読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

夜回り先生のねがい

夜回り先生」には、続編として「夜回り先生と夜眠れない子供たち」

「こどもたちへ 夜回り先生からのメッセージ」があって、この

夜回り先生のねがい」も続編の最後の一冊ということです。

娘はこの本をこの水谷先生の講演会で購入したようです。サイン本でした。

きっと私にも読ませて、一緒に感動を共有したかったんでしょう。

薦めてくれたのに、なかなか読まずにいて悪かったと思います。

でも、本って本当に読む気にならなければ、読めないですよね~

この「ねがい」で心に残ったのは、親や大人に関するメッセージでした。

「大人とは一体なんでしょう。自分はれっきとした大人だと、
誰が確信しているんでしょう。(略)もちろん自分を傷つけた大人を許せとは
言いません。でも時々想像してあげてください。彼らもまだどこか子どもで、
どうしていいのかわからず、苦しんでいるんだということを。」

そして、この水谷修さんが、この夜回り先生を続けている動機として

「べつに正義感に駆られていたわけではありません。子ども達が私を信頼し、
必要としてくれたことが、単純にとても嬉しく、それが私の生きる希望に
つながっていたからです。」

と書かれていた言葉が印象的でした。

この水谷さん自身、荒れた時には「夜遊び」をしたと言っていましたから、

夜遊びをする子ども達や、夜の世界の人々と

相通じる何かがあったのかもしれない、と想像します。

私は「夜遊び」はしないタイプの人間なので(怖くて出来ません(^^;)、私には

夜の世界の彼らと心を通わせることは出来そうもない気がします。

「深夜、親や学校の先生が眠っている時間に、夜の繁華街や薄暗い自分の部屋で、どれほど多くの子供達が希望を失い自分を傷つけているか。その事実に、ほとんどの大人は気づいていないかもしれない。でも水谷というひとりの大人は君の存在にきづいているよ。だからまずは相談してごらん。今日から一緒に考えよう。そんな想いを
込めてこの本を書き下ろし、同時にメールアドレスと自宅の電話番号を、世間に
公開しました。それから今日まで、ずっと闘いの日々が続いています。」

「違う」と私は言いました。私個人が世間に顔をさらし、一対一で向き合おうとするからこそ、子どもたちは信じ、自分の苦しみを打ち明けようとしてくれる。
組織にまかせるわけにはいかない。頼むから助けてほしい。そう懸命に伝えてきた
ものの、仲間のほとんどは私のもとを離れていきました。残った仲間も疲れ切って
います。相談メールを整理していたひとりの教え子は、血だらけの画像を見ながら
「もう勘弁して」と言いました。」

本当に信じられないほど、すごいことをしているなぁと思います。

例えば、たった一人の人の悩みに寄り添おうとすることだって、どれほど

大変か…と思います。

「中途半端に寄り添う位なら、最初からそんなことするな!」と言ったのは、

あの「彩雲国物語」の秀麗のお父さん、邵可でした。

実際、人の悩みに寄り添うって相当に難しいと思います。

ましてや、それを組織でするというのは、「心がない」もので、心を通わせ合おう

とするようなものだと思います。

だからと言って誰にでも出来ることではないし、この水谷さんのような人は

大勢はいないし…。

考えれば考えるほど重くて深くて難しい問題を突きつけられている

ような気持ちになります。何も出来ない自分。

これは、最初の「夜回り先生」にあった言葉です。

「この世に生まれたくて、生まれる人間はいない。
私たちは、暴力的に投げ出されるようにこの世に誕生する。

両親も
生まれ育つ環境も
容姿も
能力も
みずから選ぶことはできない

何割かの運のいい子どもは、生まれながらにして、幸せのほとんどを
約束されている。
彼らは豊かで愛に満ちた家庭で育ち、多くの笑顔に包まれながら
成長していくだろう。
しかし何割かの運の悪い子どもは、生まれながらにして、不幸を背負わされる。

そして自分の力では抗うことができない不幸に苦しみながら成長していく。
大人たちの勝手な都合で、不幸を強いられるのだ。

そういう子どもたちに不良のレッテルを貼り、夜の街に追い出そうとする
大人を、私は許すわけにはいかない。」


この視点で人間を見る人が好きです。
人間をこんな風に見る人が大勢になればどんなにいいだろうと思います。