読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

エンド オブ スカイ

〇 雪乃紗衣著「エンド オブ スカイ」を読みました。

彩雲国物語」でファンになり、「永遠の夏をあとに」で、ずっとこの人の言葉を読んでいたい、と思いました。

SFものは苦手なので、最後まで読み切れるかな…という不安はありましたが、

なんとかかんとか行き着きました。

 

心に残った言葉をメモしておきたいと思います。

 

「一ヶ月前、母が死んで、ヒナは一人になった。

研究が手につかないくらい心が沈んだ。

ヒナはその気持ちをもっていたかった。

(略)

それこそ脳内ニューロン信号を少しコントロールすれば、感情は落ち着く。

ヒナはどれもやらなかった。」

 

 

「男の子の胸からは海鳴りが聞こえた。輝くような生命の音が。」

 

「少年 — HAL ― のゲノム解析は、その気になれば一ヶ月前にはできた。

ヒナの服に付着した皮膚片や分泌物を調べればすんだけれど、ヒナはやらなかった。人権侵害等の問題というよりも…… あの幻みたいな一夜が、別の形に歪むように思えたので。」

 

「すべてのヒトはすべて同等の掛け金を賭けられ、必要があって今ここにいる。(略)

人間は社会的生物であり、集団生活を営む生物であり、でありながら集団の中身は決して「同じであってはならない」生物だ。私たちヒトはすべて違っていなければならん。でなくば、大いなる危機が訪れたとき、一発で絶滅するからな。」

 

 

 

「だが、私たちが「異常」だとみなした因子が、ヒト存続に必要なものだったとしたら?」

 

 

 

「それに、雨降りの日に<洪水地帯>の廃墟に逃げるような私でなければ、ハルと出会えなかったから。」

 

 

「— 地球の片隅に二人くらい、ヒナと俺みたいなのがいたって、たいしたことじゃない。」

 

 

〇 AD22✖✖年の物語、ということで、最初なかなか入り込めませんでした。

でも、後半どうなるのか気になり、引き込まれました。

あの「サピエンス全史」の中でも触れられていた、「神になった人間」の問題とも

絡む部分があり、面白かったです。

でも、一番惹かれたのは、未来の人間を扱っている、という所ではなく、

人間、ヒトの感じ方や考え方が、繊細に扱われている所です。

私は、この雪乃紗衣さんのそこがとても好きなんだと思います。

 

 

 

 

 

永遠の夏をあとに

彩雲国物語8巻「 心は藍よりも深く」を読み始めた所で、

雪乃紗衣さんが、「永遠の夏をあとに」という物語を出版しているのを知りました。

彩雲国物語はとても面白かったのですが、SF的なものは、イマイチ入り込めない方

なので、なかなか次の小説に手を伸ばせずにいました。

でも、彩雲国物語を再度読み始めると、ますます雪乃フアンになってしまい、

ダメでもしょうがない、とこの本を買いました。

 

そんなわけで、二度目の彩雲国物語は、8巻で中断し、こちらを読み、

その後、9巻の光降る碧の大地を読みました。

そして今、やはり、私は雪乃紗衣さんが好きだなぁ、としみじみ思っています。

 

9巻の「光降る…」で、茶州の問題は一件落着した感があるので、

ここで、彩雲国…は、少し休み、もう一度「永遠の夏…」を読み返しています。

今度は、時系列を頭の中で繋げながら読んでみたいと思っています。

 

この物語は、出だしから風景描写で始まっています。

私は昔から長々とした風景描写が苦手でした。

想像力や言葉を味わうセンスが足りないんだろうなぁ、と自覚はしても、

だからと言って、それらが身につくわけでもなく、

風景描写が始まると、だからそれで何だというの?

話の続きはどうなっているの?と、飛ばして先を読みたくなります。

 

ところが、ここが不思議なのですが、この本の風景描写は、

そうなりませんでした。

 

例えば、

「境内はがらんとしていた。草むらで虫が小さく鳴きはじめ、

藍色の空に一番星が光った。」

 

という一行を読んで、涙が滲むほど懐かしく、心が一気にその世界に連れて行かれる

ような気持になりました。

前後のエピソードがそのような空気を醸し出し、そうなるのだろうと思うのですが、

自分の中の体験や吸っていた空気などが、思い出されるような、

まさに現実ではないのに、現実のように感じてしまう感覚になりました。

 

そのような部分が、随所にあり、また、これは彩雲国…の時にも言いましたが、

漢字の持つ味わいが、あらためて意識させられるような、「古語」のような

言葉も使われていて、読んでいて、本当に楽しいです。

 

※ 7月1日

 

二度目の「永遠の夏をあとに」を読み終えました。

1~2章を読み、8章、4章前半、3章、4章後半、5章以降という順番で読んで、

頭の中で、ゴチャゴチャになってしまう時間の流れを整理しながら読みました。

物語の中に度々出てくるヴァイオリンの音色や槿の花の色、ラムネの清涼感などが、

話の中に漂う空気と混じり合い、現実には、何の音もしない、何の色も見えない、

香りもないはずなのに、単なる言葉の連なりのはずなのに、とても素敵なものを

味わうことが出来ました。

 

今、ウクライナの戦争で世界の秩序は根底から破壊されてしまったような、

恐怖と絶望感があります。

また、私たちの国、日本には、総理大臣が嘘を付き、犯罪を犯しても、その悪事を、

押しとどめ、犯罪をやめさせ、国民の為になる政治をせよと、軌道修正を

迫る力を持った国民がいません。

このまま、自公が議席を増やし、憲法改正に持ち込まれるのを、

どうすることも出来ないのか…と、

ただただ、暗い悲しい気持ちが募るばかりです。

 

そんな中、私は、現実逃避的に、児童小説や少女小説に逃げ込んでいたのですが、

その絶望感は少しも変わらないのですが、今日一日、この物語のお陰で、

元気をもらえた…と言えるような、そんな小説でした。

 

ところどころ、印象的だった言葉をメモしておきたいと思います。

 

「拓人はやっと何か言わないとならないと思った。」

 

「拓人に気づき、サヤの言葉が途切れる。拓人が麦わら帽子を投げて花蓮の吊った足にひっかける。花蓮と鷹一郎も黙った。花蓮のほうは弁当を食っていたためで、鷹一郎はその初々しい、デリケートでぎこちない空気を壊すほど野暮ではなかったので。」

 

「そのことが数馬さんを今もこれほど痛めつけているなら、そのほうが嫌です。

私は数馬さんのあの嘘が、とても嬉しかったんですよ」

 

 

 

「休憩のお茶請けは塩むすび、野菜の漬け物、井戸水。水は信じられないくらいこっくりとうまい。自分の中の澱が隅々まで雪(すす)がれ、死んでいた細胞や感覚が一つひとつ息を吹き返して行く気がした。」

 

 

 

ソーダ色の風と、麦畑を競争する二台の自転車、篝火と鷹一郎の神楽笛、向日葵の髪ピン、すず花と歩いた祭りの夜の、確かにふわふわした気持ち…そんな小学校の六年間を全部、アスファルトの後ろに置き去りにして行かなくちゃならない。」

 

 

「昔の俺は、サヤに何を言っていたんだろう?何を言えなかったんだろう。」

 

 

「けなげで、悲しくなって、カズマを抱きしめた。「大丈夫」まやかしでもそれしか言えなかった。まやかしが本当になるように祈った。」

 

 

「『羽矢君が待っているってさ。二見トンネルの近く』なんて綾香の見え見えの罠だってわかってても、もしかしたらと思った。」

 

 

「ちろちろと燃える篝火が照らすその姿は、潔斎したみたいな純白の浄衣。」

 

「『サヤが悪いものに追いかけられてるんなら、俺がおいはらうよ』

駄菓子屋のベンチで拓人がくれたその言葉は、サヤの胸で大事に灯りつづけている。」

 

 

「バイオリンと女の子の靴をもって勇ましく、「逃げよう」という息子だけが、この世界で唯一まともに見えた。まともなものが一つもない世界より、なんて素晴らしいんだろうと思った。

 

 

女の子を背負って路地裏を抜け、川岸に路駐した車に戻った。日本はバブルが弾ける寸前で、ついた車のヒットチャートと女子高生コンクリート詰め殺人事件のことを一緒にやっていた。

 

 

花蓮は手錠をかけられた女の子を後部座席に横たえて、聞こえてきたパトカーの音から、アクセル全開で離れた。警察じゃこの女の子を助けられない。こんな女の子は日本中にいるけど、警察は「もっと大事な事件がある」らしい。」

 

 

 

「「しない」

逢えなくても逢いたい。その苦しさが身を焼いても、拓人もまたその痛みを捨てる気はないのだった。それが小夜子のいた証であったから。」

 

 

〇 多分、これからも何度も読み返すと思います。

「まともなものが一つもない世界より、なんて素晴らしいんだろうと思った。」

という言葉に、泣きました。

また、「拓人もまたその痛みを捨てる気はないのだった。それが小夜子のいた証であったから」という言葉に、強く共感しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彩雲国物語

PCの不調やその他の理由で、しばらく「本」から逃げていました。

 

というより、あの山本七平著「日本人とは何か」を読んでいるうちに、

私の中に生まれた疑念は、「私たちは結局変われないのではないか…」という気持ちでした。

あの太平洋戦争を乗り越え、私たち日本人は、一歩前進した、と私は思っていました。なのに、ここにきて、日本会議なるものが起こり、安倍氏のような、あの太平洋戦争を引き起こした政治家と似ている政治家が現れ、マスコミや芸能人を抱き込んで、世論を丸め込んでいく現状を見ました。

 

更に、創価学会公明党という形でまとめられ、お国に協調していく、

国民の姿も見てきました。

 

それで、すっかり絶望的な気持ちになってしまい

もうあの「日本人とは何か」を読み続ける元気もなくなりました。

 

そんな時に、ウクライナをめぐる戦争が始まってしまい、

朝も夕もそのことが頭から離れなくなってしまいました。

 

そこで、増々現実逃避のための「世界」が必要になりました。

少し前まで、赤毛のアンシリーズを読んでいました。

あの中にある、アンの言葉、

「現実の世界が辛い時、ほんの一時だけ、夢の世界に逃げ込んで、

元気をもらって帰ってくるのよ…」。

 

実際、アンの世界は、私にとってそういう世界でした。

アンシリーズを読み終わり、今は、彩雲国物語を読んでいます。

とても面白く、アンの世界と同じように、元気をもらえます。

 

 

※ ここからは、この本を読みながら、あれこれ思ったことを書いてみようと思います。

 

☆5月17日

今読んでいるのは、彩雲国物語 第7巻。「欠けゆく白銀の砂時計」です。

もともと児童書にはまったのは、体調を崩し(腰痛)きちんと座ることが出来なくなったので、寝転んで読める本、ということでハリー・ポッターを読みはじめたのが、

きっかけでした。

 

その後、赤毛のアンの完訳バージョンを読み始めると、村岡花子訳から更に面白さが深まり、こちらにもはまりました。

 

そして、今は彩雲国物語です。

ハリー・ポッター赤毛のアンが翻訳ものなのに比べ、この彩雲国物語は、

日本人が書いたものだと思います(はっきりは分かりませんが)。

少なくとも、漢字に対する感度がとても繊細にあります。また、家柄とか血筋など、私たちの無意識レベルに入り込んでいる人間関係の大前提のようなものが、翻訳ものと違っています。

 

子どもの頃、本を読むのは、本当に楽しかった…。

ただただ、楽しかった。

その後、だんだん読む本がなくなり、読めなくなり、どちらかというと、

本は、楽しみのためのものではなく、知りたいことを教えてくれるもの、

になっていきました。

 

ハリー・ポッター赤毛のアン彩雲国物語は、そんな私にとって、

本当に久しぶりに、楽しみのために本を読むことを、

思い出させてくれた本です。

読みながら思ったことを、時々、少しずつメモしていきたいと

 

☆6月5日

 

彩雲国物語7巻を読み終わり、8巻も終わって、今は9巻に入りました。

8巻の出だしは…

 

「いつもより、早い冬が訪れたその年 ―― 。

真っ白な雪が、鵞毛のようにはらはらと舞っていた。

簡素な墓標が林立する中で、子供は一人きり黙々と最後の墓標をつき終えた。

真新しい木肌がのぞく墓標の数は、二十と少し。

すべての音をのみこむ白き死の静寂のなかで。

彼は膝をつき、ゆっくりと仰向くと、その眸に白い天を映した。

一切の穢れを許さぬ冷ややかな白銀の洗礼を、彼は黙ってその身に受けた。

 

―― そうと知りながら、彼は罪を犯した。

ただ、己のためだけに犯した罪。

冷酷なる白の女王が支配する、しんしんと深く降りつもるあの光景を、影月は忘れない。

そして誰一人知ることなく、ひそやかに息絶えた、小さな小さな山深きその村を。

 

 

    ※  ※  ※  ※  ※    」

 

 

と、物語は続いているのですが、

とても惹きつけられる文章です。

ドラマチックで、強い印象が残る絵を見せられた時のような

気持ちになります。

この彩雲国物語、3巻くらいまでは、いかにも少女小説…といった

内容だったのですが、4巻あたりから、「序章」の前に、この強烈で時に血なまぐさい

描写が入る様になりました。

あまり説明的ではなく、でも、第7巻の影月の謎に迫っています。

(4巻では燕青の謎でした。)

そして、9巻では、その謎が更に具体的に物語られていきます。

この、それぞれの描写が一篇の詩のようでありながら、

前後の物語を繋いでいく、という手法で進められていくので、

読んでいて、とても楽しいです。

 

☆ 8月21日

 

少し前に、22巻「紫闇の王座 下」を読み終わりました。二度目の彩雲国物語でした。

最後は、パタパタパタ…と「全てが上手くいく方法」で、終わって、それもまたすごい!と思いました。

 

 

所々、心に響いた文章をメモしておきたいと思います。

 

9巻「光降る碧の大地」

「堂主様が予防を知っていたなら、子供に石をなげられようが馬鹿にされようが、誰にも信じられなくたって、何度だって繰り返し繰り返し、信じてもらえるまで、歩いて、説明して―— 村の長に伝えて、郡太守に文を書いて、それでもダメなら、州牧の許に出向いて、牢に入れられたって直訴したでしょう。あなたのように、口先だけで放り投げることなんてありえません。」

 

〇 ここを読んだ時には、あの原発事故の時も、この度のコロナ禍の時にも、

同じように、「直訴」した人々がいるのを見たなぁ、と思いました。

でも、この彩雲国物語と決定的に違っていたのは、国のトップの方でした。

この物語の中では、国のトップには、様々に個性的な人々であっても、国民を守るという真っ当な感覚がありました。

 

でも、私たちの国の為政者には、果たしてそれがあるのだろうか…と思います。

 

 

11巻「紅梅は夜に香る」

「誰かには当たり前の幸せが、自分には当たり前でなくとも仕方ないと、心のどこかで思っておりました。手に入らないものは、最初から望むまいと……… 大切なものはそのままに、壊れないように棚にそっと飾って、見ているだけで構わないと………」(略)

 

「でも主上、私は結局聖人ではなくて…… 愛する人に、そばにいてほしいと思ったり」

「………」

「大切な友人に、お前だから必要だと、言って欲しいと思ったり」

「………」

「あきらめるべきだとわかっていても、どうしてもあきらめきれなかったり……しました」

悠舜は、自らの掌に視線を落とした。まるでそこに、見えない宝ものがあるかのように。

「……それは多分、とても大切で、必要なものなのです。木々や花に天水が必要なように」

 

〇 ここは、この物語の中でも、そして、多分、今まで読んだすべての小説の中でも、

一、二を争うくらい好きな場所です。

 

 

☆ 8月31日

 

14巻 「白虹は天をめざす」

「迅と離れて、十三姫は悲しむよりも ……ホッとした。

もう迅を不幸にしなくてすむ。(略)」

 

「姜州牧はさらに陰惨な顔をした。 ……この歳になると、甘酸っぱい昔の想い出を聞かされることほど嫌なモノはない。ああいうのはナマモノなのだ。大事にとっとくんでなく、その場でとっとと食べて腹におさめ、ほじくり返さないべきというのが、姜州牧の持論だった。」

 

 

「……… どこかで、生きててくれればいいと思ったわ。迅に軽蔑されても、嫌われても、間違ったことをしてでも、私は、私を最後まで助けてくれた迅を、助けたかった。…(略)」

 

 

17巻 「黒蝶は檻にとらわれる」

 

「誰にでもできるけれど、実際は誰にでもできるわけじゃない。でも本当はやれたらいいのにと思うことをやってくれるから、叙牙は秀麗を見てるのが好きになった。

「俺には同じコトはできないけど、ちょびっと助けるくらいなら、したいと思うんだよ」

何もしないで遊んでいた時より大変だけど、毎日が少しずつ楽しくなったから。

 

燕青は破顔した。秀麗は別に何かを変えたわけではない。けれど秀麗を見ている誰かがちょっとずつ変わる、その波紋の一つを、燕青は今見ているような気がした。」

 

19巻 「暗き黄昏の宮」

 

「……いや、待て。だが、飛蝗は、普通、群れないだろう?(略)」

「その通りです。(略)一匹で行動するのが大好きなのが本来の飛蝗です。(略)」

(略)

「……でも、頭の悪いチンピラ集団と同じで、一度群れて暴れてヒトサマからむしり取って楽に生きられる方法を覚えてしまったら、もう元には戻れない……」

(略)

「そうです。普通は緑。つまり、保護色です。葉っぱの色に隠れて外敵から身を守る色です。それが群れると黒と黄色に変色する。『見つかっても構うかよ!どうせお前らにゃ何もできねーだろうヘヘン』みたいな超攻撃的な色です。それが見分ける印でもあるんですが」

 

「わ、悪い!悪いぞ!バッタ!!開き直るなんて最低だぞ!!見損なった」

というか、むしろ人間とバッタ軍団の習性に大差ないことが劉輝には結構衝撃だった。」

 

〇ここでは、蝗害に対応する役人たちのあれこれが書かれているのですが、

前回は、疫病、今回は蝗害、更に、塩や鉄の動きから、不穏な悪事を感じさせる伏線が続き、社会の動きをあらためて教えられます。

 

特に、藍家や紅家が家の財力や人脈を使って地方を納め、その勢力が、国のやり方にも影響を及ぼしている個所を読むと、今、ロシアやウクライナで取りざたされている、「オリガルヒ」を思い出しますし、ヨーロッパの貴族なども、同じようなものなのでしょう。

 

ハリー・ポッターを読んでいた時は、魔法省がボルデモート側に乗っ取られ、

マスコミがハリーを広告塔にしようとしたり、世論を自分たちに都合よく誘導するための記事を書く記者が現れ、

魔法の世界とは言え、めちゃめちゃ現実世界に近いリアリティを感じました。

 

 

この本も、ファンタジーでありながら、その類のリアリティがあちこちにあり、だからこそ、読んでいてこんなにも引き込まれるのだろうと思いました。

 

☆ 9月6日 

 

20巻 「蒼き迷宮の巫女」

 

「最悪の場合、全土で死者、十万。三年後に人口半減、国の二人に一人が死ぬ試算が

出ました。ただし、現段階で紅州の備蓄食糧を隠匿しておけば、紅州だけは人口生存率八割」

温存ではなく、隠匿と言った。そう、隠匿が正しい。温存とかふざけた言葉を使いやがったら、殴り飛ばしていた。」

 

 

「他州を見殺しにしろ、ということだ。志美は天を仰いで息を吸った。副官を怒鳴りつけはしなかった。この嫌な仕事を、下っ端に押し付けずに自分で伝えにきた。いつだって冷静沈着な副官が、汗だくで飛んできた。ちゃんと血の通った、数少ない骨のあるオッサン州伊だ。」

 

 

「何日ぶりかに見上げた昊は、抜けるような紺碧で、白い鳥が一羽、円を描いて飛んでいた。志美の目の端が、ゆらゆらと滲んだ。ああ、と胸が詰まった。—— 戦は終わったのだと。

『ああ、戦は終わりだ。 ―― ようこそ、最悪よりはちょっとマシなだけの世の中へ』

男は煙管を嚙みながら、悠然と笑った。

あの頃は、なんと気楽だったことだろう。物事も、善悪も、何もかも真っ平らで単純で、生きるか死ぬかの二択しかなくて。生きるために考えたり、悩んだりすることなどなかった。

それはとても楽だ。考えなくていい。悩まなくていい。動物と同じ。人間じゃない楽さ。今の重さは、人間だから感じる重さみたいだ。捨てたら終わり。戦がない世のほうが、百倍生き難い。当たり前だ。そこで誰もが踏ん張ってるから、最悪よりマシな世界でいられる。」

 

 

 

「蝗害は放っておけば自然に終息する。そう、十年も経てばね。十年なんてあっという間だよ。そう心配することもない。人口が半分減るだけだ。それだって別にお前のせいじゃない」

「——— 父上!! 違う、違います。それは絶対、違う!」

 

 

〇 どうも、私たちの国の役人は、こう考えているように感じられてなりません。

原発事故の時も、コロナ禍の時も、ただ放っておく…。いつかは終息する。人口が少し減るだけ…と。

諸行無常。一切は空。その価値観で生きる時、そうなるのが、当然なのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いかれころ

〇 三国美千著「いかれころ」を読みました。

読書は苦手だと何度か書いたのですが、これも出会いなのでしょうか。

たまたま目にした題名を見て、どういう意味だろう?と思ったので、

読んでみることにしました。

少し前に読み終わったのですが、結局「いかれころ」の意味はイマイチよく分かりませんでした。

いかれぽんちという言葉は、知っています。それに似てるので、その類の言葉かな?と思ったのですが、違うようです。

 

 

読み終わった後の、物語全体を振り返った時の印象を書いてみます。

装丁として、きれいな桜の花が描かれていますが、まさに内容にぴったりの装丁だと

思いました。

桜の花は日本国の象徴のようになっています。そう擬えて見るのは、

たまたま私が、「日本とは…日本人は何故…」と考えていた最中だからかもしれません。

作者の意図とは、別なのかもしれませんが、私はそんな風に受け取りました。

 

 

登場人物の家には、見事な桜の木があり、父親は、子供の入学写真等には、必ず桜を入れます。逆光で良い写真にはならないとわかっていても、この桜を入れずに撮るなど、思いもよりません。

 

 

月日が経ち、庭木に詳しい老人が、そろそろ桜の木は切った方が良い、とアドバイスしても、それを受け入れることが出来ません。そして、物語の終盤では、この桜の太い木の根で、家の基礎が脅かされるかもしれない、という状況になります。

 

 

著者紹介を見ると、著者は1978年大阪生まれ、となっています。

家の長男は1979年生まれなので、息子と同じ世代で、

物語の中の母親は、まさに私と同じ世代です。

様々なエピソードにそれを感じさせる描写があり、親近感を感じながら、

読みました。

 

 

読み始め、なんとなく、以前読んだあの 「カジュアル・ベイカンシー」に似てると感じました。ほとんど小説を読まないので、たまたま読んだ二つを並べてそう感じただけかもしれないのですが。

 

日々の生活のこまごまとした場面を、淡々と描いて物語が進行していきます。その描写に引き込まれます。カジュアル・ベイカンシーでは、最後衝撃的な事件が起こり、ドラマチックな展開になりました。でもこの物語では、そのような事件も起こりません。何も起こらない。ただ、熱くもなく冷たくもない、生ぬるい現状維持の空気が人々を押さえつけている。まさに、今の私たちの国の空気そのもの、のような気がしてきます。

 

 

安倍元首相は、首相になった時、「美しい日本を取り戻す」と言いました。

桜=美しい と擬えた時、その美しさを守ろうとしながらも、人間を守ることは蔑ろにする姿勢と重なって見えます。

 

 

印象に残った文章をメモしておきたいと思います。

 

「東に以前松だらけの山だった住宅地を背負い、六つの村と町が一つに束ねられ南河内市を名乗るようになっても、一足飛びに村が新しくなるわけではなかった。外環状線沿いの田畑が小さなお家の密集地帯に様変わりしても巡礼道に住んでいる人は昔のままだ。」

 

 

 

「三本松には身分というものが残っていた。身分と言って差支えがあるなら、一人一人分をわきまえるという美徳を大切にする人たちが生きていた。」

 

 

 

 

「この頃、杉崎の家で持ち上がっていたのは志保子の縁談だった。(略)

女の子は短大を出たら御の字で、二十五までに結婚する人も多かった。」

 

 

「私は何もかも知っていた。

志保子叔母がとても賢かったこと。セイシンの発作が起きて、牛乳にネズミ取りの毒を入れられたと村中のマーケットで大暴れしたこと。(略)

美鶴の姉に若くして自殺したヨシエさんという人がいて、神経が細かいのはその人からの血だろうとされていること。母のおしゃべりからなんでも子供の耳に入ってきた。」

 

 

 

「「知っているか。こう見えて俺は福井大学代表として東京大学で一番に演説をしたんやで」

「ふうん」

東京大学という時、隆志は威勢が良かった。」

 

 

 

 

「「こうとくしゅうすい」が何をした人なのか久美子ははっきり知らない風だった。シズヲにしても事件の当時九つや十のなに不自由ないお嬢さんでは、訳が分かっていたかは怪しかった。その「えらさ」が分かって来たのは、帰る家をなくして、住み込みで働く生活を余儀なくされてからだったろう。(略)

女一人で辛酸をなめてきたシズヲは良かれと思って分家を建てたにちがいないが、結局その家屋敷が孫娘の家族に影を落とし続けるとは疑いもしなかったろう。」

 

 

 

 

「政治というものを末松はさほど信用していなかった。選挙で票を入れるのは昔から堂山六郎と決まっていた。しかし末松にすれば、選挙に名乗りを上げるような輩はごんたくれの出たがりでしかなかった。」

 

 

「その言葉は幼心に煽情的に響いた。

見合い結婚の彼らにとって、隆志の学生運動の話は過去を共有している錯覚を引き出すための小道具だった。

「アカっちゅうことあるか。お前と結婚する前に止めてるわ」」

 

 

「杉崎の一統でそのころ「恋愛結婚」をしたのはえっちゃんだけだった。「あの子の結婚はなぁ」と久美子が言い出す時、何とも言えない厭わしさがあった。」

 

 

 

 

「「差別」してはいけないものとして閉め切った体育館で、牛の背割りの映像が映し出された。真っ二つの背骨と作業をする人はセイシン、恋愛結婚という言葉につきまとう影とすぐには交わらなかった。

 

 

 

うす黒いものはどこにでも、家庭の中にも学校の中にも職場の中にも靴の底の砂みたいにまんべんなく入り込んでいた。もっと後になって高校生の頃、近鉄電車の車内で白髪の老婆が誰彼に向かって「この辺りに部落ありまっしゃろ」と言いながら好奇と蔑みに目を輝かせたのを見た時、私はさっと目を伏せた。それは明らかに差別だったし、予想に反して自分にもなじみの感覚として体の中にあった。」

 

 

 

「「私また、志保子ちゃんは結婚できへん体やとばっかり思ってたんよ」

うす黒い影はそうやって私たちに襲いかかってくる。触れたが最後公然と見下される。」

 

 

 

 

「私は黒く濡れる石ころをアロエの鉢に投げた。女という言葉にも黒い影がついて回るのに私は気づきかけていた。志保子はきっと我慢しているのだ。杉崎の家のためなのだ、と私は決めつけた。」

 

 

 

「亡くなる前に末松は後あとを見越して桜の樹を切っておいた方がいいと言ったが、隆志は珍しく久美子にも相談せず断ってしまった。(略)

決断の鈍さのせいで、三十年後に末松が危惧した通り桜は大木になりすぎた。応接間の樋を押すほど枝をはり、根は飛び石を押し上げて家の基礎に迫って大問題になった。

久美子は白い歯を見せた。妹を産む直前でシズヲがまだ生きていて、幸明が結婚して売嫁を迎える前のこの数年の間が、久美子の最後の黄金期だった。」

 

 

「田植えの日は晴れがましかった。農作業は仕事という以上に、一統の絆を確かめる機会でもあった。」

 

 

「久美子がせっぱつまって一泊旅行に出かけたのは間違いなかった。夫と幼児しかいない桜が丘の家に志保子が泊まるのを、普段なら許すはずがなかった。姉妹の間には、久美子の側から一方的に火花がチリチリすることがあった。」

 

 

「「本所のおっちゃんが釣書持って来はったら、なこたん桜のきーになわかけてぶらさがったる」

私は挑発的だった。(略)

結婚と自殺は幼児の頭の中で一緒くたになった。結婚だけが女の唯一の道と決められているなら、大きな娘のまま家にいるのは不名誉だと、とびきりの保守派の私は考えた。大人になっても結婚せずにすむ方法は自殺だけだ。桜が丘の由来になった桜の樹にぶら下がって死ぬのが、最も痛烈な表現になる気がした。

 

 

 

幼いながらに私はこの先学校や社会になじめないこと、久美子や末松の望んでいる子に、そして大人になれないことを予感していた。」

 

 

 

「近所の同い年の男の子と田んぼの畔をばったみたいに駆け回っていた私は、他の女の子よりもぼんやりした子だった。」

 

 

「美少女たちはそうしたいじめをしても許されるという雰囲気がもも組のクラスの中に存在していた。」

 

 

「二人目を身ごもってもまだ久美子は自分の結婚に折り合いをつけられなかった。旅行、同窓会、百貨店での買い物、趣味のお稽古、それらで気を紛らわそうとしても効き目はなかった。

久美子はわけのわからない矛盾の嵐だった。もっと後の時代になれば気分障害だとか病名がつくくらいの危機的な状態にいた。」

 

 

 

「「見合いでしやなしに結婚した人やもん。結婚したくてした人やないもん。お父さんが先にこの家建ててしもたせいやないの。この家なかったら別の人と一緒になってたはずやったのに」

娘の責任転嫁を蠅でもはらうように、ふんと末松は鼻で笑う。」

 

 

 

「美鶴は息子をかばうために必死だった。(略)

久美子は急に肩を落とした。丁寧に靴下の裏を払うと、何事もなかったように框に上がり流し台のまな板の前に戻った。

柄の取れた包丁を取り、まっすぐ出窓のガラスを見つめつぶやいた。

「ほんま私は、いかれころや」

いかれころ。

なんてぴったりなんやろう。(略)」

 

 

 

 

「これから先、何十年も桜が丘の家は手ひどい仕打ちを受けた。不道徳で、犯罪すれすれのいかれ沙汰だ。分家は本家が作ったもので、上の奴が作るものは上の奴の都合で良いようにされる。祖父がいきり立つ度、祖母が無鉄砲をしでかす度、叔父が問題をおこす度、久美子はいつもしてやられた。

 

 

 

カイホーとアカと共にしまい込んだ言葉を、私は何十年後までも取り出した。母譲りなのか、私は窮地に立つのが趣味みたいだったから。焦りを隠し、自分の愚かさと無鉄砲、子供じみた正義感を悔いながら、何度心の中で「いかれころ」と唱えたかわからない。確かに、卑下ではなかった。してやられた風を装い、反骨精神を奮い立たせて、災厄に対抗するために、やせ我慢をして鼻で笑い飛ばした。」

 

 

 

〇 淡々とした描写の中に、ミステリー小説のような謎があって、どうなるんだろう?と思いながら、次を読みました。

 

例えば、

志保子と久美子の間に一体何があるのか。時々ピリピリするのは何故なのか。気になって読んでも、結局最後までわかりませんでした。

 

久美子と隆志は一体どうなって行くのか。でも、結局どうにもならず、そのまま年を重ねて行ったようです。

 

桜が丘の家が受けた手ひどい仕打ちとは何だったのか。不道徳で犯罪すれすれのいかれ沙汰とは?

でも、これも何のことか、さっぱりわかりませんでした。

ただ、不道徳で犯罪すれすれの行為を繰り返した政治家がこの国では簡単に不問に付される体質があることを思い出しただけです。

 

 

また、二人目を身ごもっても自分の結婚に折り合いが付けられず、気分障害という病になった久美子の生涯を見る時、秋篠宮家の長女の結婚を思いました。

誰もが、たった一度の生涯を必死に生きる権利があると思います。

自分で選択して、その結果を引き受ける時、それがどんな人生でも、その人は一生懸命に生きたことになると思います。

 

誰かに押し付けられた役割を、引き受けたくないと思いながら、その意思表示をしないまま、ズルズルと、誰かの決めた鋳型の中に、引きずり込まれて生きる時、

あの真子さんが言ってたように「心を大切にして生きること」が出来るでしょうか。

 

 

「いかれころ」どういう意味なのか、きっとこれからも考え続けると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人とは何か。

「3 律令制の成立

◎”科挙抜き律令制”の導入

(略)

「では天皇は日本人の教皇(ポープ)なのか」。この質問には少々弱った。後にイエズス会の東洋宗教研究所(当時)トマス・インモース師から、キリシタン宣教師が「天皇教皇に、足利将軍を実権なき神聖ローマ帝国皇帝に、分国大名をその帝国の大諸侯になぞらえている」と聞いた時、「ウーム、あのときこれを知っていれば、もっとうまい答えようがあったものを」と思ったが、あとの祭りだった。(略)

 

 

「帝権と教権」とか「教皇の俗権停止」とか言った言葉は、西洋史にしばしば登場する。(略)

 

 

 

中国の場合は、皇帝が聖人で、官僚が君子、そして律令が順守されれば、孔子が理想とした「王道」の国すなわち理想社会ができるはずであった。(略)

では、中国へ行って律令制を知った七世紀の日本の留学生は、果たして以上の基本的な考え方を正確に把握して帰国したのであろうか。七世紀の留学生が何を考えていたか現在ではわからないが、日本に移植された律令の運命を見ると、この基本には余り関心を持たなかったと思われる。(略)

 

 

 

というのは日本の律令制は「科挙抜き」であった。もっとも実施してみた、あるいは実施しようとしたらしい形跡はあるが、科挙で選抜された者が国政を担当するという体制はついに実現しなかった。(略)

 

 

 

しかしいずれにせよ「科挙抜き律令制」とは「選挙抜き民主制」のようなものである。

というのは中国では官職の世襲は許されず、同時に全中国人に科挙の受験資格があり、合格した者のみが官職につきうる。これは選挙で当選した者のみが国会議員になり、首相にもなりうるのと似た意味を持ち、もしここに「官職の世襲」が入ってきたら、律令制の基本精神は崩れて、文字通り、似て非なるものになってしまう。

 

 

 

中国はこの体制を完成させていったが、日本は別の道を歩んでいった。というのも、この律令制を導入するのは、当時の日本に要請されている政治目的に合わせてこれを利用することが目的であったし、またそれだけが可能であったからである。」

 

 

※ この本、上巻だけは一応読みました。難しく、古文書が載せられている部分は、

理解できない所も多く、それでも興味深く読んでいたのですが、ここで一旦やめます。またやる気が出た時には、続きを載せたいと思います。(12月1日)

 

 

 

日本人とは何か。

「かな文字文化完成への苦戦

だが、一つの文字文化 ―― それはその文化の基本を形成するものだが ―― を、何の模範も前例もなく、文字通り創出しようとするものは、常に苦闘を強いられた。日本人が「かな」の完成へと苦闘する三千年以上も昔に、セム族のアッカド人も同じような苦闘をしていた。

 

 

彼らはシュメール人楔形文字を採用したが、これも漢字と同じく表意文字だった。だがシュメール語とアッカド語は、中国語と日本語が同じでないようにやはり同じでない。

さらにシュメール人は、彼らの表意文字をそのまま音節文字にも流用していた。たとえばan=天空は、天空とは関係なく音節anとしても使用されたし、mu=名前もまた単に音節muにも使用されていた。(略)

 

 

 

さてこうなると、一個の文字が何を表しているのかわからなくなって、まことに「戦慄すべき楔形文字」となった。だが彼らはあらゆる工夫をしてこの混乱から脱出していった。それは日本人が「かな」へと脱却していったのと方向が違ったとはいえ、最終的にはラッ・シャムラの楔形文字アルファベットへと進んでいったわけである。

 

 

 

こうして見ていくと、日本人がやってきたことは、多くの創造的な民族がやってきたことで、その点において日本人もまた例外ではなかった。その意味で「かな」の創造は一種、普遍的な現象であったといえるが、日本人の出発は ―― 他の多くもそうだが ―― 彼らの出発よりはるかにおそかった。しかし、「かな」への脱却はきわめて早かったといえる。(略)

 

 

 

 

◎日本文学の独自性・普遍性

そして「戦慄すべき楔形文字」を連想させる万葉仮名が「いろは歌」のような形で「かな」として成立すると、日本人は、百花繚乱ともいいたい古典文学の世界を生み出した。「古事記」、「万葉集」「源氏物語」「古今和歌集」「平家物語」といった著名な作品だけでなく、ドナルド・キーン博士が「日本人の日記」の中で取り上げた膨大な日記文学にいたるまで、そこには、自国語を漢文の拘束から解放し、自由自在に自国の文字で語っていける喜びと豊饒さが現れている。

 

 

 

私は韓国に、このような自国語の古典文学がないことを知った時、一種の衝撃を感じた。もっとも「三代記」という「万葉集」のような歌集があったらしいが、それは失われ、はるか後代の十二、三世紀の「三国遺事」の中にその一部が漢字で集録されていることを知った時、一体なぜそのようになったのか、小林秀雄が「本居宣長」の中で記しているように「文化の中枢が漢文で圧死させられた」のか、との何ともいえぬ不思議な感じに打たれた。

 

 

 

万葉集という歌集は、とにかくわれわれが、無条件に楽しめる文化遺産である」(岩波版日本古典文学大系「解説」の冒頭)といえる遺産をもつわれわれは幸福である。万葉集は今も生き続けている。

 

暇無く人の眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも

 

こういった歌を読むと、なんとなく私は最近流行の「サラダ記念日」的な歌を連想し、こういう伝統は消えそうで消えず、民族の心の底に見えぬ流れとなって流れつづけ、時々、噴水のように噴き出してくるような感じをうける。(略)

 

 

自らの文字を造ると、いきなりその文字で自らの言葉の自らの文学を創作した民族は珍しい。自らの文学を創作するにあたって、ローマ人は長い間ギリシア語を用い、ヨーロッパ人は長い間ラテン語を用いても、自国語は用いなかった。この点では自国の文学をあくまで漢文で記そうとした韓国人の方が普通なのかもしれない。(略)

 

 

 

いわば日本人は「かな」による自国語の世界に生きつつ、同時に漢字という当時の東アジアの「世界文字」につながって生きていた。そしてこのように独自性と普遍性を併せ持つことで日本の文化は形成されていった。(略)

そして明治のはじめに日本人が英語に接したとき、これを漢文のように受け取り、そのため英語を「読めるが、話せない」人々が輩出した。これは「漢文は読めるが中国語は話せない」という伝統の現代版である。だが他国の文化を摂取するのはそれで充分な一時期があり、日本人がそれをまことに能率的に活用したこともまた否定できない。

 

 

 

この点ではインド人や中国人の学び方と全く違う。伝統とは実に根強いものである。(略)

日本文化とは何か。それは一言でいえば「かな文化」であり、この創出がなければ日本は存在しなかった。さらに、近代化・工業化にも多大の困難を伴ったであろう。そしてその文字を創出していく期間、いわば、「戦慄すべき万葉がな」の期間は、同時に律令制が出現へと向かって行く期間だったのである。日本人はまことに能率的に、文字と文学と中央集権的統一国家とを併行して形成していった。」

 

 

 

 

日本人とは何か。

「◎「かな」はだれが造ったのか

では一体、日本文化を決定したといえる「かな」はだれがつくったのであろう。(略)

漢字をそのまま表音文字に用いた「万葉仮名」が「かな」の基本であることは言うまでもないが、「万葉集」自体が5世紀前半から天平宝字三年(七五九年)正月一日まで、約四百年間にわたる四千五百首ほどの歌の集録(二十巻)で、「万葉集」自体が「一漢字→一かな」とはなっていないから、だれの創作かは、はじめから不明である。

 

 

 

 

 

これが余りに複雑なため、平安時代にすでに難解となり、そこで天暦年間(九四七~九五七年)に宮中で源順ら五人が「万葉集」にひらがなで読みを添えた。これが「古点」、これを付したのが「古点本」といわれ、現代の「万葉集」の原本になっている。

このように複雑なものを簡単に説明するのは難しいが、源為憲「口遊」(天禄元年=九七〇年)を見るとその原則が理解しやすいので、次に記そう。(略)

 

 

以上のように四十七字になる。このほかにもさまざまな「いろは歌」があったらしいが、もし万葉仮名と現代のかなとの関係が上記のようにすっきりしていたなら、「古事記」の解読などはたいしてむずかしい問題ではなかったであろう。(略)

 

 

 

 

一例として「く」を取り上げてみよう。推古期には「久」だが、古事記・万葉では「久玖九鳩君群口苦丘来」で、これが日本書紀では「久玖区苦句 窶屨衢」となっている。なぜこのように複雑になったのであろうか。

まずその期間が四百年にわたること、また「万葉集」では多く地方の歌も集められたこと、記紀ではおそらく、中国にならって同一の漢字の反復を避けたためなどの理由があると思われる。(略)

 

 

 

まことに混沌とした感じだが、これは自分の心の中にある歌を、何とかして、その当時の日本の周辺世界にあった唯一の文字で書き表そうという苦闘の結果だった。(略)

そこにあった苦闘は、漢字に圧倒されて日本語を殺すか、漢字をてなずけて日本語の文字にしてしまうかという苦闘だった。そしてもしそれができなければ最初に生命を失うのは詩と歌だったはずである。

 

 

 

和歌を漢文にすれば死んでしまう、それはもう歌ではない。この点ロドリーゲスがかなの使用で「韻文や詩の書物を書く」のに用いると記しているのは、正確な記述というべきであろう。」