読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

精神の生活 上


○著作からの抜書きは「 」で、自分でまとめた言葉は○で記入します。


 「思考は科学のように知識をもたらしはしない。
  思考は役に立つ人生訓を作り出しはしない。
  思考は宇宙のなぞを解きはしない。
  思考は直接行為への力を与えるわけではない。」
          (マルティン・ハイデガー


○『忙しい』という字は心を亡くすと書かれている、という話はよく聞くけれど、
忙しいと思考することもままならなくなります。

ここでハイデガーが言っているように、知識をもたらさない、役に立つ人生訓を作り出さない、なぞを解かない、力を与えないのが「思考」だというのであれば、
尚のこと、私たちの社会では、意味のないことにされてしまいます。

忙しく働き、結果を出すことが良いことだとされている私たちの社会で、
なにもせずに思考するだけの人は、ダメな人と言われます。

一時期、「ゆとりの学習」が検討され学校に導入されました。
でも、そのおかげで、学力低下が見られるようになった、と今また
「ゆとりのない学習」に戻すことになったようです。

この考え方が本当におかしい。

ハイデガーに言われるまでもなく、しっかり自らの意志で考えられる人間を
教育する為に、ただただ追い立てるように詰め込むのではなく、
「ゆとりある」時間を作って子どもを育てよう、というのは
全く真っ当な考え方だと思います。

その為に、学力が低下したとしても、考える(思考)力を養うこと以上に
子どもに大切なものはないと思います。

目先の結果に囚われ、再び考えるゆとりのない学習を強いるのは、
まさに、思考することが出来ない、アイヒマンのような人間を
育ることになります。


○悪という現象についての思想伝統
  ・悪魔のようなもの
  ・堕落した天使「悪魔ルシファー」
  ・驕り
  ・嫉妬
  ・憎悪
  ・強欲

「ところが、私が直面したのはまったく別のもので、しかもなお、まごうことの
  ない事実なのである。私はこの犯罪者の行ないがあまりに浅薄であることに
  ショックを受けた。」

「愚鈍だというのではなく、何も考えていないということなのである。」

「常套語、決まり文句、因習的で規格にはまった言い方や行動様式と
  いうのには、現実から我々を守るという社会的に認められている機能がある。」

アイヒマンが我々他の人間と違っていたのは、彼はあきらかに、このように
  思考を働かせることをまるで知らなかったということだけなのである。」


「あるいは、実際に、悪を為さないようにと人間を「条件付ける」ことが
 いったい可能なのだろうか、と。」

「そして、この仮説は我々が良心について知っていることのすべてからも
 確かめられるのではないか。すなわち、「やましいところのない心」というのは、
 一般的に言えば、犯罪者とかそういった本当に悪い人びとだけが
 持てるものであり、他方、ただ「善良な人びと」のみが
 「良心の呵責」を持ち得るということだ。」


○「やましさを持たずにいられるのは、本当に悪い人びとだけだ」というのは、
実際、本当だと思います。

「悪い奴ほどよく眠る」という映画もありましたが、このアイヒマン
自分のやったことを少しもやましいと思わないのは、つまり自分は指示されたことを
するのが役割で、自分はそれをしただけなのだから、悪くない、という
理屈になるのでしょう。

つまり、「思考しなければ」やましさを持たずにいられる。


最初に書いたペットショップの話に擬えれば、
自分は犬を殺してはいない。ただ消費者として犬を買っただけだ。
自分は悪くない、となんのやましさも感じずに言えるのです。
思考さえしなければ。

「思考しない…そうすれば、やましさを持たずにいられる。」
別の言い方をすれば、
「思考しなければ、やましさを持たない本当に悪い人になれる」とも言えます。

だから、私たちの国では、みんなでとにかく忙しくして、
何も考えないように互いを励ましあっているのでしょうか。

誰もやましい人が出ないようなシステムを作って、ただただ
「しょうがない…」と諦めることが推奨されるのでしょうか。


「カトーは「人は何もしていないときほど活動していることはないし、
 一人でいるときほど孤独でないときはない」とよく言っていたというのである。」

○何かをしている時は、そのことに神経を集中しなければならず、思考することが
出来ない。その思考することが出来ない状態をこの「カトー」さんは、
「活動していない」と見るのでしょう。

人といる時、私たちは多かれ少なかれ、自分を装い演じ作り笑いでその時間を
やり過ごすように生きている。それを「カトー」さんは、「孤独だ」と
考えるのでしょう。

カトー氏にとっては、思考し自分自身で居る時が1番しっかり生きている時
なんだろうな、と思います。

少しわかるような気もします。
私も一人でいるときが1番落ち着きます。


「カルナップに攻撃目標として選ばれているハイデガーは、哲学と詩とは
 きわめて密接に結びついているのだと切り返している。二つは同じというのでは
 ないが、同じものに起源を持っており、思考がその起源なのである。」


ヘーゲルが(略)なによりも哲学と形而上学を求めていったのは、まさに、
 思考の場である言葉と、生活の場である現象世界の間に亀裂があるということを
 発見したからではないか。」