読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「空気」の研究  「水=通常性」の研究

孔子は「父が羊を盗み、その子がそれを証言するなどということは、「直キ者」ではない」と言っている。

「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。「直キコト其ノ中に在リ」」と。

でも、山本氏はここで、孔子の生き方に触れ、「君君たらずんば、臣臣たらず」と両者の関係は信義誠実を基にすべきであると言っている。

ここで、父は子の為に、子は父の為に隠すと言っているのは、あくまで肉親についてであり、これを会社や組織にまで広げて、あたかも内部の悪を互いに隠しあうのが、孔子の教えであるかのように解釈した理解は、日本人独自のものと山本氏は言っている。


一方旧約聖書から、

「主は言われる。「その時、彼らはもはや、「父がすっぱいぶどうを食べたので、子どもの歯がうく」とは言わない。すっぱいぶどうを食べる人(だけが)みな(等しく)、その歯がうき、人はめいめい自分の罪で死ぬ」_(エレミヤ書」三一28-30

という言葉を引用し、エレミヤはイエスに最も強い影響を与えた先人の一人だったと
書いています。


「そしてこういう長い伝統が、それぞれの民族の下意識的部分を拘束しているという点では、彼らもわれわれも差はない。

わずか三〇年で、ヨーロッパ人を孔子→日本的儒教の伝統規範で律することが不可能なら、同じようにわずか三〇年で、日本人をエレミヤ→イエス的規範で律することも不可能なはずである。」


「また何か事件があるとその親が写真までそえられて新聞に登場する。そしてその親に向かって「国民に土下座をしろ」などという投書が新聞に載ったり、親が首をくくったりする。」


「今まで記したことを、日本的儒教倫理の側からもう一度言うと、「わが社の直き者はエレミヤと異なり、社長が黒いピーナッツを食べても重役は社長の為に隠し、重役が黒いピーナッツを食べても社長は重役のために隠す。直きことその中にある」であって、これが正義・真実なわけである。(略)

よくも悪くも、われわれの社会はそれで成り立っており、徳川時代はもちろん三十年前までは、これが公然の規範であった。(略)

実は、われわれが潜在的にもっている日本的儒教的規範から出ているのであり、考えて見れは、それが当然であって、それをしない者はむしろ例外者である。」


〇自分の体質がこういう体質なんだ、と自覚するのはうんざりします。悲しくなります。