「たぶん慶喜君のいう「メタ化された友達」というのは、相手と自分の間でお互いにとっての「友達」というものの役割が同一のものとして共有されていること、つまり「友達とはこういうもので、こういう場合にはこうするもの」という共通理解がされてしまっているということだろう。
そのせいできっと、慶喜君は、同級生たちと一緒にいるときに、相手が(自分が)気持ちとしての友情から全てをしているのか、「友達」としての役割を演じるためにそうしているのか、うまく判断がつかなくなっているんだろう。」
〇この感じは、とても良くわかります。
私は、この「役割を演じる」、というのが、すごく苦手で、天邪鬼のような気分になって、必要以上に「演じない」態度になってしまうときがあります。
それでいながら、「演じない」自分に自己嫌悪を感じて、結局、いつもどっちにしても、自分で自分を責めるような状況になるので、人とのかかわりは、本当に本当に疲れ切ってしまうので、苦手です。
「そんなことあんまり考えずに、加減せずに、相手のことを好きになったらいいのに、と僕は思う。」
〇多分、私は無意識のうちに、「そんなことあんまり考えない」人と近しくなっています。でも、私自身は、「考える人」。嫌な奴だなぁと思うので、ますます、「あまり考えずに」好きになることなど出来ないのです。
「慶喜君がびっくりしながらも笑いながら理由を訊くと、だって、「メタカ」って何のことかわかんないけど、怖くて訊けなくて、でもこんなの怖がってちゃ駄目だって思うんだけど、でも怖いんだもーんと言ってそれからさらに盛大にワーンと泣く。」
〇いちいち細かな点で、繊細でまじめで、微笑ましくて、ホッとするような雰囲気があって、好きです。
「気合を入れ直さなくてはならない。僕は活を入れる。「おっらあああ!行くぞコラ!」 どこ行くんだ三坂、と先生に言われて僕は目を覚まし、ドアの前からもとの自分の席に一瞬で引き戻されてヘビと悲鳴と緊迫を失い爆笑に包まれる。」
〇ここは、笑いました。
「夢と現実が包含関係にありながら同時に並列に並んでいて、夢の中に出てくる人と夢の外で夢を見ている僕たちが同じ地面に立っているなら、「世界」の成り立ちの複雑さはともかく、僕は嬉しい。」
〇舞城王太郎の物語はいつもそんな感じに見えます。私はどちらかというと、あまりにも奇想天外なストーリーには、付いていけない方なのですが、それが、不思議に奇想天外なのに、実際にいつの間にかその世界に入ってしまいます。
「七回数えながら椅子でぶん殴ると、ミスターシスターの頭がつぶれる。」
ううむ~ 暴力反対!って気分になるけど…
暴力もどんどん出てきます。