○香取田所文書
・「蔵人所牒」の真中の一紙だけが「香取田所文書」として伝わっている
・鎌倉時代後期の文書(推定)で案文
・内容:「唐人・傀儡子」が諸国七道において勝手に売買をして、
自分本来の所業をさしおいて、「御櫛以下種々の物等を交易するの間、
御櫛生供御人等制止を加うと雖も、件の新儀の輩、一味同心せしめ」
「供御人等の売買」を妨げ「種々の狼藉を致すの条、希代未曾有の所業なり」
「御櫛生の尚古」は「牢籠」せざるを得ず、「新儀猛悪の族、日に随って
倍増す。厳密」の「御沙汰」がなければ「向後の狼藉を断絶し難し。
しからば」唐人・傀儡子たちが、自分の「所業の外」の「新儀非分の売買
を致すべからざるの」旨「御牒を下され、かつうは彼の狼藉を止め、
かつうは御公事を全うせんと欲す」
・御牒 ー 蔵人所牒のこと
・御櫛生供御人が蔵人所に提出した訴状の一部
○御櫛生供御人
・延喜式に造御櫛手として登場する内蔵寮に属する手工業者
・櫛造の集団
・和泉国の近木郷あたりを本拠地としていた
・平安時代末期にはしばしば史料にみられるようになる
・供御人であり、院の御櫛造、近衛殿(摂関家)の御櫛造も兼帯
・近木郷にかなりの面積の給免田
・近木保 ー 御櫛生の給免田を中心に成立した保
・この文書で、諸国七道で櫛の売買をしていたことが証明された
・近木郷 - 現在の和泉佐野市近辺
大歌所の楽人である十生供御人や網曳御厨供御人、春日神人等
職人が集まり、戦国時代には市がひらかれ、都市的な場
○傀儡の集団
・「傀儡子記」ー 男は狩猟 女は遊女 (漂泊の民)
人形を使う奇術や幻術を行う集団
・一二四九年(建長元)- 鎌倉幕府の判決文に頼朝の持仏堂久遠寿量院の
雑掌と訴訟でわたりあい訴訟に勝ったことを示す
史料がある
・傀儡が卑賤視されていたとは言えない
・宇都谷郷の荘官はみな傀儡の女性を妻にすることになっていてかなりの
勢力を持っていた
・美濃の青墓、三河の赤坂など、宿を根拠にしていた
・伊予国では傀儡が一町の給田を保証されており、職人身分
・自立した芸能民集団 - 人形を使い今様を謡い、櫛をはじめ種々の物を
売買交易しながら、諸国七道で活動