読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「従ってその実体は最後には、だれにも把握できなくなってしまう。(略)そして激烈な”軍国主義”が軍事力とされてしまうから本当の軍事力はなく、”精兵主義”が精兵とされるがゆえに精兵がいない、という状態を招来し、首脳部は自らの実情すら把握できなくなってしまうのである。

それが最終的にどういう状態を現出したか。小松氏は、的確に記している。


『日本の火力   友軍の火力としては高射砲が三門あるだけで、他は若干の重軽機銃と少数の迫(撃砲)、飛行機からはずした機関砲、旋回機銃位のもので、三十八銃もろくになかった。

自分たちの今井部隊(岡本中佐転任後、今井少佐部隊長代理となり今井部隊となる)は二千名の兵員に対し三十八銃が七十丁という情けないものだった。


全ネグロスの友軍の兵員(陸軍、海軍、軍属、軍夫)二万四千のうち、陸軍の本当の戦闘部隊は二千名そこそこで、あとは海軍需部、海軍飛行場設定隊、陸軍は航空隊、飛行場大隊、航空修理廠、航空通信連帯等の非戦闘部隊が大部分だった。

戦闘部隊の三分の二は高原地の戦闘で失われてしまい、これの補充に航空関係の部隊が当たり、次々と消滅してしまった。


一発撃てば五十発位のお返しがあるので、攻撃の好機があっても攻撃もできず、米軍が大きな姿勢でのこのこやってくるが、どうにもならなかったという状態だった。(略)

こんな調子だから初めから戦争にならず、高原の戦闘は二十日位で終わり、あとはジャングルに追い込められ、逃げる事と隠れることに専念していた。

一度発見されれば、爆撃砲撃でジャングルがすっかりはげ山になるまでやられるのだから、いかんとも処置なしだ。(略)』

確かに総兵力二万四千、しかし戦闘部隊は二千で十分の一以下、さらに今井部隊では兵員二千に対して、明治三十八年式の歩兵銃が七十丁、簡単にいえば、少なくとも全員の九割は戦闘力としてはそこに存在していない。

ただ標的として殺されるために存在しているに等しい。これが軍国主義はあっても軍事力はなく、精兵主義はあって精兵がなく、客体への正確な評価を踏絵にかえ「二十万なら資格あり、三万一千なら資格なし」としつづけた一国の終末の姿である。」