「「絶対」といえる対象は一神だけだから、他のすべては徹底的に相対化され、すべては、対立概念で把握しなければ罪なのである。」
「これでは”空気”は発生しえない。発生してもその空気が相対化されてしまう。そして相対化のこの徹底が残すものは、最終的には契約だけということになる。」
この世界には原則的にいえば相対化はない。ただ絶対化の対象が無数にあり、従って、ある対象を臨在感的に把握しても、その対象が次から次へと変わりうるから、絶対的対象が時間的経過によって相対化できる_ただし、うまくやれば_世界なのである。それが絶えず対象から対象へと目移りがして、しかも、移った一時期はこれに呪縛されたようになり、次に別の対象に移れば前の対象はケロリと忘れるという形になるから、確かに「おっちょこちょい」に見える。」
「そしてこの世界の破局的な危険は、全民族的支配的”空気”が崩れて他の”空気”に変わることなく、これが純粋な人間に保持されて、半永久的に固定化し永続的に制度化した時に起こるはずである。
それはファシズムよりもきびしい「全体空気拘束主義」のはずである。
それをさけるには、どうすればよいか。」
その人々によって、「半永久的に固定化した永続的な制度」が出来てしまわないようにと心から願っています。