邵可が言った言葉が気になっています。
「十割で好きだと言ってくれる相手に、中途半端な好きを返してはいけないよ。
それは相手をとても傷つける。期待を持たせるくらいなら、関わるのはよしなさい。」
そして今読んでる部分。
「良い子ちゃんの紅秀麗。人殺し。何もできないくせに、何かできるフリをした。
(できたのは、あなたを殺すことだけだった。)」
気持ちとしてはメチャメチャよくわかります。私もどちらかというと、
こんな風に考えるタイプの人間です。
でも、そうは考えないようにしています。
神(=全知全能、完全であることの象徴) を想定する時、
人間は不完全 不可知 な存在 と知るようになります。
人間は、全てを知ることが出来ず、もともと出来ることなど限られている
存在であるというのが真実だと受け入れて生きるようになります。
だから、故意に人を傷つけようとすれば、「悪」になるけれど、善意で結果うまくいかず傷つけてしまったことに関しては、
「許し」があると思えるようになります。
「神」がある時、人間は不完全なままの存在が「許される」ようになります。
もし、不完全な人間に神のような完璧さを求められるなら、
人間は何もしないのが一番良い、となり
誰とも係わらなければ、誰も傷つけない。
何もしようとしなければ、間違うこともない。
と考えるしかなくなります。
神なしで生きる人間は、「悪」を正当化するか、
もしくは…
完全であることを自分にも他人にも求め、それが叶わない世界に、
絶望したり、呪ったり、恨んだりするしかなくなる。
自分も許さないかわりに、他人も責め続け、
追い詰めて、生きられない世界の中で、
生きるしかなくなります。
だからこそ、人間が互いに係わり合い許し合い愛し合う為には、
どうしても「神」という概念が必要なのだと思うのですが、
神は「概念」なので、すぐに誰かにとって都合の良い「概念」に
すり替えられたり、もしくは、すりかえられているという
疑念が湧いたりで、やっかいなことになる。
だからといって、「神」無しでやろうとすると、
今度は、お金や身分(権力や地位)や損得が崇め奉られる世界になって、
結局は、苦しみむ人を見ても何も感じない、非人だけが
蔓延る世界になる。
…なんてことを思いながら読んでいます。