大澤真幸著「社会性の起源」。
これも、雑誌「本」に載っているのを読んでいるのですが、面白いです。
特に、6月号の「約束と愛」はなるほどそうだったのか、と思えて
納得でした。
どちらかに組するものであってはならない。
例え三個体がいたとしても、その内の二者が仲間になっている時、
それは二者の関係になる。
でも、人間においては、二者であっても三者関係とみなしうる関係がありうる。
「約束」が絡んでいる時がそうだ、という説明がわかりやすかった。
「愛の二者関係が本来的に、三者関係へと転化するポテンシャルを
孕んでいる、というのは、次のような趣旨である。われわれは、愛する相手に、
「永遠の愛」を約束したり、誓ったりする。あるいは、相手に、そのような約束や
誓いを求める。(略)愛は二人の愛の存在や継続を保証する「第三者」を
求めているのである。だが、考えてみよ。愛が全面的に三者関係に転化してしまった
としたら、つまり、愛の根拠がすべて、「約束」にあるのだとすれば、
それは、愛の自己否定であろう。もっぱら約束したことに由来する義務として
愛しているということは、愛していないというのと同じである。」
「つまり、愛し合う者たちは、一体でありたい、完全に調和して
一者のうちに溶け込みたい、という願望をもつ…(略)…
愛し愛されることが歓びであるのは、相手がまさに他者であるからだ。
そして、人は、相手を愛すれば愛するほど、その相手の他者性に敏感になり、
ときにそのことに苦しむことにもなる。」
いちいち納得なのですが、更に話は「なぜ神が死ななければならなかったのか」
というところまで突き詰められ、確かに~と思いました。