仏教の解説本のようなものは、過去に一冊だけ読んだことがあります。
「般若心経講話」というような題名だったと思いますが、
多分こんなものを一冊読んだからと言って、何もわからないのだろう、
ということだけは、しっかりわかりました。
その点、キリスト教に関して書かれた本には、読みやすいものが多く、
また、多くの文学作品にも、その精神が練りこまれていて、
とっつきやすい感じがありました。
また一方で、日本人の作家が書いたものはどうにも、読みにくくて
苦手だというイメージがありました。
大江健三郎の書いたものが読めなかったのです。
更に、あの連合赤軍事件の頃、関係者の手記などを読もうとして、
やはり全く読めなかった、という体験も、私にとっては強烈でした。
私の頭は、読書向きではない、と思いました。
そんなわけで、仏教に興味はあったのですが、
ご縁がないのだ、と思ってこれまで生きてきました。
でも、この本は、私にはとても読みやすく、とっつきやすく、
それでいて、何か爽やかできれいな空気を漂わせてくれるものでした。
幹夫が中国で、タマリスクの花を見るシーンが印象的でした。
「きれいだな。しばらく感じ入って眺めていた。そのとき、突然、
心の中に滑りこんできたのだ。 この花は自分と同じだ。
どうしてそんなことを急に思いついたのか、自分でもわからなかった。
花は花。自分は自分。ありのまま。おんなじだ。…略…」
私も昔、同じような体験をしました。
私の場合は、家の近所の河原の月見草でしたけれど。
同じタマリスクの花を見るシーンが出てきます。
「花に目を留めることなど、これまでほとんどなかった。
一心に仏の教えに向き合ってきた毎日だったのだ。
だかその間も、この花はずっと咲いたり散ったりを繰り返してきたのだ。」
お経の話なので、途中でついて行けなくなるのかもしれない、という不安も
ありながら読み始めたのですが、お経の難しさは難しさとして、
最後まで、面白く読み終えることが出来ました。
「千六百年たった今なお、「妙法蓮華経」は訳されたそのままの形で
読み継がれている。鳩摩羅什が生涯を懸けて磨き上げた一字一句が、
私たちの手元にあることの驚きと喜びは、日々、新鮮なものである。」
この最後の文章が、とてもいいと思いました。