読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「”終戦”は単に日本が戦争に敗れたというだけでなく、一つの革命だった。(略)

従って当時の多くの人の記述に見られるのが、新しい時代に順応するための自己正当化の手段としての、過去の再構成である。それは時には自己の責任を回避するため、一切を軍部に転嫁し、これを徹底的に罵倒するという形になったり、自分や自分の所属する機関を被害者に仕立てるという形になっている。


ある大学は軍部に追われた教授を総長に迎えた。軍部に追われたというが、実際は、彼を追い出したのは、大学である。(略)


あたかも大学自体がその総長同様に被害者であったかの如き態度をとって、そのまま存続した。同じことをした言論機関もあるが、もちろんこの傾向は、あらゆる機関から家族・個人にまで及んでいる。」


「新しい「タテマエ」も、その「タテマエ」を表彰ふる「民主日本」とか「文化国家」といったスローガンも、そのスローガンを戦争中同様に騒々しく”奉唱”し強制する言論機関も、なにもなかった。」


「本書を読めば、おそらくすべての人が、同じようなことを感ずるであろう。一体これは何を意味しているのであろう。(略)

これは、われわれの常識とそれを基礎づける基本的価値判断の基準が、戦前も、戦後も変わっていないことを示しているであろう。

そして本書が提起している一つの問題は、なぜその常識を基準として国も社会も動かず、常に、”世論”という名の一つの大きな虚構に動かされるのかという問題である。これは戦前だけのことではない。

日中復交前に本多勝一記者の「中国の旅」がまき起こした集団ヒステリー状態は、満州事変直前の「中村震太郎事件」や日華事変直前の「通州事件」の報道がまき起こした状態と非常によく似ているのである。

こういう場合、「常識」は発言できない。それでいて常識はつねに変わらず厳然と生きている。横井・小野田両氏がすぐに現在の社会に適合できたとて、このことを考えれば、少しも不思議ではない。」

〇山本氏は、私たちが戦後「民主日本」になったとして、民主主義を「”奉唱”し強制する」ようになった態度を、戦前と何も変わっていない、と言っています。

独裁者が軍部から、「民主主義標榜者」になっただけだと。

そして、この小松氏は、その「戦後」のタテマエの影響を受けて「本書」を書いたわけではないので、本書は、正確な記録だと言って居ます。

ここでは、あの「空気の研究」の中で、山本氏が言って居た、「彼はどの陣営の人か?」という問題を意識して言っているのだと思います。

もし、この小松氏がいわゆる「左翼陣営の人」、ということになれば、そういう意図で書いたもの、というレッテルが貼れます。

山本氏は、だからこそ、ここでくどいほど、そうではない、「正確な記録」だと、
細かく状況を説明して、証明しているのだと思います。