「※のつづき スエーデンにラーゲルクィストという人がある。近代有数の作家で思想家だ。その人の小品に「永遠の微笑」がある。その中に出てくる「神」は、ユダヤ系の神でなくて、平凡な一老樵夫である。
朝から晩まで、一生を通じて、同じ仕事に精出している木樵の老人である。これが面白い。「何の故に、こんな不平等で、非苦の連続である世界を造ったか」と詰問せられるのに対して、何の造作もなく、「それは自分の精一杯の仕事なのだ」と答えて、木樵を続ける。
いかにも平平凡凡の日常底である。この神は威儀堂堂として他を声色の上から畏服せんとするでなく、親しみやすい、至るところに見られる、原始的な仕事をやる凡人である。
神はその外面から見るべきでなく、その主体性の中に飛び込んで始めて体認せられるのである。
〇このあとに、「碧巌集」の第七十三則の漢文が挙げられていますが、私にはよくわかりません。
最後の方に…
「自分はこれを Truth is Subjectivity という。キエルケゴールの意旨はいずれにあるを問わぬ。
「東洋の心」なるものは、大体、右のような形式で表顕せられたのである。これを世界に紹介して、人々の了解を希うのが自分の所願だ。」
となっています。