読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本中世の民衆像

○年貢の性格

 ・田地を条里の坪に即しつつ、各名ごとに書き上げ、合計した
  十町余から収穫が不安定で荒地と認定された常荒田や作付けをしない
  不作田を引いて定田を決め、荘官に給与される給田をさらに引いた
  結果を応輸田(官物・正税を賦課される田)とする。

 ・例えば十石の米に鉄百斤が相当

 ・以前の検注で確定されたことのある本田

 ・検注によって新たに検出された出田(その出田の中に古作出田と新田がある)

 ・本田・出田のそれぞれから荘園内の神社や仏寺を支える仏神田を除く

 ・さらに預所、公文、田所、惣追捕使、徴使、地頭(地頭に給与されるのは新田)
  船人、鍛冶、轆轤師、紙漉き職人に給付される田地などを人給として定めた

 ・田地に即してまず収取すべき米の量を計算し、それを(例えば鉄などに)
  換算して賦課する

 ・塩などの例外はあるが、原則的に年貢は田地に賦課された
  これは、古代以来の制度の流れをくんでいる

 ・なぜわざわざ田地に換算するのか

 ・交易の必然性

 ・「つまり、絹の値段が高くなったので、田地から徴収される米で
   綿・絹を買うことが出来ないため銭納にしてほしいと地頭が言い出したのに
   対し、東大寺側は、絹も高くなっただろうが、米も高くなっている
   はずだ、交換比率は変わらないはずなので、あくまで現物で出せと
   いっているのです(東大寺文書)」

 ・中世社会は自給自足的だという見方(永原慶二・佐々木銀弥)と
  中世初期の交易を積極的に評価する見方(脇田晴子)があり、筆者は
  脇田氏の見方を支持している

 ・当時の国衙は、国府の近くに立つ市だけではなく、国内に広く存在している
  市を管理していたのではないかと思われる

 ・貨幣流通が活発化してくるのは、鎌倉後期

 ・貨幣流通は決して水田地帯からはじまるのではない、むしろ非水田的・
  非農業的な生産が主として行われているところから、まず貨幣が
  流通し始めるのだ(大山喬平著「日本中世農村史の研究」)

 ・戦国時代、貫高制は東国大名が採用、石高制は西国で支配的

 ・生産力があまりない東国で貨幣の使用が活発になった

 ・江戸時代 東国で金が流通、西国では銀が流通

 ・交易の主体は?

 ・例えば美濃の場合、国全体が絹を年貢としている
  ↓
 ・美濃の絹は平民的な生産物
  ↓
 ・女性の関与

 ・例えば鉄、中世に鉄職人を表す鋳物師や蹈鞴師という言葉はない
  ↓
 ・平民による生産

 ・さきほどあげた年貢となる多様な品物は、みな平民的技術で
  生産されることができた
  ↓
 ・中世の平民は非常に多様な生活をしていた


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 感想:とても難しい

 






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