読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「空気」の研究  「水=通常性」の研究

「言うまでもなく、三十年前までの日本は、「忠孝一致」で「孝」を組織へと拡大化した状態を「忠」と呼び、「君、君たらずとも臣は臣たれ」を当然とした社会であった。」


「しかし、一民族を全く無干渉に自由に放置しておいたらどうなるか。それは、否応なく伝統的文化規範による秩序をつくるに決まっている。

そしてそれを形成するのに、何の苦労も努力も摩擦も生じないのである。それは、真空状態のような収容所にも発生したが、「土着の秩序」と言ってもよい秩序であろう。

(略)言うまでもなくそれは日本的儒教的規範の世界_いわば一君万民の状況倫理の世界である。(略)自由にしておけば自分で自由を失うという結果になって不思議ではない。」


「自由にしていて自由を失うまいとすれば、「一君万民・オール3的、事実を口にしないことが真実」というすべての組織から脱落する以外になくなるが、脱落とはいわば勘当であり、勘当されたものは一切の権利を実質的に失うから、また自由を失ってしまうわけである。


そのため戦後三十年、いまの日本人にとって、全く扱いづらい概念になってしまったのが、実は「自由」という概念なのである。」


「父は子のために非民主的なことを隠し、子は父のために同じように隠す」ならば、どこから見ても民主主義であろう、いまの日本同様に_ただ個人の「自由」を排除しておけば。」


「戦前の日本の軍部と右翼が、絶対に許すべからざる存在と考えたのはむしろ「自由主義者」であって、必ずしも「社会主義者」ではない。」


「その私がこれに関心をもったのは、「公害」よりむしろ公害に触発されたさまざまの問題、一言で言えば、以上の状況倫理・集団倫理に科学上のデータがどう作用しどう結果するかという点であった。

科学上のデータは、こういう社会では最終的には扱えなくなり、最後には科学否定の神がかりが発生するはずで、私は日本軍の中でやや”科学的”であった砲兵の一員として、いやというほどそれを見せつけられて来たので、同じ状態を呈するのではないかと、興味があったわけである。」


〇なるほど~と思いながら、読みました。
あの原発事故 3・11以前から、「国民は為政者にうまく騙されている」的な
言説は時々耳にしました。

でも、そのような言葉は結局「何でも反対の左翼」の偏向した見方だと、思って聞いていました。

でも、あの事故の時、「放射能は実はそれほど危険ではない」とか「SPEEDI隠し」「食品の放射能汚染度を誤魔化す」「住民の被曝調査をしない」「汚染地域の住民を積極的に避難させない」「低レベルの放射能汚染物質は、他のものと混ぜて薄めて国中にばらまく」等々信じられないほどの「嘘と誤魔化し」を見て、この国では、科学者も医者も「真実」を言わないのだと、呆れました。

まさに、科学否定の態度です。