読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

精神の生活 下

「西欧文明の二つの創設の伝説_ひとつはローマのであり、もうひとつはヘブライの(ギリシア古代においてこれらに比較可能なものは何もないのであり、プラトンの「ティマイオス」でさえそうである)である_は、互いに全く異なっている。

ただし、どちらも、自分たちの過去をその始まりが分かっており、いつのことかが確定できる物語だと考えた民族の間に生まれてきたということは共通である。


ユダヤ人は、世界が創造された年を知っていた(そしてこれが今日に至るまでの時間を計算する始まりである)。
そしてローマ人は、オリンピック競技会からオリンピック競技会へと時を数えたギリシア人と対照的に、ローマの建国の日を知って(あるいは知っていると信じて)おり、それにしたがって時を数えた。


さらに一層顕著で、我々の政治的思考の伝統にとって一層重大な結果を伴っているのは、次のような驚くべき事実である。


すなわち、どちらの伝説も(設立された共同体の中で政治的活動を規定するとされている、周知の諸原則とは鋭く対立して)、創設_その中では「我々」が確認できるものとなる至上の行為_の場合、[政治的]活動へと駆り立てる原理は自由への愛なのである。

その場合、この自由は、抑圧からの解放という消極的意味と、安定し触れてわかる現実としての自由の確立という積極的意味との両方を含んでいる。」


「おそらく我々がもしこれらの伝説を物語として読むのなら、エジプト出国の後、イスラエル民族が砂漠で目的のない命がけの流浪をすることと、アエネーアースと彼の友人の冒険の驚くほど多彩な物語の間には、とんでもないほどの相違がある。」

「<もやはない>と<まだない>との間の伝説上の断絶は、明らかに、自由は解放されれば自動的にでてくる結果ではないであろうということ、古いものの終わりは必ずしも新しいものの始まりではないということ、そして時間の連続は必ず貫かれるという考えは幻想であるということ、を示している。」

「過渡期の時期の物語_屈従から自由へ、災難から救済へ_は、この伝説が主に偉大な指導者の所業に関わっているがゆえに、なおさら人の胸に訴える。


この指導者は、世界史的意義を持つ人物であり、彼らはまさにそうした歴史的時間のギャップの間に歴史の舞台に現れるのである。」


〇西洋の「創設」はユダヤ人とローマ人の建国の伝説に立ち戻って考えようということのようです。なぜなら、その最初にあったのは、自由への愛だったからと。