「<創造の自由 _ 「荘子」の一節 1962年> 東洋には、昔から、二つの主な思潮が流れてきた。今もそれが跡づけられる。(略)
この二つの傾向は人間性の基本的なもので、いつの時代にも、何かの形相で現れ出る。」
「自分は使っておると思っていても、その実、使われているのかもしれない。あらわに見るとか感じるとかいう意識にまで発展しなくても、事実上、ハンドルをまわし、ボタンを押しながら、かえって、それに使われているのが普通である。」
「法則・機械・必至・圧迫などという一連の思想、そうして、これと正反対の思想……人間・創造・自由・遊戯自在、これらが、どういうふうに協調していけるか、あるいは、また、どうしても協調していけぬか。
自殺か、自活か。これがいろいろの形で、歴史の上に現れてくる。近代は、これが、ことに著しい厳しさをもって、われらに臨んできている。」
〇この危機感は、あのハラリ氏の危機感と同じだと思います。