読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の幸福論

私の幸福論 (あとがき)

「_一人でもいい、他人を幸福にしえない人間が、自分を幸福にしうるはずがない 書き終わって見ると、少々心配になりだしました。私のいうことが、一応もっともだと思ったにしても、それではどうにも身動きできないではないか、そんな感じをいだく人が多いか…

私の幸福論 (十七 快楽と幸福)

「ギリシアの末期にエピキュリアニズムという哲学がありました。これはふつう快楽主義、刹那主義と訳されております。(略) ここで、快楽とはなにかということが問題になります。私たちの間では、それはあまりいい意味には用いられておりません。少なくとも…

私の幸福論 (十六 家庭の意義)

「すでに「職業について」「母性」「恋愛について」などの各章において、家庭について多少の暗示をしておきました。いまは家庭の意義について深く顧みなければならぬ時だと思います。私たちの文化において、私たちの生き方において、家庭の演じる役割が改め…

私の幸福論 (十五 結婚について) つづき

「それでも、ついに敗れるときもありましょう。その時は別れるよりほかに仕方はありますまい。(略) ただ恐ろしいことは、「理解」という美徳の信仰は、自分をも相手をも、自分が理解した小さな枠のなかに閉じ込めてしまうことです。(略) お互いに相手の…

私の幸福論 (十五 結婚について)

「どんな精神的な問題にも、契約や取引の面がともないます。結婚もその例外ではありません。大雑把にわけると、世間にも二種類の人間がいて、その第一類に属する人たちは、結婚は純粋に心の問題だと思い込んでいます。彼らにとっては恋愛と結婚との区別がな…

私の幸福論 (十四 ふたたび恋愛について)

「恋愛が観念的であることは、いっこうさしつかえありません。いけないのは、それが観念であること自体ではなくて、元来それが観念的であることを忘れていることであります。 恋愛につきものはなにかと言えば、それは幻滅でありましょう。この相手こそ、あら…

私の幸福論 (十三 恋愛について)

「恋愛とは麻疹のようなものだといった人があります。それは二様の意味において、もっともだと思います。第一に、一昔前までは麻疹は人生に一度は経験しなければならぬものであり、第二に、伝染性のものだからであります。しかし、次の点において、恋愛は麻…

私の幸福論 (十二 ふたたび性について)

「ここ数十年、日本では、ことに戦後、性教育の問題がことごとしく採り上げられるようになりました。それに伴って、性の科学、あるいは性の心理学がジャーナリズムを賑わすようになりました。こういう傾向の一般化は世界中で日本とアメリカだけのものと思い…

私の幸福論 (十一 性について)

「性について語るのはむずかしい。元来、それは語るべき筋あいのものではないからです。いまも、私はそれについてうまくお話できる自信がありません。したがって、いろんな誤解を生むことでしょう。おそらく、そのことは避けられますまい。性の本質について…

私の幸福論 (十 母性)

「すこし調子を変えて、私が外国を旅行した時の話をしましょう。(略) しかし、男女の関係がどんなものか、家庭というものがどんな状態になっているか、こういうことになると、ちょっと人とつきあっただけでも大体のことはわかります。(略) なにも外国ば…

私の幸福論 (九 「女らしさ」ということ)のつづき

〇 この福田氏の「私の幸福論」を読んだのは、確か5~6年前だったと思います。 それまで、福田恒存という名前すら知りませんでした。 当時は、とてもすんなりと、心に入って、一ファンになりました。 でも、今読み返してみると、いちいち引っかかります。…

私の幸福論 (九 「女らしさ」ということ)

「だが、それほど単純明快な話でも、ひとたび「女らしさ」とはなにか、「男らしさ」とはなにかと問い始めると、考えれば考えるほどわからなくなります。実は、私は、こういう問題を抽象的に論じたくないのです。 それにもかかわらず、この章を設け、「女らし…

私の幸福論 (八 職業について)

「今日の若い女性の生活において、恋愛や結婚と、ほとんどおなじくらいの比重を占めるものに職業の問題があります。(略) さきに結論を申しますと、生活の手段としての職業という考え方は、けっして私たちを幸福に導かないと思います。もちろん、現状がそう…

教養について、もう少し

〇 この本の中には、教養という言葉には、生き方が関係している、というような 文章がありました。 また、人の中にあって、自分の位置を測定する能力、という言葉もありました。 そして、日常的でないものにぶつかった時、即座に応用がきくということ、とか…

私の幸福論 (七 教養について) つづき

「さきに引用したロレンスの「自分を演じている」ということと、「力をぬいた手」ということとの関係は、これでおわかりだと思います。森番のメラーズは、愛人のコニーとその姉のヒルダとの前で、適切に自分の力を用いているのです。おそらく自分たちの結婚…

私の幸福論 (七 教養について)

〇 この本が印象的だったのは、この「教養について」の箇所が、 母との思い出に繋がるからです。教養ってなに?と訊いた子供たちに、 母は「人の身になって考えられること」という意味のことを、言いました。 それが、その後何度か教養という言葉に対して私…

私の幸福論 (六 青春について)

「戦後、間もなくでしたが、「失われた青春」という言葉がはやりました。いうまでもなく、戦争の為に青春を過ごすことのできなかった人たちのために作られた言葉であります。 そういえば、「失われた世代」という言葉もありました。この方は第一次大戦後、欧…

私の幸福論 (五 自由について)

「私たちのうちには、いつでも成功したいという気持ちが隠れております。この場合成功というのは、なにも大政治家になったり、大芸術家になったりすることを意味しません。 もちろんそういうことも含めていいのですが、もっと小さなこと、たとえば、みなさん…

私の幸福論 (四 宿命について)

「私たちの前に、私たちを超える大きな力を認め、私たちの生涯はそれによって絶対的に支配されているのであって、逆に私たちの方でそれを動かす自由はない。それが宿命論です。 この考えを押し詰めていけば、当然、決定論になります。歴史の一こま一こまは、…

私の幸福論 (三 自我について)

「個人の魅力について多くの人が誤解しやすい点は、人間の外形と内面とは別ものだと考えたがることです。外形と内面、いいかえれば肉体と精神、あるいは人相と人柄、この二つのものは別物であるどころか、実は心にくいほど一致しております。人相を見れば、…

私の幸福論 (二 ふたたび美醜について)

「私のいいたかったことは、男にとっても女にとっても顔立ちの良さ、悪さが、生涯の幸、不幸に大きな影響を与えるということであります。(略) 私は、世間一般が用いている「幸福」という言葉を、そのまま不用意に使ってしまったのがいけなかった。自分でた…

私の幸福論 (一 美醜について)

「美醜も、男女の幸福について論じる時、人々があまり触れたがらない_正確に言えば、よく知っているのに触れたがらない_根本的な問題の一つです。 身上相談などでよく見かけることですが、たとえば、男に騙されて棄てられたとか、夫が浮気をしてしようがな…