読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「空気」の研究  「日本的根本主義(ファンダメンタリズム)について」

〇実は、ここも読み終え、この「空気の研究」は、一応読み終わりました。

この「ファンダメンタリズム」についても、考えさせられることがたくさんありました。

今までと同じように、気持ちに引っかかった言葉を一つ一つメモしておきたいところですが、それは、少し後にしたいと思っています。

というのも、また予約していた本が借りられることになり、早急にそちらを読んでしまわなければならないからです。


そこで、ザっとした感想をメモして、この「「空気」の研究」は終わりにします。


「従って、われわれには奇妙に見えるファンダメンタリズムの背後には、これのみを唯一の権威・典拠として血みどろの解放闘争をつづけた数百年があるわけで、簡単な嘲笑でそれを消し去るわけないはいかない。」


〇山本氏は欧米のファンダメンタリズムについて、例を挙げ説明します。
それを読みながら、私の持った感想は、「とっても、ついていけない…」というものでした。つまり、民主主義や人権思想を生み出した根本の精神が、ここから来ているのだとしても、私には、とてもその境地になることは出来ないし、むしろ「なりたくない!」という強い拒否感があります。

それほどまでに欧米人と日本人である私の間には大きな違いがあるのだと思い知ります。

そして、山本氏は、「日本的ファンダメンタリズム」とはなんだろうか?と考えます。

つまり、欧米のファンダメンタリズムについて調べる中で、例え論理的ではなくても、それが人々の改革のエネルギーになるものというのがあるのだ、と言うのです。

そして、それについても、色々書かれていますが、結局はっきりわかりません。


最後に、一つとても印象に残った言葉があるので、それをメモして、
この「空気の研究」は終わりたいと思います。




「というのは、「空気」に基づく行動が、まわりまわっていつしか自分の首をしめて行き、その判断で動き回っているとどうにもならなくなることを、人は、否応なく実感せざるを得なくなってくるからである。(略)

公害問題が華やかだったとき、「経団連」をデモ隊で囲んで「日本の全工場をとめる」といった発言に対して、ある経済記者が「一度やらせればいいのさ」と投げやりな態度で言った例にその実感がある。

これは、臨在感的把握に基づく行為は、その自己の行為がまわりまわって未来に自分にどう響くかを判定できず、今の社会はその判定能力を失っているの意味であろう。(略)

そして人々は、このときも洗剤騒動の時も、臨在感的把握に基づく直接的行動が自分に思わぬ結果を招来することを何となく知ったわけである。

それが現在の一種の無反応状態の原因であるという人もいる。」


〇「直接行動が思わぬ結果を招来する」ことを知って「無反応状態」になる。
実は、この事は、私も何度も考えました。

政治や経済について、ほとんどなにも知識のないものが、「直接的行動」をとり、なにがしかの反対運動をすることで、結局、「国全体」の状況を悪くし、結局自分の首をしめることになるのではないか、と。

それがあるから、「自由」に発言してはいけないのではないかと。

でも、多分、その考え方が間違っているのだと思います。
「嫌われる勇気」の中でもありましたが、「自由な発言」で「ひっかきまわされて、
混乱させられる」と思うのは、彼らの問題です。

問題だと思うことはしっかり伝えていいのだと思います。
空気を読んで、疑問を引っ込めない方がいいと思います。

彼らは、それに対してきちんと説明する責任があります。為政者や企業はそのような責任を持っていると思います。


「しかしその中である種のエリートは、前記の作業をしている。これがしだいに進めば、結局新しき士大夫がすべてを統治して「民はこれに依らしむべし、知らしむべからず」の儒教的体制へと戻っていくであろう。

そして戻っていくことを、心のどこかで人びとは半ば認めだしたのではないかと思われる徴候もある。

これに対して「自由」はいかなる位置に立ちうるのか。

それを探すには、かつて彼らが、黙示録的支配から何によりいかにして脱出してきたかの歴史が、一つの参考となるであろう。」

〇「前期の作業」=密室内での「父と子の隠し合い」?
「半ばあきらめだした」=空気を読んでる?