○「水田という地種は日本の歴史のなかできわめて制度的、
政治的な役割を果たしてきた地種であるという事実が、おのずから
浮かび上がってきます。」
○「班田制を基軸とするこの制度は、水田以外の地種をほとんど問題にする
ことなく、日本の耕地の全体を水田一色でぬりつぶしてしまったわけです。」
○「このようにして定められた石高が、江戸時代の民衆生活の実態から
はるかに乖離した数値であることは言うまでもありません。
中世の「公田制」もまた同様です。
十二世紀末に作成された大田文の田数が、実に十五、六世紀まで
ほとんど代わることなく賦課の基準数として使われたことが、
それをよく示しています。」
○日本民族の体質を決めたといわれてきた水田耕作。
しかし、日本人が米を常食とする稲作民族であるという常識的な
日本人観の中には、かなりの部分、権力者の作り出した「虚像」
が入っている。
○本当に偏りのない日本人観、日本史像を提示し、世界の諸民族のなかでの
日本民族の位置づけを明らかにするためには、非水田・非農業的な分野の
研究が必要。