読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 下  76P ~

「<進歩の理想> 科学革命以前は、人類の文化のほとんどは進歩というものを信じていなかった。人々は、黄金時代は過去にあり、世界は仮に衰退していないまでも停滞していると考えていた。(略)

知るべきことをすべて知っていたムハンマドやイエスブッダ孔子さえもが飢饉や疫病、貧困、戦争をこの世からなくせなかったのだから、私たちにそんなことがどうしてできるだろう?(略)

バベルの塔の話やイカロスの話、ゴーレムの話、その他無数の神話は、人間の限界を超えようとする試みは必ず失望と惨事につながることを人々に教えていた。」


「そして実際、世界の多くの地域が、最悪の形態の貧困からすでに解放されている。歴史を通して、社会は二種類の貧困に苦しんできた。一つは社会的貧困で、他者には得られる機会を一部の人が享受できない状態だ。


もう一つは生物学的貧困で、食べ物や住む場所がないために人々の生命そのものが脅かされる状態だ。社会的貧困は今後もずっと根絶できないかもしれないが、世界の多くの国では、生物学的貧困は過去のものとなっている。」

〇 これは、本当なのかな…と思いながら読みました。いわゆる「政情不安」による難民状態の生物学的貧困はまだまだあると思っていました。


「<ギルガメシュ・プロジェクト> 表向きは解決不可能とされる人類のあらゆる問題のうちでも、最も困難で興味深く、重要であり続けているものがある。ほかならぬ死の問題だ。(略)


これらの宗教の教義は人々に、死を克服してこの地上で永遠に生きようとするのではなく、死を受け容れ、死後の生に望みを託すよう教えた。」


「それが私たちに伝わっている最古の神話、すなわち古代シュメールのギルガメシュ神話のテーマだ。


その主人公は、戦にかけては無敵という、世界で最も強力で有能な、ウルクの王ギルガメシュだ。ある日、ギルガメシュの親友エンキドゥが亡くなる。

ギルガメシュは亡骸のそばに座り、何日も見守るうちに、友の鼻の穴から蛆虫が一匹落ちこぼれるのを目にする。そのとたん、ギルガメシュは酷い恐れに捕らわれ、自分は絶対に死ぬまいと決意する。

なんとかして、死を打ち負かす方法を見つけるのだ、と。そこでギルガメシュは世界の果てまで旅し、ライオンを殺し、サソリ人間たちと戦い、黄泉の国へと足を踏み入れる。そこで彼は意志の巨人たちを打ち砕き、死者の渡る川の渡し守ウルシャナビの助けで、原初の大洪水の最後の生き残りであるウトナピシュティムを見つける。


それでもギルガメシュは、この探求の目的を果たせなかった。そして、相変わらず死すべき運命を背負ったまま空しく故郷に戻るが、一つだけ新しい知恵がついていた。

神々が人間を造った時、避けようのない人間の宿命として死を定めたのであり、人間はその宿命の下で生きて行かなくてはならないことをギルガメシュは学んだのだった。」



「真剣な学者の中には、人間の一部が2050年までに「非死(アモータル)」(「不死」ではない。なぜなら、依然として事故で死にうるからだ。「非死」とは、致命的な外傷がない限り、無限に寿命を延ばせることを意味する)になるという人も総数ながらいる。」


〇私自身は、正直なところ「非死」を願う気持ちがあまりありません。死が恐ろしいから死にたくないという消極的な願いはあるのですが。こればっかりは、現実に「そこ」に行ってみないとわからないことだろうな、と思います。

日本人は、桜の花の散り際を称賛します。そして、どこか「滅びの美学」的な消え去り、移ろうものを慈しむ体質があるように感じることもあります。

この辺も、このヨーロッパ人と東洋人との違いなんだろうか、などと感じました。

これで、以前とばした部分の抜き書きを終え、全部繋がったので、この「サピエンス全史 下」を終わりにします。