読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

2018-01-11から1日間の記事一覧

東洋的な見方

「※のつづき スエーデンにラーゲルクィストという人がある。近代有数の作家で思想家だ。その人の小品に「永遠の微笑」がある。その中に出てくる「神」は、ユダヤ系の神でなくて、平凡な一老樵夫である。 朝から晩まで、一生を通じて、同じ仕事に精出している…

東洋的な見方

「<東洋の心 1965年> 「東洋的思考」または「東洋的真理」というべきは、西洋的なものと違って一種の特性を持っていて、この特性が、まだ世界一般に解せられていない。 これをどうかして知らせておきたいというのが著者の所懐、これが全編に渉っている…

東洋的な見方

「<時間と永遠 1959年> 永遠の生命などというが、そんなものはあり得ない。生命は移り変わるのが生命、移り変わるそのことが生命だから、その他に移り変わらぬものがあるとはいわれない。(略) 永遠の生命は永遠の死にほかならぬ。このような生命を願…

東洋的な見方

「<「自由」の意味 1962年> 大人から見ると、子供は、とんだり、はねたり、種種様々の遊びをやったにきまっている。「何もしない」は、客観的に見ると、大いなる虚誕である。ところが、子供の主観から見ると、百般の活動態はいずれも遊戯でしかないの…

東洋的な見方

「<創造の自由 _ 「荘子」の一節 1962年> 東洋には、昔から、二つの主な思潮が流れてきた。今もそれが跡づけられる。(略) 一つは儒教的なもの、今一つは老壮的なものである。儒教的なものは、形式的・律法的・機械的方向に動かんとする。老荘的なも…

東洋的な見方

「禅にかぎらず、仏教全体についていうと、内を見るとか、照らすとかなど話せられる場合には、いずれも思議的・思索的・論理的方法から離れることを意味する。いわゆる超証である。飛び越えることが肝要だ。 同じ平面でなく、次元のちがった面に立つのである…

東洋的な見方

「この経験を一種のムードのように解釈する人もある。これは自分にこの体験がないからの話にすぎぬ。ただのムードの中からは、仏教のような甚深の哲学は出てこないし、また一生を通じての安心の基礎となりえないし、また他の動かすほどの迫力が発生しないの…