読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「空気」の研究  「水=通常性」の研究

「もちろん、尺度というものは、常に、非人間的であり、人間が自分の方からこれに触れることが不可能であるがゆえに人間が使用できる尺度となりえて、平等に人間を規制しうる。

これがその考え方の基本であって、この基礎は、古代における「計り」の神聖視や神授による倫理的規範の絶対化_たとえばモーセ十戒_から、メートル法やさまざまの必然論にまで一貫している考え方である。」



「というのは、人間を基準とするという日本的平等主義は、最終的には、こういう結論しか出てこないからである。というのは、尺度の基準である人間に同一性を求めるのは当然なことであり、それが動かせれば無基準になってしまう。

同時にこの平等的同一性の否定は前述の「個」という考え方を招来するから、人間は同一状況でそれへの対応は個々別々だということになり、日本的状況倫理は成り立たなくなってしまうからである。」


「(略)以上のことは、今日の事件に対する共産党の取り上げ方が、過去および現在におけるこの種事件に対する日本国政府およびマスコミの取り上げ方と、全く同じ図式であることを示している。(略)そしておそらくそれが、日本における「通常性」的判断の論理的基本なのである。」


「(略)その結果は、これによって一見西欧化したように見えて、実は日本がさらに深化し、徹底して日本化することではないか、否、確かにそうなるはずだ、(略)」


「だがこの日本的状況倫理は、実は、そのままでは規範にはなりえない。いかなる規範といえども、その支点に固定倫理がなければ、規範とはならないから、状況倫理の一種の極限概念が固定倫理のような形で支点となる。


(略)状況倫理を集約した形の中心点に、状況を超越した一人間もしくは一集団乃至はその象徴に求める以外になくなってしまう。」


「だからそう見るのは当然だが、共産党にはリンチはなかった。ということは、無謬なる超越者であったということである。これは実は「奇跡」を証明する論理と同じ構成になっている。」


「そしてこの考え方こそ、日本の最も伝統的な考え方で、昔の表現に従えば「一君万民」である、これが、その考え方の基本となっている平等主義である。」


「一人の絶対者、他はすべて平等」の原則。」


「この考え方は、基本的には自由主義とも個別主義とも相いれない。そしてそういう意味では、一種の「滅私的平等」の倫理であり、そのことは「オール3」という評価にそのまま表れている。

この発想の基本は戦前も戦後も変化なく、変わったのは「表現の方法」だけ、いわば「評価するものの絶対性とその者による状況の思惟的創出」を前提としなけれがならぬこと、簡単にいえば、一君を神と認め、「現人神」「現教師神」の存在を前提としない限りこの方式は成り立たないことを、さまざまな表現で隠蔽しているにすぎないのである。」