「黎明に琥珀はきらめく」を読み終わりました。
次はどうしよう、と思いながら、「隣の百合は白」を読み始めたのですが、
この絳攸の出自が、なんとも激しく悲劇的で、もう一度、最初と最後のエピソード
を、読み直しました。
「役に立たなければ捨てられる。理由もなく優しくされることなどないことを
知っていた。」
先日何かの番組で、日本では子供を叱る時、罰として家から出す(捨てる)
というのがあって、それが子供の「仲間はずれ」などにも
繫がっていると思われる、という話をしていた。
捨てられることへの恐怖は、一人で生きられないことから来る恐怖なんだろうけど、
捨てられないように頑張る、努力する、結果を出すというのが正しい生き方だという
感じは確かにあると思う。
「大丈夫。何もしなくても、何かをしても、私たちはあなたを愛しているから。」
黎深と百合だけではなく、絳攸を最初に拾って、「光(コウ)」と
名づけた老夫婦も同じようなことを言った。
「あなたを拾ってあなたと一緒にいるだけで、私たちはとても幸せだったの。」
あぁ、こんな風にまっすぐに考えられたら、
どんなに生きることが楽になるだろうなぁ、って思った。
絳攸はとても悲劇的な幼少期を過ごしたけれど、でも、考えてみれば、
人間誰しも、自分の意思ではない中で生まれ、自分の選択ではない性別を与えられ、
人種も国も、能力も、容姿も、ただの偶然の坩堝の中に投げ込まれて、
生きてるようなものだと思う。
どうすれば互いに幸せになれるか、その一番根源的なところが、
メチャメチャ印象的に書かれていて、
私は、この雪乃紗衣さんってすごいなぁって思った。
ちょっと底知れない感じがある。
でも、ご本人は、いつもかなりのマヌケぶりを強調されていて、
あまり「すごい」とか言われたくなさそうですが。