読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 下

「<資本主義の地獄>  市場に完全な自由を与えるのが危険だというのには、さらに根本的な理由がある。(略)


これは理論上は完全無欠に聞こえるが、実際にはすぐにぼろが出る。君主や聖職者が目を光らせていない完全な自由市場では、強欲な資本主義者は、市場を独占したり、労働力に対抗して結託したりできる。

ある企業一社が国内の製靴工場全部を支配下に置いていたり、工場主全員が一斉に賃金を減らそうと共謀したりすれば、労働者はもう、職場を変わることで自分の身を守れなくなる。」


〇ここで、「聖職者」という言葉が印象的です。聖職者はそういう役割も果たしていたのか…と。


「自由市場資本主義は完全無欠には程遠く、大西洋奴隷貿易はその歴史における唯一の汚点ではないことは、しっかり心に刻んでおきたい。(略)イギリス東インド会社には、1000万のベンガル人の命よりも利益の方が大事だった。

オランダ東インド会社インドネシアにおける軍事行動は、高潔なオランダ市民が資金を提供していた。

彼らは自分の子供を愛し、慈善団体に寄付し、上質の音楽と美術を愛でる人々だったが、ジャワ島やスマトラ島、マラッカの住民の苦しみは一顧だにしなかった。


世界の他の地域でも、近代経済の成長に伴う犯罪や不正行為は後を絶たなかった。」



「十九世紀になっても資本主義の倫理観は改善しなかった。ヨーロッパを席巻した産業革命は銀行家と資本所有者の懐を潤したが、無数の労働者を絶対的な貧困に追いやった。ヨーロッパ各国の植民地では自体はそれに輪をかけて悲惨だった。」



「ゴムを収穫するアフリカの村人のノルマは増えるばかりだった。ノルマに達しなかった者は、「怠け者」として残酷な罰を受けた。彼らは腕を切り落とされ、村人全員が虐殺されることもあった。

かなり控えめに見積もっても、1885年から1908年までに、成長と利益の追求と引き換えに600万人(今後の人口の少なくとも2割に当たる)の命が失われたとされている。死者の数は1000万人にも及ぶとする推定もいくつかある。」


〇現実に人間がやったことは、これからもやる可能性がある、ということだと思う。
その事実をしっかり受け止め(「自虐史観だと言って、なかったことにするのではなく)

忘れずにいて、それに歯止めをかける、もしくはその問題を解決する能力が自分たちにある、と考えられる時、自分たちの社会に誇りを取り戻せると思う。


「1908年以降、とりわけ1945年以降は、資本主義者の強欲ぶりには多少歯止めがかかった。それは共産主義への恐怖によるところが大きかった。

だが不平等は依然としてはびこっている。2014年の経済のパイは、1500年のものよりはるかに大きいが、その分配はあまりに不公平で、アフリカの農民やインドネシアの労働者が一日身を粉にして働いても、手にする食料は500年前の祖先よりも少ない。

農業革命とまったく同じように、近代経済の成長も大掛かりな詐欺だった、ということになりかねない。」

「紀元前8500年に農業革命で苦い涙を流した者もいただろうが、農業をやめるにはすでに手遅れだった。それと同じで、資本主義が気に入らなくても、私たちは資本主義なしでは生きていけない。」


「確かに明るい兆しはいくつか見えている。少なくとも、平均寿命、小児死亡率、カロリー摂取量といった純粋に物質的・身体的な物差しで測れば、2014年の平均的な人間の生活水準は、人口が飛躍的に増えたにもかかわらず、1914年よりも格段に改善した。」