読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 下   ― あとがき ―

〇「あとがき_神になった動物」

ユヴァル・ノア・ハラリ著 サピエンス全史 下巻

読み終わりました。読み終わって少し涙がでました。
丁度昔、あの「赤ずきんちゃん気を付けて」を読み終わった時のような
感動と純粋な気持ちと感謝のようなものが入り混じった涙。

それで、大みそかの一番忙しい時間に、今、どうしても感想を書かなきゃ、
という気持ちになってしまいました。

とても面白い本でした。
色々なびっくりするような情報が、データと共に示されていて
勉強にもなる本でした。

でも、いつも一抹の不安がありました。
若さゆえの単純さ、浅はかさのような、危なっかしさなのかな?とも思いました。

もう若くない自分には立ち入れない世界を語る若者の危なっかしさを
見ているような気持ちでした。

でも、どうやらそれは見当違いだったようです。

あとがきを読んで、このハラリ氏は間違いなく、あのハンナ・アーレント
問題意識を継いでいる、と思いました。

ご本人がそう意識しているかどうかは別にして、
読書量の極端に少ない読者の私としては、
この2冊の本をそう関連付けてしまいました。

もう、誰も「皆さん、(例えば)キリスト教は真理です。信じましょう。」などとマインドコントロールすることはできません。

そして、「この価値観を持ちましょう!」と強制することもできず、「これは悪、これは善」と指図することもできません。

そんな社会が今の社会です。

でも、本当に本当にそれで私たち人間はこれからもやっていけるのか…。
「世界がどうあるべきかについて私たちは知らない」とアーレントは言いました。

「精神」は本当はそれを考えずにはいられないはずではないか、と言っているのだと
私は感じました。

この「あとがき」を読んで、私はこのハラリ氏も同じことを言っていると思います。

全文をメモします。

「七万年前、ホモ・サピエンスはまだ、アフリカの片隅で生きていくのに精一杯の、取るに足りない動物だった。ところがその後の年月に、全地球の主となり、生態系を脅かすに至った。

今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な能力さえも手に入れかけている。

不幸にも、サピエンスによる地球支配はこれまで、私たちが誇れるようなものをほとんど生み出していない。私たちは環境を征服し、食物の生産量を増やし、都市を築き、帝国を打ち立て、広大な交易ネットワークを作り上げた。だが、世の中の苦しみの量を減らしただろうか?

人間の力は再三にわたって大幅に増したが、個々のサピエンスの幸福は必ずしも増進しなかったし、他の動物たちにはたいてい甚大な災禍を招いた。


過去数十年間、私たちは飢饉や疫病、戦争を減らし、人間の境遇に関しては、ようやく多少なりとも真の進歩を遂げた。とはいえ、他の動物たちの境遇はかつてないほどの速さで悪化の一途をたどっているし、人類の境遇の改善はあまりに最近の薄弱な現象であり、決して確実なものではない。

そのうえ、人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで、相変わらず不満に見える。


カヌーからガレー船、蒸気船、スペースシャトルへと進歩してきたが、どこへ向かっているのかは誰にもわからない。私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいかは、ほとんど見当もつかない。

人類はいままでになく無責任になっているようだから、なおさら良くない。物理の法則しか連れ合いがなく、自ら神にのし上がった私たちが責任を取らなければならない相手はいない。その結果、私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど追い求めないが、それでもけっして満足できずにいる。


自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?