読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「空気」の研究

〇 この本は、単行本として昭和52年に出版されています。ところが、この中で、イタイイタイ病について、

カドミウム鉱山は世界に数多いが、イタイイタイ病が存在するのは神通川流域だけだそうである。」

と書かれていて、あたかも、イタイイタイ病カドミウムが関係ないかのような内容になっています。そこで、あらためて、ウィキペディアで調べたところ、1968年、厚生省が公害病として認めたたとありました。

でも、この山本氏の中ではまだ「疑い」の段階だったのでしょうか。

「記者たちは、イ病の悲惨な状態を臨在感的に捉え、そう捉えることによって、この悲惨をカドミウム棒に「乗り移らせ」(すなわち感情移入し)、乗り移らせたことによって、その金属棒という物質の背後に悲惨を臨在させ、その臨在感を絶対化することによって、その金属棒に逆に支配されたわけである。」


〇正直…この説明があまりよくわかりません。


「(略)現在において、まず明確に残っている最高の例と思われる西南戦争をとろう。これならば、すでに歴史上の事件であるし、戦ったのは同じ日本人同士だし、従って外交的配慮から虚報を「事実だ」と強弁する必要もないし、事実としなければ反省が足らんといわれることもあるまい。」

西南戦争は、いうまでもなく近代日本が行った最初の近代的戦争であり、また官軍・賊軍という明確な概念がはじめて現実に出てきた戦争である。(略)

同時に、大西郷は、それまで全国民的信望を担っていた人物である。(略)

ということは「世論」の動向が重要な問題だった最初の戦争であり、従ってこれに乗じてマスコミが本格的に活動し出し、政府のマスコミ利用も始まった戦争である。

元来日本の農民は、戦争は武士のやることで自分たちは無関係の態度(日清戦争時にすらこれがあった)だったのだが、農民徴募の兵士を使う官軍側は、この無関心層を、戦争に「心理的参加」させる必要があった。」


「いわば、日中国交回復に至るまでの戦争記事の原型すなわち「空気の醸成法」の基本はすべてこの時にそろっているのである。」


「まず西郷ぐん「残虐人間集団」の記事がでる。次に揚げるのは、そのほんの一例である。

<官兵を捕らえて火焙りの極刑・酸鼻見るに堪えず>

(略)

こういう記事を次から次へと読まされると、日中国交回復前の「日本人残虐民族説」にも似た「鹿児島県人残虐民族説」が成り立ちそうだが、ちょっと注意して読めば、これが創作記事であることは、誰にでもすぐに見抜けるであろう。」


「一方これの対極は、いうまでもなく神格化された「善」そのもの、「仁愛」の極である天皇と官軍である。」

「こういう形で、官軍を臨在感的に把握しそれを絶対化する。すると人々は、逆にこの神格化される対象に支配されてしまい、ここに両端の両極よりする二方向の「空気」の支配ができあがるのである。」

「たとえば、一人の人を「善悪という対立概念」で把握するということと、人間を善玉・悪玉に分け、ある人間には「自分のうちなる善という概念」を乗り移らせてこれを「善」と把握し、別の人間には「自己の内なる悪」という概念を乗り移らせてこれを「悪」と把握することとは一見似ているように見えるが、全く別の把握の仕方である。」


〇勧善懲悪という言葉がありますが、善玉、悪玉と分けて見るのはわかりやすく、見ていてスッキリします。二つの「軍」が闘っている時、どっちが悪でどっちが善なのか、と考えてしまいます。山本氏は、そのような考え方が、「空気」の支配を生むと言ってるのでしょうか。

もう少し、わかりやすい話かと思って読み始めたのですが、難しいです。