『南方総軍来る 五月に南方総軍司令部が昭何から何のためか移転してきた。我々十四軍司令部付文官は、大部分南方総軍司令部付に転属になった。寺内閣下はオープンの高級車にヘルメットをかぶり元気な赤ら顔をしてマニラ市内を乗り回している。(略)
総軍がきて比島も決戦場らしくなるかと思ったら、物価は急に騰貴し、三月頃ウエストポイントの半ソデ、半パンツが一組百円前後だったのが千円近くになってしまった。
それにテロ事件は続出し寺内閣下の官邸の前には、毎朝日本人に使われている比人の惨殺屍(体)が裸にされ放り出されたり、真昼間城内の大通りで憲兵とゲリラが撃ち合ったり、又地方でもゲリラの活動は活況を呈してきた。
『員数 形式化した軍隊では「実質より員数、員数さえあれば後はどうでも」という思想は上下を通じ徹底していた。(略)
又比島方面で〇〇万兵力を必要とあれば、内地で大招集をかけ、成程内地の港はそれだけ出しても、途中で撃沈されてその何割しか目的地には着かず、しかも裸同様の兵隊なのだ。
比島に行けば兵器があると言って手ぶらで日本を出発しているのに比島では十一つない。やむなく竹槍を持った軍隊となった。日本の最高作戦すらこのような員数的なのだ。(略)』
『無理な命令 命令の中には無茶なものがたくさんある。出来ぬと言えば精神が悪いと怒られるので服従するが、実際問題として命令は実行されていない。「不可能を可能とする処に勝利がある」と偉い人は常に言うが?』
『歴戦の勇士 歴戦の勇士もたくさんいたが、彼等は「戦い利あらず」の場面に多く際会して、人間の弱点を良く知りつくしているので、自分の身を処するに余りにも利口となり、極端な利己主義になっていて余りあてにすることが出来なくなった』
「結果として一切が水増しとなり、すべての「数」が、虚構になる。それを知った時、最終的には、すべての命令も指示も理論も風化し、人はただ自分の経験則だけをたよるのである。」