読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「不登校児」が教えてくれたもの

森下一 著 「「不登校児」が教えてくれたもの」を読んでいます。

2000年発行の本です。

私の息子が不登校っぽくなったのは、1994~5年だったので、

この本は、ある程度決着がつき一応の解決がなされた後に読みました。

今、読み返してみると、もしこの本をリアルタイムで読んでいたら、

精神的に相当きつかっただろうな、と思える箇所が満載です。

それでも、古本処分の時にも、この本だけは、持っていたいと

思ったのは、やっぱりそう思わせてくれるだけの熱いものが

この本の中にあると感じたからです。


「いや、不登校の子供たちばかりではない。いったん社会に出たものの
職場になじめず、欠勤を繰り返したあげく自室に閉じこもる成人の人々も
多かった。あまりの数の多さに驚いた私は、孤立する彼らが共に
ボーリングやマージャン、飲み会、読書会などが出来るようにと、
「生活研究会」というグループを結成した。」

不登校の問題については、これまでさまざまな理論が展開されてきたが、
それらの多くの理論が、現実の症例の一つ一つによって次々に
突き崩されていくのを、私はこの目で確かめてきた。
そして、百の抽象的議論や仮説より、一つの実践と事実に触れるほうが、
はるかに実りが多いことを実感することができた。」

「そもそも不登校というのは、登校を拒絶するという子供のやむにやまれぬ
最初の本音の表れなのである。」


「裕子さんの緘黙は半年間続いた。そしてある日、彼女から手紙が届いた。
「先生、会いたいです」と書いてあった。そして、最近、サリンジャー
ライ麦畑でつかまえて』という本を読んで感動したとあり、
この小説の内容が紹介されている。 (略)
その少年の夢とは、広い野原で子供たちが遊んでいるのを見守ることだ。」

「私は、何にも優先して、娘を心と体で受け止めるようにと、父親に助言した。
社会的な地位も名誉もある父親は、見栄も外聞も投げ捨てて、
命がけで娘の命を守り続けた。これは大きかった。 多忙な父親、
病床の母親、両親に見放されていると強い猜疑心にさいなまれていた
裕子さんの中に、次第に父親への信頼と感謝が形成されていく。」

「裕子さんはプライドが高く、完全主義を求める性向がいちじるしい。
かくあるべきだと自分が思ったら、そのレベルに達しないと気がすまない。
自分への要求水準が高いのである。(略)
かくありたいという「理想我」が高いために、現実の自分が卑しくて
小さな存在に見え、価値がないと思ってしまう。」

今読み返して思うのは、まさにあのポール・トゥルニエ

言ってたとおりのこと。

危機の中にあって、必死に闘ったあの時間が私や夫を育て、息子を育てて

くれたのだ、ということです。

今、思い返してみてもあんなに苦しい想いはもう二度としたくはないのですが、

でも、あの時間があって今があるんだなぁと感謝したくなります。

「ねじまき鳥」の笠原メイが、茶碗むしのもとを入れて

グラタンが出てくるなんてことがあってもいいはず、と言ってましたが

もしそれが「現実」だとしたら、その現実をしっかりちゃんと生きる方が、

ずっと面白いんじゃないのかな、と思うのです。

「面白い」というのは、「楽しい」というのともちょっと違って、

充実してるとか生き生きと生きていられる、というような意味でです。