ポール・トゥルニエ著「人生の四季」を読んでいます。
あの「鳩摩羅什」の中にあった「私は誰も軽蔑しない」という言葉で、
以前読んだポール・トゥルニエ「強い人と弱い人」を思い出しました。
「もし私の隣人が 私より強いならば、
私はその人を怖れる。
もしその人が、私より弱ければ、
私はその人を軽蔑する。
もし私とその人とが、同じであれば、
私は詭計に訴える。
私がどのような動機をもっていたら、
その人に服従することができ、
私にどのような理由があったら、
その人を愛することができるだろうか。」
(ジャン・ド・ルージュモン)
この「強い人と弱い人」を読み私はこのポール・トゥルニエが好きになりました。
というより私に必要な人だと思いました。
その後、あと何冊か読んだのですが、この「人生の四季」は途中で挫折し、
読み終えていません。それでこの際、読んでしまおうと思いました。
感想というよりは、「教えられる言葉」をメモしていきたいと思います。
「しばしば、非常に敬虔で道徳的な人間が、ひとたびもう少し人間らしい生き方
を再開したいと思う時に、姦通という愚かしい行為以外のどんな打開の道をも
見出せないように見える、というのはまったく悲劇的なことです。」
「子供の罪意識とピューリタニズムの正義感に取って代わって、
作家たちによって―、全く別種の罪意識があることが明らかになりました。
この非キリスト教的にみえるまったく別種の罪意識こそが、実は聖書的な
次元の罪意識なのです。この罪意識は、あらゆる悪、あらゆる不正、そしてこの世の
あらゆる苦悩を自分とわかつことのできないものと感じ、これらの悪の存在に
共同責任を感じる所に成立します。これが成熟した大人の罪意識であり、
これは責任感の目覚めと密接に関連しています。」