読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「中国軍がまだ延安にいたころ、先ず農地を整備して「食」を確保した。彼らは、それが基礎であることを知っていた。これは米比軍も同じで、米軍の再来まで頑張り続けた彼らは、まず山中のジャングル内に「隠田」ならぬ「隠畑」を、焼畑農耕の方法をつかってつくりあげ、それで「食」を確保してから、ゲリラ戦を展開した。


これがない限り、日本軍が呼号した長期持久も遊撃戦も、実行不能なスローガンにすぎないのである。


本当に、人間が生物であるという認識に立っていたら、これらの準備は日本軍にもできたことっであった。日本が単に「物量で敗れた」のでないことは、この一事でも明らかであろう。


そして皮肉なことに小松氏たちは、かつての米比軍ゲリラの根拠地に入って、そこで「人工」に接してはじめて「希望」を見出し、これを「希望盆地」と名づけるのである。

この例は、実は、比島戦に意外なほど多い。」


『食料あと一週間分となる(末尾)    (略)ジャングルの中に入ると良い道があった。しばらく行くと大きな家がある。最近まで米軍が居た跡だ。無電装置がしてあり、アンテナが張られていた。この道は敵に通ずる危ない道ではあるが、近くに畑があることが予想され気分が明るくなった。


米軍の永久抗戦の用意の良さに感心した。日本のそれは口だけであるのに反して。二時ごろ幕営す。この川にはドンコ(魚)がいる。釣り道具を出し久々に新鮮な魚を食べる。』

〇ただ、読んでいたこちらの気持ちまで明るくなり、涙が浮かびました。


「人という「生物」がいる。それは絶対に強い生物ではない。あらゆる生物が、環境の激変で死滅するように、人間という生物も、ちょっとした変化であるいは死に、あるいは狂い出し、飢えれば「ともぐい」をはじめる。そして、「人間この弱き者」を常に自覚し、自らをその環境に落とさないため不断の努力をしつづける者だけが、人間として存在しうるのである。

日本軍はそれを無視した。そして、いまの多くの人と同じように、人間は、どんな環境においても同じように人間であって、「忠勇無双の兵士」でありゆると考えていた。そのことが結局「生物本能を無視したやり方」になり、氏は、そういう方法が永続しないことを知っていた。」


〇私は今の子供たちが心配です。私の子供(30代後半)もゲームばかりして、
あまり仲間遊びをしませんでした。少年野球のような、大人の下での仲間活動はしていましたが、自分たちで仲間を作って遊ぶということは、びっくりするほど少なくて、どうなっているんだろう?と思いました。

でも、その子が家庭を持ち、育てている子供(小学生)は更に小さなころから
ゲームに夢中で、頭の中がゲームでいっぱいのように見えます。

人間も、多分「野生動物の猿のように過ごす時期」が必要なのではないか、と思います。野生の感覚を小さなころだけでも、体験しなければ、本当に「現実をしっかりと考えられる人間には、なれないのではないかと思うのですが。

心配性なので、心配のしすぎでしょうか。