読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 下

「何百万年もの進化の過程で、人間はコミュニティの一員として生き、考えるよう設計されてきた。ところがわずか二世紀の間に、私たちは疎外された個人になった。文化の驚異的な力をこれほど明白に証明する例は、他にない。」


「たいていの社会では、親の権威は神聖視されていた。親を敬い、その言いつけに従うことは、とりわけ尊ばれる価値観であり、親はといえば、新生児を殺害することから、子供を奴隷として売る、あるいは娘を二倍以上も年嵩の男性に嫁がせることまで、思いどおりにほぼなんでもできた。


<想像上のコミュニティ>  市場と国家はこの要求に応えるために、「想像上のコミュニティ」を育成してきた。このコミュニティは何百万もの見ず知らずの人の集合体で、国や商業の必要性に合致するようにできている。

想像上のコミュニティは、実際には互いによく知らない者どうしが、知り合いであるかのように想像するコミュニティだ。このようなコミュニティは、何も新奇な発明ではない。王国も、帝国も、教会も、想像上のコミュニティとして何千年にもわたって機能してきた。

古代中国では、何千万もの人々が自らを、皇帝を父とする単一の家族の一員だと考えていた。

中世には、何百万もの敬虔なイスラム教徒が、自分たちはみな、イスラムという巨大なコミュニティに属する兄弟姉妹であると想像した。

だがいつの時代にも、こうした想像上のコミュニティは、実際に互いをよく知る数十人規模の親密なコミュニティを補う役割を果たしていたにすぎない。親密はコミュニティは、成員の感情面の必要性を満たし、各人の生存や福祉に欠かせない存在だった。

ところが、この二世紀の間に、親密なコミュニティは衰退し、その感情的空白は想像上のコミュニティに委ねられることになった。


このような想像上のコミュニティの台頭を示す最も重要な例が、国民と、消費者という部族の二つだ。」


「国民ははるか昔に存在していたが、その重要性は現在よりもずっと小さかった。というのも、国家の重要性がずっと小さかったからだ。

中世のニュルンベルクの住民もドイツ国民に対する忠誠心をいくらかは抱いていたかもしれないが、それは、日常の必要のほぼずべてを満たしてくれる家族や地域コミュニティに対する忠誠心には遠く及ばなかった。そのうえ、かつての国民がどのような重要性を持っていたにせよ、現代まで続いているものはほとんどない。

現存する国民のほとんどは、産業革命後に誕生したものだ。」


ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞を思い出しました。ここを読んで、ちょっと脳の中をかき混ぜられるような感じになりました。