読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

東洋的な見方

「<機心ということ  1966年>  問題はこの「機心」である。これは何の義か。一口に言えば、機心ははからいのある心である。これがあると「純白」でない、何やら「神」が動いて不安定である。
 
心が動くことは、本来の意識から、仲介物なしに流出せぬと、不純白になる。
荘子はこれをきらう。機械にたよると、その働きの成績にのみ心をとらわれる。早く効があれとか、多くの仕事ができるようにとか、自分の力は出来るだけ節約したいとか、また経済的には、少しの資本で多大の利益を占めたいなどということになる。
 
これを宗教的、霊性的方面の生活から見ると、もっとも不純白な行動と見なくてはならぬのだ。」
 
〇まさに、産業革命など絶対に受け入れられないのが、この「機心」を嫌う荘子の思想ということになります。
 
この本の後半に、「米英は物質的、政治的、経済的文化で、世界に残すべき文化は、唯一、日本の人間の文化だ」としてあの戦争を戦っていた日本人の気持ちが語られている部分がありました。
 
(「機心」を排除する世界を作るためにも、戦争には負けられない。でも、その戦争に、絶対に必要なのはこの「機心」。矛盾です。それでも、その矛盾を乗り越えるのが禅の精神。
 
矛盾など大和魂で乗り越えよう!)
 
なんてことになっていったのでしょうか。
 
日頃から、矛盾を解消するためにどうすればよいかと、問題解決のためにしっかり考えるのではなく、
 
(矛盾は矛盾として、思考の中に留まっていてはいけない。飛び込むのだ!)と、
 
案外、戦時中の日本陸軍は、本当に馬鹿だったというより、このようなしっかりとした禅の精神のもとに、「飛び込んで」行った可能性もあると私は思いました。
 
もしそうなら、そういう意味でも、アーレントが言っていたように、思考は恐ろしい面もある、と思います。