読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍

一下級将校の見た帝国陸軍(死の行進について)

「野坂昭如氏が「週刊朝日」50年7月4日号で沖縄の「戦跡めぐり」を批判されている。全く同感であり、無神経な「戦跡めぐり」が戦場にいた人間を憤激させることは珍しくない。 復帰直後のいわゆる沖縄ブームの時、ちょうど同地の大学におられたS教授は、…

一下級将校の見た帝国陸軍(現地を知らぬ帝国陸軍)

「陸軍は、比島派遣軍を現地で自活させるという方針を取りながら、現地の実情には全く盲目であった。そしてその無知はまず基本的な問題「食糧問題」で露呈し、ついでその露呈は、宗教問題・社会問題・男女の問題からあらゆる問題へと及んでいった。 おそらく…

一下級将校の見た帝国陸軍(石の雨と花の雨)

「「週刊朝日」49年2月1日号の、森本哲郎氏と田中前首相令嬢、田中真紀子さんの対談の中に、次の会話がある。 森本哲郎 こんどの五カ国訪問旅行の感想を、ひとことで言うとすれば、どういうことになりますか。 田中真紀子 東南アジアと申しましても、み…

一下級将校の見た帝国陸軍(地獄の輸送船生活)

「それはいずれの時代でも同じかもしれぬ。渦中に居る者は不思議なほど、大局そのものはわからない。従って今なら「戦史」で一目瞭然のことを知らなくても不思議ではない。しかしそれは、前述のような微細な徴候から全貌の一部が判断できなかった、というこ…

一下級将校の見た帝国陸軍(だれも知らぬ対米戦闘法)

「奇妙なこと!忘れもしない、それは昭和十八年八月の中ごろだった。雨の日である。教壇に立った区隊長K大尉は、改まった調子で次のように言った。 「本日より教育が変わる。対米戦闘が主体となる。これを「ア号教育」と言う」と。 (略) 私は内心で思わず…

一下級将校の見た帝国陸軍(すべて欠、欠、欠…。)

「歩けないことと高熱が、教官・助教にも重病の印象を与えたのかもしれぬ。だが実際は就寝五日ほどのことはなく、腰の痛みがとれれば、単純な軽い夏風邪、普通なら連兵休どころか、逆に”気合”を入れられそうな状態であった。だが軍医の診断は命令だから、命…

一下級将校の見た帝国陸軍

〇 山本七平著 「一下級将校の見た帝国陸軍」(昭和51年12月朝日新聞社刊)を文春文庫で読んでいます。 感想は〇……で、抜き書きは「 」でメモします。 文字使いは、原本通りではありません。意味が違わなければ、PCの変換に任せています。 「”大に事(つ…