読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究

昭和天皇の研究 その実像を探る

「相沢中佐の異常心理と「昭和維新」 ”総括”を思わせるのが、相沢(三郎)中佐の永田(鉄山)事務局長斬殺事件(昭和十年八月)である。その背後にあったのは、陸軍内の皇道派と統制派の争いで、細部は除くが、資料を見るとこの近親憎悪はすさまじいが、今回…

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「戦争制御における内閣の権限と、近衛の言い訳 この「天皇と憲法」という問題で、自決前(昭和二十年十二月)に令息に渡した所感で、近衛は次のように回想を記している。 「日本憲法というものは天皇親政の建前で、英国の憲法とは根本において相違があるの…

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「七章 「錦旗革命・昭和維新」の欺瞞 =なぜ、日本がファシズムに憧れ るようになったのか ファシズムの台頭と、青年将校たちの憧れ 前述のように、天皇が摂政になられたのが大正十年(一九二一年)、その翌十一年、イタリアではムッソリーニの率いるファシ…

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「かたくななまでに憲法を遵守する姿勢のルーツ 天皇はしばしば「立憲君主として」という言葉を口にされ、また「憲法の命ずるところにより」とも言われている。そしてその私生活は、まことに生まじめなぐらい「教育勅語」の通りである。そしてその基本を「五…

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「「売家と唐様で書く三代目」 この「憲政の王道を歩む守成の明君」を育てるという杉浦の方針は相当に徹底したもので、「草案」で日本の例を挙げる場合、信長・秀吉・家康は、その表題にはないが「徳川家光」は出てくる。理由は明らかで、彼は家康から三代目…

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「重剛、天皇にロシア革命の真因を説く 次の「ペートル大帝」は、ほぼ称賛の対象になっているが、北方戦争で今のレニングラード附近をスウェーデンから奪取して海への出口を確保したことはわずか二行にとどめ、その内容はほとんどが、いかにして西欧の科学技…

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「六章 三代目 —— 「守成の明君」の養成 = マッカーサー会談に見せた「勇気」は、どこから来たか 「「創業と守成のいずれが難き」 一人間の生涯を考えると、すべてが幼少時の予定どおりにいったという例は皆無に近いであろう。これは天皇とても例外ではない…

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「天皇退位の決定権は誰にあるか この「反面教師」と天皇とを比べていくと、さまざまな点で、その行き方が全く逆なことに気づく。だがそれについては、後述するとして、敗戦のときウィルヘルム二世はすべてを投げ出すようにして退位し、オランダに亡命したこ…

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「天皇の反面教師 —— ウィルヘルム二世 一方、天皇が何に基づいてこのような行動を取られたか、これは謎として残る。というのは天皇に「敗戦教育」をした人間はいないし、いるわけがない。戦前の日本で天皇に「無条件降伏の際はこのように行動されますように…

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「五章「捕虜の長」としての天皇 = 敗戦、そのときの身の処し方と退位問題 天皇とマッカーサーの単独会見 天皇は、天皇家の神祇を実にまじめに実施されている。これは「大宝律令」以来、天皇は神祇官と太政官の長であるという伝統に基づくものだが、この場…

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「明治における「神代史」研究の状況 では「明治時代の合理的説明」ではどうであったか。白鳥博士はまず次のように記されている。 「明治の代になって、西洋の文物が輸入せられ、国家の文運は各方面において全く面目を一新するほどに発展を遂げたのであるが…

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「白鳥博士は「神代史」をどう解釈したか さてここで問題になるのはまず第一に、白鳥博士がどのような歴史観を持ち、日本の「神代史」をどう解釈されたかであり、第二は、それを何の妨害も掣肘もなく、裕仁親王すなわち後の昭和天皇に教えたか否か、という問…

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「四章 天皇の教師たち(Ⅱ) =歴史担当・白鳥博士の「神代史」観とその影響 天皇は、神話や皇国史観をどう考えられたか アメリカ人が「日本人は天皇をGodと信じ、このGodが戦争の開始を命じたから戦争をし、停止を命じたからやめた」と信ずるのは彼らの自由…

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「「道徳では負けないが、科学で劣っている」 ついで重剛は各条の解説に入る。(略) まず第一に、重剛は、「広ク会議ヲ興シ」の会議とは、町村会、群会、 県会、帝国議会などを指すのだとして、次のように述べていることである。 「第一条においては、門閥…

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「維新体験者の「御誓文」に込められた思いとは そして次に「五箇条の御誓文」にうつる。「趣旨」のその部分を次に引用しよう。 「わが国は鎌倉時代以後およそ七百年間、政権武家の手に在りしに、明治天皇に至りて再びこれを朝廷に収め、更に御一新の政を行…

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「「普通倫理」と「帝王倫理」 重剛は「帝王倫理」と「普通倫理」は分けがたい点があるとしているが、その教育方針は、大体「普通倫理から帝王倫理」という行き方で、はじめは、ほとんどこれを分けることをしていない。「知仁勇=知情意」などは、両者に共通…

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「三章 「三種の神器」の非神話化 =道徳を絶対視しつつ、科学を重んじる杉浦の教育方針 三種の神器は「知・情・意」の象徴 「倫理御進講草案」には、その冒頭に「趣旨」が記され、次の言葉で始まる。 「今回小官が東宮殿下に奉持して倫理を進講すべきの命を…

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「倫理の教師に、杉浦が指名された理由 (略) 実は前々から、この忘れられた「書生道楽」者に眼をつけていたらしい人がいた。それが浜尾新(一八四九~一九二五年)である。かれは東大総長を二度つとめ、文部大臣も経験した教育界の長老だが、重剛が大学南…

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「後の天皇が、独伊を信頼しなかったのはなぜか また英米についての関心は、様々な問題に関連して出てくる。(略) これと比べると、このような形で全然出てこないのが独伊である。これは、知らないから当然ということになるであろうが、重剛はこれらの国に…

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「杉浦重剛の青年時代と自己形成 ここでまず、資料の最もはっきりしている杉浦重剛(通称・じゅうごう 一八五五~一九二四年)について、少し記さねばならない。彼はすでに忘れられた人であり、また様々な資料で彼の名を知る人も、だいたい写真でその風貌に…

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「二章 天皇の教師たち(Ⅰ) =倫理担当に杉浦重剛を起用した時代の意図 天皇の自己規定を形成した教師たち 人間の性格、ものの見方や考え方、さらに嗜好などがどのようにして決まるかは、今でも完全に解明されているわけではあるまい。たとえば天皇の趣味以…

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「早くから「敗戦」を予感していた天皇 この詔書の主意は、すでに述べたように「五箇条の御誓文」への「誓ヲ新ニシテ」であろうが、これをマスコミなどが「天皇の人間宣言」と受け取った理由は、「天皇ヲ以テ現御神トシ」、それを基に「日本国民ヲ以テ他ノ民…

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「「人間宣言」における天皇の真の意図 宣長が天皇を神だと言っても、それは「一国一里一家」にもいる「ほどほどに神なる人」のさらに上にいる人と言った意味に過ぎない。だがこの「迦微」と「God」が混淆すると、天皇は神権的絶対君主になってしまい、天皇…

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「二・二六事件への対応と、天皇の反省 天皇は立憲君主として振る舞い、この点では実に自己規定が明確であったが、問題はむしろこの点にあったのではないか。天皇自身も戦後にそう感じたのではないか、と思われる節がないでもない。(略) だがそうでなく、…

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「終戦の「聖断」は、憲法を踏み間違えたものか すべてを拾い得たわけではないが、「憲法絶対」と言った発言は数が多い。それは天皇に、「自分は神権的独裁君主ではない、立憲君主である」という自己規定が明確にあったためと思われる。これは決して何かの弁…

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「一章 天皇の自己規定 ―― あくまでも憲法絶対の立憲君主 なぜ、天皇は開戦を阻止できなかったのか 戦後に天皇について書かれたものは実に多い。(略) そのすべてを調べることは不可能だが、私が調べた範囲内では、不思議なことに「天皇の自己規定」の研究…

昭和天皇の研究  その実像を探る

〇 何故私たち日本人は、こんな人々なのか… それがずっと 気になっています。昔は、教育が行き届いていなかったから、アホだったのだ…と思っていました。でも、今もなお、戦前と同じ過ちを繰り返している日本人を見て、もっと違う理由があるのでは…?と思う…