読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

山本七平

昭和天皇の研究 その実像を探る

「維新体験者の「御誓文」に込められた思いとは そして次に「五箇条の御誓文」にうつる。「趣旨」のその部分を次に引用しよう。 「わが国は鎌倉時代以後およそ七百年間、政権武家の手に在りしに、明治天皇に至りて再びこれを朝廷に収め、更に御一新の政を行…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「普通倫理」と「帝王倫理」 重剛は「帝王倫理」と「普通倫理」は分けがたい点があるとしているが、その教育方針は、大体「普通倫理から帝王倫理」という行き方で、はじめは、ほとんどこれを分けることをしていない。「知仁勇=知情意」などは、両者に共通…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「三章 「三種の神器」の非神話化 =道徳を絶対視しつつ、科学を重んじる杉浦の教育方針 三種の神器は「知・情・意」の象徴 「倫理御進講草案」には、その冒頭に「趣旨」が記され、次の言葉で始まる。 「今回小官が東宮殿下に奉持して倫理を進講すべきの命を…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「倫理の教師に、杉浦が指名された理由 (略) 実は前々から、この忘れられた「書生道楽」者に眼をつけていたらしい人がいた。それが浜尾新(一八四九~一九二五年)である。かれは東大総長を二度つとめ、文部大臣も経験した教育界の長老だが、重剛が大学南…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「後の天皇が、独伊を信頼しなかったのはなぜか また英米についての関心は、様々な問題に関連して出てくる。(略) これと比べると、このような形で全然出てこないのが独伊である。これは、知らないから当然ということになるであろうが、重剛はこれらの国に…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「杉浦重剛の青年時代と自己形成 ここでまず、資料の最もはっきりしている杉浦重剛(通称・じゅうごう 一八五五~一九二四年)について、少し記さねばならない。彼はすでに忘れられた人であり、また様々な資料で彼の名を知る人も、だいたい写真でその風貌に…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「二章 天皇の教師たち(Ⅰ) =倫理担当に杉浦重剛を起用した時代の意図 天皇の自己規定を形成した教師たち 人間の性格、ものの見方や考え方、さらに嗜好などがどのようにして決まるかは、今でも完全に解明されているわけではあるまい。たとえば天皇の趣味以…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「早くから「敗戦」を予感していた天皇 この詔書の主意は、すでに述べたように「五箇条の御誓文」への「誓ヲ新ニシテ」であろうが、これをマスコミなどが「天皇の人間宣言」と受け取った理由は、「天皇ヲ以テ現御神トシ」、それを基に「日本国民ヲ以テ他ノ民…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「人間宣言」における天皇の真の意図 宣長が天皇を神だと言っても、それは「一国一里一家」にもいる「ほどほどに神なる人」のさらに上にいる人と言った意味に過ぎない。だがこの「迦微」と「God」が混淆すると、天皇は神権的絶対君主になってしまい、天皇…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「二・二六事件への対応と、天皇の反省 天皇は立憲君主として振る舞い、この点では実に自己規定が明確であったが、問題はむしろこの点にあったのではないか。天皇自身も戦後にそう感じたのではないか、と思われる節がないでもない。(略) だがそうでなく、…

昭和天皇の研究  その実像を探る

〇 何故私たち日本人は、こんな人々なのか… それがずっと 気になっています。昔は、教育が行き届いていなかったから、アホだったのだ…と思っていました。でも、今もなお、戦前と同じ過ちを繰り返している日本人を見て、もっと違う理由があるのでは…?と思う…

一下級将校の見た帝国陸軍(組織の名誉と信義)

「武藤参謀長の顔を見て、すぐ「彼だな」といった一種の緊張を感じたもう一つの理由は、全焼で「軍の名誉」と記した、その名誉に関するある噂であった。ま前にも記したようにこのカランバン収容所群の中には、われわれが「未決」とか「一コン」とか読んでい…

一下級将校の見た帝国陸軍(統帥権・戦費・実力者)

「昼食の時間が来た。(略)だがその日には、いつもと違った一人の新顔が見えた。(略)丸い元凶、丸刈りの頭、ぐっとひいた顎、ちょっと突き出た、つっかかるような口許、体中にみなぎる一種の緊張感_「彼だな」わたしはすぐに気づいた。それは第十四方面…

一下級将校の見た帝国陸軍(言葉と秩序と暴力)

「将官テーブルで食事をするのは、確かに気が重い。また、カッとなって陰口に等しい将官批判をしたことも事実である。しかし、現実問題として、あちこちと通勤して垣間見た他の収容所や現に自分の寝起きしている収容所と比べて、どの収容所が立派か、どこが…

一下級将校の見た帝国陸軍(敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち)

「おかしな話だが、米軍将校は私を芸術家と誤認していた。事実誤認は先方の勝手だし、誤認に基づいてタバコや缶詰という報酬をくれるなら、別に断る理由はあるまい、また極端な栄養失調状態から来るこちらの放心と無気力と怠惰を、芸術家のメイ想だと勝手に…

一下級将校の見た帝国陸軍(still live, スティルリブ、スティルリブ…)

「闇の中で人が立ち上がる気配があった。その人は私に近づき、少し前でとまり、やや切り口上で言った。「いま収容された方ですか」「ハイ」私は答えた。一瞬の沈黙の後、相手はつづけた。「どなたか存じ上げない。階級も所属部隊もおうかがいしません。ここ…

一下級将校の見た帝国陸軍(組織と自殺)

「自殺の原因や動機はさまざまであろう。また実際には他殺に等しい、強要された自殺もあるであろう。多くの場合、自殺の真因は不明だが、その中で最もわかりにくいものは、この両者の中間にある自殺、いわば本当に自分の意志なのか、実際は他人の意志であっ…

一下級将校の見た帝国陸軍(死のリフレイン)

「ダメだ、もうダメだ」という状態に落ち込んだ時、その中における自分の一挙手一投足kを、そのまま正確に覚えていることは不可能に近い。I少尉救援の場合も、突っ込む直前でストップしたから覚えているわけで、もし突っ込んだら、たとえ生きて帰っても、…

一下級将校の見た帝国陸軍(最後の戦闘に残る悔い)

「昭和二十年八月十二日、終戦の三日前、私は軍用地図にあるバラナン部落の東のジャングルにいたはずである。「はずだ」という言い方は妙だが、パラナンは地図にはあっても、それはどの部落がそれか現地で確認できないからである。 当時の比島の地図は、奥地…

一下級将校の見た帝国陸軍(参謀のシナリオと演技の跡)

「考えてみるとそれも六月だった。だが、正確な日付はおぼえていない。徴兵検査が六月、予備士官学校のベッドでも思索が六月、輸送船が六月でマニラ上陸が六月十五日。また六月が来て、あのひからもう三年がすぎていた。 そして私は「天の岩戸」の底で、死ん…

一下級将校の見た帝国陸軍(私物命令・気魄という名の演技)

「天皇の軍隊で、”上官の命令は直ちに天皇の命令”なら、たとえどんな”無茶な”命令でも、命令一下、全軍がすぐさま動き、たとえ”員数作業”でも命令遂行の辻褄だけは合わせるはずである。 従って、われわれが「その命令が本物か否か」を、常に、最後の最後まで…

一下級将校の見た帝国陸軍(地獄の輸送船生活)

「それはいずれの時代でも同じかもしれぬ。渦中に居る者は不思議なほど、大局そのものはわからない。従って今なら「戦史」で一目瞭然のことを知らなくても不思議ではない。しかしそれは、前述のような微細な徴候から全貌の一部が判断できなかった、というこ…

一下級将校の見た帝国陸軍

2018年11月頃に載せていた「一下級将校の見た帝国陸軍」をコピペします。 =================================================== 〇 山本七平著 「一下級将校の見た帝国陸軍」(昭和51年12月朝日新聞社刊)を文春文庫で読んでいます。 感想は〇………

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「ルソンの日本軍は殆ど餓死であり、しかも米軍は六月二十八日に、比島戦の打ち切りを宣言している。あとはなずずべもない日本軍の残存部隊は、ただ、現地住民を苦しめつつ自らも餓死していくわけである。 一体全体、なぜそれを放置しておきながら、一方にお…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「従ってその実体は最後には、だれにも把握できなくなってしまう。(略)そして激烈な”軍国主義”が軍事力とされてしまうから本当の軍事力はなく、”精兵主義”が精兵とされるがゆえに精兵がいない、という状態を招来し、首脳部は自らの実情すら把握できなくな…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

〇 山本七平著「日本はなぜ敗れるのか ―敗因21か条」を移します。 2018年1月に載せたものです。 =========================== 山本七平著 「日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条」を読んでいます。 〇横井・小野田両̪氏に関…

私の中の日本軍 下 (日本刀神話の実態)

「しかし現実の戦場で刀剣を振るうということは、実は、昔から極めてまれな事でなかったかと思う。というのは、団体戦闘における近接戦の主力兵器は、洋の東西を問わず、昔から実際は槍であって刀でない。 槍は銃槍、銃剣と変化し、また、ある特別の銃槍は、…

私の中の日本軍 上 (軍人より軍人的な民間人)

「従ってこの「百人斬り」を解明するには、まず幹部候補生制度、および幹部候補生出身将校というものを解明しなければならない。 前に、将校には、士官学校出、将校、特進、幹候の四系統があったと書いたが、この幹候といわれた一群の下級将校、そして数にお…

私の中の日本軍 上 (戦場の「定め」と「常識」)

「戦後、「中野学校」も大分、伝説化されたが、小野田少尉ははっきり本名を名乗っているのだから、いわゆる「諜報」とは関係あるまい。 戦局が悪化してから、諜報関係者も現地で招集されて各部隊に配属されたり、また偶然に知り合ったりして、二名ほど知って…

私の中の日本軍 上 (ジャングルという生き地獄)

「横井さんのニュースを耳にしたとき、私は思わず「何かの間違いだろう」と呟いた。ジャングルで二十八年も生き続けることは、自分の経験に照らして、あり得ないことと思われるからである。 だがやがてそれが、ジャングルでなく竹林だと聞いて「なるほど、竹…