読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「では一体なぜ氏は、この二十一カ条の中に、レイテをあげずにバシー海峡をあげたのであろうか。また一方、戦記とか新聞とかは、なぜ、だれもただの一度もバシー海峡に言及しないのであろうか。

ここに、戦争なるものへの、決定的ともいえる視点の違いがあり、同時に、戦争と戦闘との区別がつかず、戦争を単に戦闘行為の累積としてのみ捕らえる、いわゆるジャーナリスティックな刺激的・煽動的見方への偏向がある。」



「だが人々はその最も決定的な面すなわち「バシー海峡」を見ようとせず、戦争中は武勇伝や悲愴調愛国殉国物語を読まされ、戦後はそれの裏返しにすぎない刺激的「残酷物語」を読まされて、最も恐怖すべき対象から逆に視線をそらされている。


それは、バシー海峡、この「バシー海峡」という言葉に、人々が何の反応も示さないことに、端的に表われているであろう。」


「全体の中の自分を見なおす_と言ってしまえば簡単だが、これは実際には不可能に等しい。(略)

人は大体、自分の属している組織の中で、有形無形の組織内の組織に制御されて自己を規定している。現実の行動の規範はそれ以外にない。」

「これは昔も今も変わらず、従って、戦争中の日本でも変わらず、前線でも後方でも変わらなかった。従って、敵が間近にせまった前線だからと言って、人々がそれらの情報に規制されて生活しているわけではない。

小松氏のマニラに着任した時の印象が、良い資料であろう。


『マニラ印象  吞龍(飛行機名)から降りたマニラ飛行場の暑さは、ひどいものだった。同行の鼠入大尉と自動車で大東亜ホテルに行く。(略)

ホテルの前はダンスホールで、内地では聞けぬジャズをやっている。散歩する男も女もケバケバした服装だ。内地や台湾を見た目でマニラを見ると戦争とは全く関係のない国へ来たようだ。総てが享楽的だ。「ビルマ地獄、ジャバ極楽、マニラ享楽」大東亜共栄圏三福対と言われただけのことはある。

安っぽいアメリカ文化の化粧をした変ちきりんな、嫌なところだと感じた。
店舗には東京では見ることもできない靴、鞄、綿布、菓子、服等々、女房連が見たら正によだれを流しそうなものばかりだ。品物の豊かさは昭和十年ごろの銀座の感じだ。(略)』

『武官  サイパンは陥落し、まさに日本の危機であり、比島こそこの敗勢挽回の決戦場と何人も考えているのに、当時(十九年四月、五月)マニラには防空壕一つ、陣地一つあるでなく、軍人は飲んだり食ったり淫売を冷やかす事に専念していたようだ。ただ口では大きな事を言い「七月攻勢だ」「八月攻勢だ」とか空念仏をとなえている。平家没落の頃を思わせるものがある。』

(略)しかし真の危機は、いくら大声で叫んだとて実際には人の耳に入らない。
サイパンが陥落しても、”飲んだり食ったり淫売を冷やかすことに専念していた”のは、少なくとも象徴的な意味では、何も軍人だけではない。

それは前述のように、その人の自己規定が、有形無形の組織内の組織における身の回りの小さな危機_電車に乗り遅れるかもしれぬ、早く行列に加わらねば昼食にありつけぬかもしれぬ、遅刻して上役から雷を落とされるかもしれぬと言ったような_で規定され、それ以上の大きな危機によって自己を制御するということが、実際にはできないからである。」