読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

告白

いやぁ~ 面白いです!

二度目の返し読み。読み始めた頃は、十年前に読んだものなのに、

ほとんど覚えてる。と我ながら、それほどまでに印象深かったのか、

はたまた、まだまだ記憶力がしっかりしてるのか、とびっくりしたのですが、

半分より後は、もうほとんど覚えていないということが判明しました(^^;。

寅吉。熊次郎の悪行の数々。熊次郎の父親の仕打ち。

熊太郎が獅子舞の獅子をかぶるシーンや、弥五郎と一緒に

ことを為す、ということは覚えていましたが、

その結果、果たしてきちんと松永一家を殺したのかどうかについては、

記憶にありません…(^^;。

ハラハラしながら、「どうか、殺せますように…」と願いながら読んでいました。

「あかんではないか。」ですよね~

でも、本当にどうしてもそう思ってしまいます。

松永一家は、酷すぎる!

そして、世間の人が「よくやった!」と喝采したことにも、

胸がスッとしました。

そして、私もまた色々なことを考えました。

「人間というものは因果なもので、別に啓蒙され、進歩発展したから

慈悲忍辱の心を持つようになったのではない。ではどうしていまの人間が

当時の人間より慈悲深くなったのかというと、それは食う心配がなくなったからで、

人間というものは先ず自分の生存、それをなによりも優先し、

それが満たされて初めて他のことを思いやることが出来るのである。

それが証拠にいまでも後進国に行けば人間の値段は安い。

わが邦においても、今後、経済が悪化し、国民が等しく食うや食わずの

生活になれば、モラルが荒廃した分、以前よりもずっと他人の死に対して

無感覚になるだろう。」


これは、真実だろうなぁと思います。

あの、原発事故の時、為政者は一部の国民を切捨てででも、

国の経済を守ろうとした。そこにあったのは、この考え方なのだろうと

思います。先ず経済。そして、やっと文化や倫理。

いわゆる「衣食足りて礼節を知る」だと思うのですが、

でも、それではなぜ、衣食足りているはずの、松永親子に礼節はないのか。

既に「持っている」人は、それ無しでは生きられないので、失うことを

過剰に恐れるのだと思いますが、でも、もしそうなら、人間は永遠に

礼節を知るようになどならない、のではないでしょうか。

多分だから、ただ衣食足りさえすれば、礼節を知るようになるわけではない、

と思います。

その問題が、「この熊太郎の殺人に世間の人々が喝采した」というところに、

現れているのだと思います。

やはり、公正や正義がなければ、この熊太郎のような人の働きを求める

気運が社会に満ち満ちてしまう。それは、社会の治安を悪化させる。

だから、「税金」で公正や正義を守り、安心して暮らせるようにした方が、

結果、経済もうまく行く、という理屈だと思います。

公正、正義、倫理はきれいごとを言って、イイ人のような気分になって、

嬉しがるためのものではなく、しっかり実利に基づいて必要とされている

概念だと思うのです。

丁度あのアドラーが、共同体感覚が幸せの源だと言ったように。

酢醤油が飛んだり、臼が飛んだり、わけがわからない光景が現れるわりに、

何故か言ってることがわかるような気にもなり、

そういう部分もやっぱり面白いと思います。

まだまだ色々なことを考えたのですが、この辺で、一旦やめておきます。

今は、井上貞次郎が警察の事情聴取を受けている所を読んでいます。

この先も全く覚えていないので、楽しみです♪