「しかし、理性とその特質の発見は精神の発見と哲学の始まりと同時であるのに対して、意志の能力の方はずっと後になって明らかになったのである。
我々の問いは、したがって、次のようになる。つまり、いかなる経験によって、人間は、自分たちが意志行為をなしうるという事実に気づくようになったか、という問題である。」
「我々が直面している問題は、芸術の歴史においてよく判る。(略)
我々がまったく異なった表現の「慣習」を持っていても、異なって表現された現実を認識するにあたっては、いささかの困難もないということである。」
「第一にアリストテレスの魂の分析が一切の意志の哲学に決定的な影響を与えたということがある。」
「アリストテレスの考察の中心的問いは、「運動を引き起こすものは魂においてはなんであるか」、ということである。」
「ところで、理性自身はなるほど真理には至るとはいえ、しかし、命令するものではなく説得するものである。理性がその際行うのは、静かに思考する自己自身との対話であり、思考することができない者のみが強制されなくてはならないのである。」
〇「思考することができない者のみが強制される」と言われて思い浮かんだのは、
中学や高校の校則のこと。
私たちの国の子供たちは「思考することができない者」として育てられているなぁと思いました。
学校を出て突然思考できるはず、と言われてもできない者としての習慣がしっかり身についてしまっています。
私たちは西洋人とは違う道があるということなんでしょうか。
東洋人は、「強制されて」「沈黙して」「思考しない者」として生きるのを幸せだと感じるタイプの人間なんでしょうか。