 

 

以上、三つの可能性について私が思うのは、なんと意気地がない、ということです。弱くて戦争に敗れ、無条件降伏した国が、あたかも敗れなかったかのように無傷の正統性を再生させることなどできない。敗れても、日本国民は存在しているのだから、その主体性を信じればよい。

 

 

つまるところ、押し付けだとか、経緯がごちゃごちゃしているとかいうことは、この際、どうでもいいことです。この憲法のもとで、五十年間、日本国を営んできたという実質がある。この実質そのものが憲法の正統性を日々に更新しているのだから、ここから出発する以外にない。

 

 

 

竹田 とすれば、そこで結局論拠は同じになるんじゃないかなあ。つまり僕が言いたいのは、日本の憲法の来歴をさかのぼって「これは正統である/ 正統でない」とか、「もういっぺん自主的に憲法をつくりなおさなくてはいけない」というような議論に、いちいち従わなくていいという感覚が、われわれのなかで広がりを持っているということです。

 

 

加藤 うん、それはかなり重要なポイントだよ。

(略)

 

 

 

加藤 (略)

正統性というものを、なにも過去にさかのぼて担保する必要はない。過去とのつながりから手渡されるものと考える必要はない。過去との断絶からも正統性はつくれる。これをいまの時点から新しく担保する視点をつくれればよいんです。憲法の場合、過去の出自は非常にねじくれている。でも、それをかたちだけまっすぐになおすというのは姑息な対処であって、そのねじくれの事実をそのままにまっすぐに受け止める強度があれば、そのことから正統性をつくり、始めることができる。(略)」

 

〇 加藤氏の言葉には説得力があり、確かにそうだ、と頷きたくなるのですが、でも、「正統性」というのは、誰でもが納得できる道筋でここに至っているという時間的な経過や手続きのようなものが絡んでくるのではないのかな、と思います。過去との断絶からも正統性はつくれる、と大勢が思えば、それはそれでいいのかも知れないけれど、なかなかそうは行かないので、天皇が持ち出されるのだろうな、と思います。

 

私には、橋爪氏の話の方が、しっくり受け入れられるような気がします。

 

「橋爪 私の議論を、いろいろあるけど五十年これでやってきたんだからいいじゃないかという、なあなあの議論とまちがえないでほしい。民主主義は、法的な正統性をもっとも重視し、それをとことん追求する態度としてしか可能でないのです。戦後日本という歪んだ空間でそれをやって、やり抜いて、やっと着地するところが、五十年間の実効的な統治なのです。

 

 

ところで、憲法は変わったけど、法律体系の全体としては戦前と戦後は連続しているということも、もうちょっとよく認識していく必要があります。

 

加藤 それは同感です。

 

橋爪 まず刑法は、基本的に変わっていない。そして、民法家族法などが改正された以外に骨格は変わっていないし、商法も変わっていない。主要な法規は変わっていないわけです。それから陸海軍省は解体され陸海軍はなくなったけれども、内務省は編成を変えさせられただけで官僚の身分も変わっていないし、司法官も組織は変わったけれど身分は変わっていない。(略)

 

 

戦前からの所有権なども全部含め、法空間として連続している。そういうことが、やはり正統性を保証しているということを見通すべきなんですよ。

 

 

加藤 背骨は折れているけれども、肋骨は残っているから、全体としてはつながっている(笑)。

 

加藤 僕の言う正統性と橋爪さんの言う正統性は、僕のが、自分たちにとっての内的な正統性だとすると、橋爪さんのが、対外的な正統性ということだと思う。(略)

 

 

橋爪 そうすっきり二つに分かれるか私は知りませんが、それはおくとして、さらに付け加えると、正統性とは、国家にとっての正統性であると同時に、個々の人間にとっての価値基準、行動の基準、思考の基準に結び付いている。自分の属している国とはなにかとか、自分が個人であることや家族を営んでいること、地域社会の一員であること、それからたまたまここにあるこの国家の関係とはなにかということに関して、ある程度考えていて、そしてそれをいつもどこかで意識しつつ行動するということは、人間の、とくに近代人の人格の一部だと思うわけ。

 

 

そうであってはじめて、たとえば組織のなかで行動するときにはどうしたらいいかとか、家庭人として行動するときにはどうしたらいいかとか、芸術的表現をするにはどうしたらいいかとか、そういうことのバランスというか、感覚が計れるようなところがある。よかれ悪しかれ、それが近代というものである。近代はこの先、超えられるかもしれないけれども、それをふまえたうえで主体的に超えるのでなければ、とても近代を超えることは出来ないと思う。

 

 

たとえば若い人が天皇について「私は全然、関心がない」とか「知識がない」とか「考えたこともない」とかいうふうに言った場合、いま述べた人格的な成熟を期待すべくもないように思うので、彼(女)がなにか話をしたとしても、なんというか、聞くに耐えず(全員笑)、それからなにか新しい情報を発信するということをほとんど期待できず、それが日本社会のなかでなにか間違った事情で関心を呼ぶとしても、それ以外の社会のなかで何事か反響を呼ぶということはないんじゃないかなと思う。」

 

 

〇 「民主主義は、法的な正統性をもっとも重視し、それをとことん追求する態度としてしか可能でないのです。戦後日本という歪んだ空間でそれをやって、やり抜いて、やっと着地するところが、五十年間の実効的な統治…」という文章を読みながら、歪んだ空間の中ででも、それをやり抜くことで、やっと民主主義が定着するはずなのに、今の私たちの社会は全くそうなっていないことを実感します。

 

安倍政権が確信犯的に民主主義を破壊し、実質的に旧体制、国民・市民の国ではなく、天皇の臣民の国にしようとしています。ここで、それを黙って受け入れていくのか、あくまでも、民主主義を貫くために闘っていくのかで、未来は変わってしまいます。

 

自分たちで勝ち取った民主主義ではないけれど、せめて今、民主主義のために闘えないかと思うのですが。

 

 

           

 

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

天皇言説の歪み

 

竹田 話を聞いていると、二人の考えがちょうど交差するところがみえてきた、という感じがします。橋爪さんの考え方はこうだと思う。戦争責任を問う場合、原則として当時の状況に立って考えるべきであり、いまの時点から結果論的に判定するのは無効である。

 

 

当時の状況に立って戦争責任を考えてみると、そこに法的な責任があるとはいえない。だから、問題を違うかたちに変えなければならない。そういうことですね。僕の記憶では、橋爪さんはだいぶ前に、こう言っていた。戦争責任というのは、ふたたびああいう戦争を起こさないようにするために、現在われわれがどう考えればいいのか、国と自分との関係をどういう原理、原則でつくりなおせばいいのか、また自分の国と外国との関係をどういう方向にすすめていくべきか、そういうことが考えるべき基本であって、誰があるいは何が悪かったのかというような犯人捜しにはそれほど大きな意味がない。

 

 

もちろん、きちんと責任の範囲を明確にすることには意味があるけれども、と。その考え方は、僕のルール社会舷側からする市民主義的な考え方からいっても、非常にフィットすると思った。

 

 

いま言ったような基本線としては、加藤さんの考えも違っていないと思う。厳密に当時の時点にたつならば、戦争責任は構成されない。ただ加藤さんの場合、そういう犯人捜しではなくて、われわれがいま、ここの時点から、あの戦争をよくなかったものと感じ、もう一度その責任のあり方の意味をはっきりさせることには重要性がある、という力点だと思う。

 

 

加藤 (略)

天皇の道義的責任を問う、という場合には、どういう場所からそれが問えるのか、ということが問題になります。僕は、戦後、天皇の道義を相対化できるのは、象徴的にいうと、天皇の道義よりも深い、戦争の死者の道義なんじゃないか、と考えています。(略)

 

 

井上清とか家永三郎とか、そういう人たちの言っている天皇糾弾論には、この自国の戦争の死者との向き合い、というのが欠けている。この自国の死者を否定しなくちゃいけない、アジアの死者に謝罪するというのはそういうことなんだ、と考えられていて、この二つの死者の対立の構造がある。

 

でも、僕たちがもし天皇には責任があると感じるとしたら、それはまず第一に、僕たちが戦争の死者とのつながりを引き受けるからなんじゃないだろうか。また僕達がアジアの被侵略国の死者ならびに住民に対し責任があると感じるとしたら、それもまず僕達が戦争の死者とのつながりを認めるからなんじゃないだろうか。

 

 

 

そしてそれは、僕達がもし自分にもアジアの被侵略国の住民に対する引け目のようなものを感じるとしたら、それは自分と戦争の死者の間のつながりを確認するからだというのと、同じことなんじゃないだろうか。(略)

 

 

それは、日本の戦争の死者を敵視するものではありえないはずなんです。彼らの天皇批判には、戦争の死者とはなにより当時の民衆だったという認識と、自分たち国民こそがこの国の責任の当事者だという意識とがきわめて弱い。天皇批判を貫徹することが自分の戦後日本国民としての責任を全うすることだという構えになっていて、いまだに意識としては父を批判する子供のようです。それは橋爪さんの言う通り、無効だと思う。

 

 

では、いま必要なのは、どういうことか。僕は、天皇の現時点での戦後日本国に対する責任の核心を過不足ないかたちで明らかにすることだと思う。できる公正に昭和天皇に対し、その責任の核心を明らかにしたうえで、それを現在の関係世界のなかで再構築する。僕の考えでは、そういう意味でこれまでのもっとも核心にふれた昭和天皇への責任の名指しは、井上清からやられたものでも家永三郎からやられたものでもなく、三島由紀夫にやられたものだったと思う。

 

 

三島は、天皇は戦後、断りなく人間宣言を行うことで、戦争の死者たちとのコミットメントを一方的に破棄したのではなかったか、そしてそれは、「人間として」無責任なことだったのではないか、と言っているからです。(略)」

 

 

 

〇 ここでも、また「天皇が断りなく人間宣言を行った…」と言われています。

こんなふうに様々な人がそういうと、まるで、そのようなことが事実であるかのようになってしまうのが、社会なので、もう一個人には、どうにも出来なくなり、ただただ沈黙してその情況に耐えるしかなくなるだろうなぁ、と思います。

 

考えてみると、天皇という立場は、基本的人権を認められていない、大変な立場だなぁ、と感じます。

 

街場の天皇論」から引用します。

 

「ソ連や中国のような国家は、たしかにいかなるシャーマニズム的な要素も排して、すっきりと合理的な原理に基づいて統治されているという話になっている。でも、実際には、現世的な政治指導者がなぜか「国父」とか「革命英雄」とか祭り上げられて、神格化され、宗教的な崇拝の対象になっている。

 

 

どうやら、そういう「合理的に統治されている国」でも、霊的権威というものの支えがないと国民的な統合ができないらしい。そういうことがわかってきました。そして、現世的権威者が霊的権威者をも兼務するそういった国では、権力者は自動的に独裁者になり、独裁者の周辺には強者におもねる奸臣・佞臣の類が群がり、不可避的に政治がどこまでも腐敗してゆく。」

 

つまり、どんな国にも「宗教的に崇める対象が必要」なのが、人間社会なら、

そのことを、しっかり認識して社会を作る必要があるのでは?と感じます。

 

「橋爪 加藤さんの話を聞いていると、天皇の戦争責任を、死者に対する道義的責任というかたちにまず集約しようということのようだけれど、もうひとつ私にはぴんとこない。もう少し加藤さんの話を聞いてみてから、これは議論するとしましょう。

そこで、私の関心から言うなら、なぜ天皇が問題になり続けるかというと、天皇は、日本の近代化のキーだからです。

 

 

なぜ明治維新江戸幕府を打ち倒すことが出来たかといえば、天皇というシンボル、天皇という特別な存在があって、それが使えたからです。それが幕府を打倒する運動に正統性を与えるという大きな役割を果たし、日本人の行動様式を変え、国家というものを建設するための拠点となった。(略)

 

 

しかし、大日本帝国という名前のついたこの国家は、みかけこそ近代国家のかたちをとっていたけれども、その実、組織的な欠陥があった。これは、個々人がどんなにそれをカヴァーしようとしてもしきれないような構造上の欠陥だったんです。

 

 

その欠陥がどのようなものだったかは、あとで述べたいと思いますが、この欠陥のために、不合理な戦争を起こすことになり、その戦争に国民が邁進することになり、そして敗戦によって国家が解体し、占領されるという事態を招くことになった。

 

 

 

では、戦後はどういうふうに出来上がっているかというと、この大日本帝国という国家の欠陥を自分たちが認識して、内在的な努力で構造をつくりかえたというわけではなくて、占領軍の手でその構造的欠陥の手術をしてもらい、それを日本国憲法と名付け、それを追認するというかたちで出来上がっているものなんです。

 

 

 

その戦後という社会に属する日本人が、自分たちの同時代の日本国を緊張感をもって維持しているかと言うと、それはたいへん疑わしい。ここで緊張感とは、自分たちの国家の主人であり主体であるという自覚をもって、憲法や国家機関の構造と機能に熟知し、それを注意して運用する感覚の鋭さ、確かさのことをいいます。

 

 

 

自動車に例えると、整備工のようにエンジンの音を聞き分けて運転し、だめな部品を取り換える態度が緊張感で、ただ漫然と乗客然として乗っているのではだめなのです。私は、その緊張感と主体性のなさは大日本帝国と同じだと思っているわけです。

 

 

 

そして、この戦後の日本国に立って、大日本帝国憲法の欠陥をあげつらい、とくに昭和天皇の戦争責任なんていうことを言うのは、まさに大日本帝国の欠陥を戦後日本において再生産する主体性のなさの表れだというふうに思っています。

 

 

 

だから、日本国民のディグニティ(dignity 尊厳・品位)にかけて、そういう主体性のない言説は終わりにしたいと思うんです。(略)

 

 

 

加藤 なるほど、政治と自分たちの関係をつくりなおすことが戦後の日本にとっては本質的な問題だというのには賛成です。

僕も橋本さんと同じで、大日本帝国の構造と同じ構造が戦後にもある、と思っています。これまで何年も同じ間違いをやってきたんだから、このあたりで次のステージに進もうよ、というkとおなんです。

 

 

 

ではその同じ構造とはなにか。山本七平が「現人神の創作者たち」で次のように言ってますね。

皇国史観と言われるものの核心として、自分が軍隊体験から受け取ったものは、軍隊の内務班的論理、

「どんなことであろう自分の信念を貫徹すればいいんだ」、「自分の正しいと思うことを徹頭徹尾突き進めばいいんだ」という考え方のことである。それは、これが軍国主義の時代にワーッと日本社会にでてきたときに、誰もそれに抗せなかった論理でもある。

 

 

われわれは、普通、それを精神主義などと言っているけれども、日本の場合、いつでも極限状況になるとこの頑冥で不思議な信念貫徹の姿勢がでてくる。自分は長い間、これは日本の伝統のなかのどこからでてくるものなのか、と思っていた。その原虫は、江戸の初期に現れる朱子学、とくに山崎闇斎の学派の極端なリゴリズムである。(略)

 

 

 

この山本氏の話が面白いのは、天皇制の問題の核心は、この「信念のためには死んでもためにはいい」というありかただ、と言っていることです。つまり、天皇制の問題というのは、大日本帝国から戦後日本に一貫しているものを象徴しているところがあって、天皇の戦争責任問題というのも、これを解決すると天皇制の問題が解決の緒につくと漠然と信じられているわけだけれど、まず、天皇制の問題がなんなのか、それを別の言葉に翻訳して、開くことが大切です。山本氏はそれを、僕の言葉でいうなら、「内在」的な在り方だ、と言っている。

 

 

竹田 ここまで言われてきたことを僕のなかでできるだけシンプルに受け取ると、「天皇の問題というのは、ようするに君と社会の関係を象徴するものだから、君も、一度だけはしっかり考えておくといいよ」という言い方になるのではないかと思う。(略)

 

 

アレントの「全体主義の起源」でフランス政府のパナマ運河疑獄のことがくわしく描かれているが、フランスでは政体は共和制に変わったが、社会の支配層は旧勢力がほとんど乗り替わっただけで、そのために利権の癒着構造が想像もつかないほどひどい状態で残っている。市民の主体性をたてまえとする市民革命を行った国ですら、そういう状態だった。

 

 

 

近代には近代特有のある普遍的な「うまくいかなさ」があるわけです。つまり、理念としての市民性と現実の社会や国家とのあいだには、理想的な緊張感があるのは稀で、むしろいつも矛盾や亀裂がある。大きなスパンでシステム全体として少しずつ合理的なものに進んでいくほかない。それをあまりに日本の特殊事情に還元すると、むしろ、近代社会のすすみ行きの全体像が見えなくなる。(略)

 

 

 

橋爪 じゃあ、私が緊張感という言葉をどういう意味で使っているのか、もう少し説明します。(略)

この構想のポイントは、欧米と正面から戦ってそれを乗り越えたいというところにはなくて、欧米と無関係になりたい、ということなんです。つまり、同時代の中に自分と異質なものがいて、多様な社会があって、共通の国際ルールがあって、そのなかで日本という独自な共同社会を運営していく、という緊張感に耐えることができなかったわけです。

 

 

自分がなにか意味のある中心になり、西欧はともかく、とにかくアジアである勢力圏(テリトリー)をつくりあげる。そこは他からの干渉を排除したエリアとして、天皇を中心とする空想的な共同体として、日本人だけが存在できる。そういう幻想の甘さに負けてしまったと思う。

 

 

では、戦後の日本はどうなっているかというと、独立国の形式をとりながら完全に独立していないという面があり、日本の外交関係や軍事的関係は、まずアメリカに包摂され、アメリカを通して国際関係のなかに位置づいている。

 

 

そして、世界の多様性にある意味で目をつぶり、パリやミラノやニューヨークという先進国の文明に対して一方的なあこがれを抱き、「日本の現状は、それよりも劣るけれども、まあ、いいや」というなぁなぁの安逸した共同社会であって、いっぽう、アジアや第三世界にはあんまり関心がないという、そういう段階になっていると思うんです。

 

 

 

けれど、これは水平な多様性をそのまま認識して、日本がどういうふうに行動していけばいいかと考えるやりかたとは全然違って、緊張感がないと思う。緊張感がないという意味は、同時代の多様性を引き受けて、そのなかのひとつとして日本の共同社会というものを維持する、そういう構想力がないということです。それは大日本帝国の場合と同じです。

 

 

加藤 じゃあ、どうすればいいのかな?

 

橋爪 それは、大日本帝国の失敗を、わがこととしてよくみつけることじゃないですか。

 

加藤 いま言ったことはよくわかった。だけど、僕のなかからは「緊張感がたりない」という言葉はでてこない。「緊張感のなさ」と言うと、なんか「緊張感がある」というような「あり方」をすいよせるような気がする。どうも精神主義に聞こえる。緊張感のなさに耐えていくほうが、いいんじゃないかな。

 

 

橋爪 天皇は、緊張感だけで存在しているようなものなんですよ。(略)

 

加藤 それは戦前の?

 

橋爪 戦後もそうかもしれない。(略)そういう意味では、日本人のなかではいちばん緊張感のあるポジションにいる。そうするとどういうことが起こるかと言うと、他の人たちは彼がそう言うポジションにいるおかげで、そこからいくぶん解放されて、それだけの緊張感をもたないですんでいる。それはいまもそうかもしれない。そうすると、彼に戦争責任がある、とかいう物言いというのは……

 

 

加藤 甘えてる?

 

橋爪 ええ。

 

(略)

 

 

 

加藤 すごく整理して答えると、こうなると思う。(略)

さて、いまの問いですが、僕はいまの戦後の日本社会には、ほぼ十二歳くらいの子供たちから九十歳くらいの老人までを貫く基本感情が浸透していて、それは、自分たちはいい加減だ、ウサン臭い存在だ、出発点からして汚れている、というような感情だろうと思っています。

 

 

 

それは、いまの学生も共有している。どうせ言葉なんてきれいごと、日本っておかしいよなー、といったニヒリズムの淵源でもあります。では、どうすればこの基本感情を解体できるのか。僕は、この感情の淵源は、戦後、戦争に敗れることで日本が抱えることになった難しい問題を日本の社会が自力で解くことができなかったことにあると思う。

 

 

 

そして、そのいちばんはっきりした現われのひとつが、戦後半世紀をすぎてなお、この国が近隣諸国、関係諸国、つまりどのような国とも、まともな信頼関係をつくりあげられないでいること、また、この国で政治が力を失って久しいことだと思う。

 

 

 

学生に聞かれたら、僕は、天皇の戦争責任の問題をはっきりさせることは、キミが社会と関係をもてないでいることの淵源に光を当てることでもあるんだ、と言うだろう。いまの日本の若者が自分と社会の関係をうまくとれないようになってしまっていることには情報社会化とか高度資本主義の問題とかいろいろ要員があるだろうけれど、やはり、この政治、言葉が、信頼をかちえていない、という戦後固有のニヒリズムが大きく作用している。その象徴が、結局、自分の戦争をめぐる考えを一言もいわずに死んだ昭和天皇の戦後のふるまいだった。(略)

 

 

 

僕達には、理念ってなんだろう、どういうふうにして人はそんなものをもつようになるんだろう、そういうことが――これは日本だけのことじゃないんだろうけど――よくわかってない。

 

 

 

だから、日本は理念をもつべきだ、なんて言うと、外務省をはじめとしていわゆる識者が、環境問題がいいかな、平和かな、自由にするか、などとこれを探し始めるわけです。でも、理念というのは、そういうもんじゃないだろう。じゃあどういうものか。

 

 

 

僕が考えるのは憲法天皇の関係です。いま憲法は有名無実になっている。皆が憲法を国の最高法規だといいながら誰もその最高法規の意味を信じていない。僕は憲法が国の理念として掲げている平和の追求というものを、もし徹底した吟味の末、はやり国家理念として「選び直そう」とくことになったら、そういうとき、それが自分たちの理念だと言えるんだと思う。(略)

 

 

―— 僕は第九条に自衛権を認めるという立場ですが、これについては後で言います――、などということが問題になる。つまりそこから実現困難な課題への向き合いというものが生じてくる。

 

 

そもそも憲法が有名無実なものであることの淵源に、憲法第一条の象徴としての天皇国民主権の規定と憲法の連合軍による下付、第九条の戦争放棄日米安保条約という二つのセットというかたちで敗戦の遺産があることを考えるなら、これは当然のことです。この遺産としての歪みを正そうとすれば、明治政府が前政体の幕末の遺産である不平等条約の撤廃のため、四十四年をかけたことが前例となる。

 

 

 

明治政府は治外法権の撤廃と関税自主権の回復を国家目標に掲げたわけでしょう。(略)明治政府が幕末の遺産をこれは不如意だと思い、是正しようとしたのに対し、なぜ戦後の政府と国民は、この敗戦の遺産を「是正すべきもの」とみなかったのか。僕はそこに、天皇憲法の問題、天皇と理念の問題が顔を出していると思うんです。(略)

 

 

竹田 (略)

僕は、以前、「文藝」に天皇論を書いたけれど、いちばんのポイントはそこで、天皇言説が日本の思想のあり方のひとつの象徴になっていて、悪者捜しになっているということです。「日本という国がこんなに悪いのは実は天皇(制)のせいだ」という言い方をいつまでも再生産することによってわれわれにとって必要な議論が飛んでしまっている。

 

 

 

後発近代国としての日本が特にどういう弱点をもっており、したがって、今後二度と戦争を繰り返さないということも含めて、そのために戦後の日本社会の基本像をどう構想するか、そういう議論がどこにもない。(略)

 

 

竹田 そこで忘れないうちに、橋爪さんだったら、若い人に「なぜ天皇の問題を考えなければならないのか」と聞かれたら、どういう言い方になるんだろう?

 

 

橋爪 天皇という存在は、日本という国に正統性を与えているわけです。日本という国が、この東経一三五度、北緯三六度にある島の上にあっていいというのはなぜかというと、そういう正統性を弁証してきた歴史と事実があるからです。だから、たとえばパスポートをもって外国に行く時に、「私は日本人です」と言うとすると、そういう歴史的経緯が全部ひっかかってくる。

 

 

 

他の国の人間と出会うときには、やはりそれを背負うわけです。「天皇のことは知りません」ではすまないわけです。なぜかというと、たとえばアメリカ人なら、アメリカという国の正統性や正統的な価値観、それにどう対処するかということを、教育でもそうだし、日常生活でもそうだし、つねに意識して生きている。

 

 

多くの国がそうですよね。けれども日本だけは、それをやらないようになっている。というか、それを議論すると、日本という国の正統性に複雑な亀裂を生じてしまうために、公的言論のなかでそれを徹底的に議論できない構図がある。そのくせ、天皇ってなんですかと聞く若者も含めて、ほとんどの日本人は、自分が日本人だということを疑いもしない。

 

 

 

日本人だということを疑いもしない自分のあり方が、国際的に見てまことに異様で例外的だということを、知りもしない。それが可能なのは、天皇がいるおかげなのです。

みんなが自分の足で立っているときに、日本人はひとに寄りかかっている。天皇の重心をあずけている。自分の足で立っていないのに、そのことに気づかない。それを私は、緊張感がない、と言ったのです。」