読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「空気」の研究  「水=通常性」の研究

「そしてその「力」は外部から来るはずはなく、我々の内部すなわち日々の生き方の規範の集積の中に、いわばその通常性という無意識の規範の中にあるはずである。

というのは無意識でないならば、われわれがそれに自滅するまで支配されることはあり得ないからである。


と同時に、これが一つの力である限り、、それは必ずしもマイナスにのみ作用するとは限らず、その力はプラスにもマイナスにも作用しているはずである。そしてプラスに作用した場合は、奇跡のように見えるであろう。」


「すなわち過去を、すべて否定さるべき対象として再構成し、それをも臨在感的に把握しなおすことによって、過去と断絶しうると信じたわけである。

この態度は宗教的な回心と非常によく似ている。(略)この現象は、キリスト教受容期の西欧を見れば、少しも珍しい現象でなく、その者はすぐさま、過去の「偶像破壊」へと向かうのである。そして日本の転換期にも、大なり小なり、過去において賛美の対象であった者が、一転して悪の権化となった_無敵皇軍も、天皇も、商社も、車も、またそのスローガンであった東亜解放も忠君愛国も経済成長も。」


「この関係は明治も戦後も同じであり、違いと言えば、戦後の絶対者は民主主義であり憲法であったと言うことだけである。従って民主主義と憲法の日本における定義は、たえずそれを改訂し、改訂しうることを民主主義の原則とする西欧の伝統的の定義と同じではあり得ない。

まして「民主主義とは、統治の一形態であって、それ自体の中に克服すべきさまざまの欠陥を含む」ものとして相対化することは到底日本では認められず、「民主」といえばこれは絶対で、しかも日本のそれは世界最高の別格であらねばならなくなる。」


〇この「民主主義」を絶対化している、ということに関しては、確かにこの山本氏の言う通りかもしれないけれど、山本氏の言うように「相対化」すると、あっという間に、民主主義が乗っ取られ、骨抜きにされ「土着の秩序」になってしまう恐れがあると思ったのだろうと思います。

丁度、現在の政府が改憲を目論んでいるように、少しずつ実質的に骨抜きの憲法にされていくのを恐れたのだと思います。

「論理」でことをつめていく習慣がない。「父と子」は互いに不正を隠し合う習慣がある社会。互いに何も信じられない関係の中で、どんな合意形成も不可能。「民主主義」のもとになる精神がない社会で、その理念だけが掲げられていた社会。でも私たちの中には、せめてその理想だけでも掲げていたいという切羽詰まった願いがあったのだと思います。

結局、本気で民主主義を根付かせようとするには、その精神から自分たちのものにする以外にはないと思います。たとえ、どれほど時間がかかろうとも。

それが、西欧のものであって、誇りある私たちの国のものではないとしても、
私は、民主主義を生み出した精神を今ある人間の「秩序を生み出すシステム」の中かでは、一番マシなものではないかと思います。

人権思想もそうです。それが例え、キリスト教圏で生まれたものであっても、
日本人にとっても、絶対に必要な思想だと思います。

だったら、その根っこの精神をしっかりと身につけた方が良いと思います。