読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ヤスパースとアーレント

ヤスパースの「哲学的自伝」より抜粋します。


「しかし科学的認識だけでは、心は満たされませんでした。真に科学的であるとは、おのれの限界を知っている批判的な知であります。」


「古い諺どおり、岸にいて泳ぎを論じても進歩はありません。われわれは水に飛び込まねばならぬのです。私の精神病理学では、抽象の域を脱しない論理的な論議はおこなうべからず、ということを目標にいたしたのは、そのためなのであります。」


「それに拠って私は、リッケルトの思惟形式に反対して、彼そのひとは元来決して哲学者なのではなく、物理学者であるかのように哲学に従事しているのだ、相違があるとすれば、物理学者が自分の思弁をレアルに検証する場合、実際に何事かを認識するのに反し、彼の方と言えば、全体としてシャボン玉のように空しい、精細な論理を展開しているというだけである、と言明いたしたのであります。」


「今や私は、新たな、より徹底したやり方で、哲学の研究に取り組み始めました。
(略)私はあえて哲学を生涯の職に定めたのであります。私に課せられた使命が明らかとなったのです。

私の眼にうつったところによれば、職業哲学者たる教授連が説く講壇哲学は、決して本来の哲学ではなく、科学たろうとの要求をもってする、われわれの生きることにとって重要ならざる物事の論究に、例外なく尽きるものでありました。


マックス・ウェーバーは既に世を去っておりました。精神の世界において哲学というものが途絶えているとすれば、せめても哲学の何たるかを立証し、偉大な哲学者へとまなざしを向けさせ、もろもろの混同を防ぎ、若いひとびとに本当の哲学への自覚を促すということ、これが任務であります。」


「どれほど興味深い歴史的題材を駆使しての、どれほど広汎な心理学的考察でありましょうとも、哲学の代用品とはしょせん、現に生きている自分自身を理解すべしという厳粛な要請からの、逃避にほかならなかったのであります。

そのようなことは、単なる埋めくさにすぎないあれこれの対象に心を奪われる、無責任な遊び仕事をこえることはありますまい。」


〇考え方がとてもアーレントに似てると思います。

そして、この「哲学的自伝」の123P 「八 政治的思惟」の中に、アーレントの名前が出ていることに、最近になって気づきました。
(名前が、ハナ―・アレント・ブリュッヒェルとなってるので、違う人だと思ってました。)


「今やわれわれが直面した新たな諸問題においては、ハナ―・アレント・ブリュッヒェルが、昔ながらの、数十年も消えなかった愛情のおかげで、妻と私にとってたいへん助けとなりました。彼女の哲学的人間的団結は、あの数年の最も美わしい経験となりました。彼女はわたくしたち老人と比べてずっと若い世代の人間ですが、彼女の経験したことを、わたくしたちに伝えてくれました。

彼女は、1933年以来亡命生活を送り、世界中を転々として渡り歩き、際限ない困難にめげませんでしたが、法の保証を失って生国から放り出され、国籍喪失という非人間的状態に委ねられた場合の、われわれの生存の基本的恐怖をいやというほど知り尽しました。

彼女は地盤を見出そうと試み、いつでも何らかの地盤を持ったのでありますが、しかし彼女はいかなる地盤にも捉われてしまうことができなかったので、彼女の愛の歴史性やそのおりおりの課題の歴史性は別として、地盤を無批判に絶対視することはなかったのであります。


内的な独立心は彼女をして世界市民たらしめ、アメリカの政治制度の独自の力(ならびにとにかく相対的最善のものとして耐えてきた政治的諸原理)への彼女の信仰はアメリカ合衆国の市民たらしめたのでした。


彼女によって私は、政治的自由の最大の実験であるこのアメリカ合衆国の世界と、他面全体主義のもろもろのメカニズムを、以前に私ができた以上によく見ることを学びました。


ただしあちこちの点で私が幾分手間取りましたのは、彼女にはマックス・ウェーバーの思惟形式、研究方法、理解が、なじめなかったせいにすぎません。


1948年以降彼女は繰り返しわたくしたちを訪れては熱心に議論を重ね、合理的には確定できない心の一致を確認するに至りました。私が生涯中、しかも青年時代から渇望してやまず、_運命的に結びつけられていた両親は別として_真には二三のひとびととしか実際に経験しなかったような状態で、私は彼女といくたびとなく議論するをえました。


すなわち、いかなる底意も許さぬ全く腹蔵のない態度で、_愛情をいささかも減ずることなしに、進んで相違さえはっきりさせるような信頼感に包まれてはいるが、おそらく深い理由のある相違から発する緊張をはらみながらも、どうせ修正されたり、利益になるなにものかを自分で示すのであるから、うっかり口をすべらせてもかまわないという陽気な気分で、_議論はおこなわれたのであります。


こうした議論は、徹底的な相互自己解放であり、抽象論的な挑戦は、実際に誠実な雰囲気の内で消えてしまうのですから、こうした挑戦の止揚なのでした。」


〇私のなかでイメージしている友人とは、こんなふうに付き合える人なのですが、
現実には、いません。というのも、私自身もこんなふうにはふるまえないからなんだと思います。