黄梁とは、キビのことだそうです。オオアワの別名となっていました。
その夢とは、どういうことなのかな。
芥川龍之介の「黄梁夢」というお話と同じような意味なのでしょうか。
(とは言え、私は今日まで、黄梁夢を知らなかったのですが。)
所詮生きるとはその夢のようなもの。つまらないことです。という人に、
どうせ覚める夢だからこそ、私は真に生きたといえるほど生きたいのですと
答える青年。というお話。
ネットで検索してみると、そうなっていました。
私は若い頃からこういうお話が苦手でした。
突き放されているんですね…きっと。
生きる意味があると思う人はそう思って生きなさい。
そう思わない人はそう思わないで生きなさい。
どう考えるのも自由ですよ、と。
そういう態度って、正しいのかもしれない。
少なくとも間違ってはいないのかもしれない。
でも、メチャメチャ冷たい態度のように感じます。
でも、それがこの世ですよ。それが生きるということですよ。
ということなのでしょうね。
例えば子猫がいたとします。
運が良ければ、エサをくれる人に出会って、
なんとか生き延びられるかもしれない。
でも、運が悪ければ、カラスに突かれて死ぬかもしれない。
世の中はそういうものです。自然界はそういう風に出来上がっているのです。
確かにそうでしょう。
間違っていません。
……とそこで「真実を語りました」とすましていられる人が
苦手です。哀しくなるのです。
だから少女小説が好きなんでしょうね(^^;。