読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

はてしない物語

〇 ミヒャエル・エンデ著 「はてしない物語」を読み始めました。
この本は、かなり前に子どもの為に買いました。でも、入り込めず、いつかそのうち…で、今に至ってます。

不登校ぎみだった次男が高校か大学かの頃、熱心に読んでるのを見ました。
ほとんどしゃべらない子なので、息子の読んだ本を読むと、少し繋がることが出来るような気がします。

ただ、今回も、もし入り込めないようなら、途中でやめるかもしれません。


「本って、閉じているとき、中で何が起こっているのだろうな?」バスチアンはふとつぶやいた。「そりゃ、紙の上に文字が印刷してあるだけだけど、_きっと何かがそこで起こっているはずだ。だって開いたとたん、一つの話がすっかりそこにあるのだもの。ぼくのまだ知らない人びとがそこにいる。

ありとあらゆる冒険や活躍や闘いがそこにある。_海の嵐にであったり、知らない国や町にきたり。みんな、どうやってかわからないけど、本の中に入っているんだ。

読まなくちゃ、そういうことを一緒にやれないわけだけど。それはわかっている。だけど、それがみんな最初から中に入っているんだ。どうやって入っているのかなあ?」

すると、不意に、おごそかといいたいほどの気持ちになった。
バスチアンはきちんとすわりなおすと、本を手にとり、第一ページを開いて


を読みはじめた。」

〇続きを読まずにいられない気持ち、その世界が本の中にある不思議さ、子どもの頃は、そんな風に引き込まれる本が好きでした。


「岩がかれらの食べものだった。幸いなことにかれらは節度をわきまえていて。栄養たっぷりなこの食べものをたった一口かじるだけで何週間も何か月間も満足した。岩喰い族は余り数が多くなかったし、しかも山岳地帯は広大だった。

とはいえ、この種族はファンタージェン国のたいていのいきものよりもずっと古く、もうずいぶん長くそこに住んでいるので、山は時とともにやはり奇妙な形に変形し。穴のたくさんあいた巨大なエンタールチーズのようになっていた。」

〇ここを読んで、思わず、「そっか、なるほど~」と思いました(^-^;
子ども心がまだ生きてると言うべきなのか、知能が子供に近づいていると言うべきなのか(>_<)


 「「こうではありませんか?」豆小人が口をはさんだ。その場所に目をやると、急に盲になったようだ、と。いかがでしょう。」
鬼火はあっと口を開け、豆小人を見つめた。
「ぴったりの表現だ!」鬼火は叫んだ。」


〇「あわだつ粥湖」がなくなった。なくなったとは?干あがったのでもなく、穴があいてるのでもなく。何もない。
どう言えばいいのか…となって、この表現になってます。
一緒に想像するのが、面白かった。

「その虚無に近よりすぎて、わかっていながらその中へ身を投げてしまうものさえいる。というのは、その虚無は、何か反抗できない引力をもっているらしいんですね。

その場所が広ければ広いほど、その力も強くなる。この恐ろしいことが一体何なのか、どうして起こってきたのか、何か打つ手はないのか、わたしどものうちだれ一人として説明できないんです。

それがひとりでにまたおさまるのならともかく、どんどん大きくなってくるものだから。とうとう女王幼ごころの君に使節を派遣して、お助けをいただこうということになったんです。その使節が、このわたし、というわけです。」


「ごくありきたりの人たちの、ごくありきたりの一生の、ごくありきたりの事がらが。不平たらたら書いてあるような本は。きらいだった。そういうことは現実にであうことで十分だった。」

「バスチアンの好きな本は、手に汗をにぎるようなもの。愉快なもの、読んでいて夢のあるもの。話の中の人物たちが途方もない冒険をするもの、あらゆる場面を思い描いてみることができるもの、そういう本だった。

なぜなら、想像すること、それがバスチアンの得意なことだった。おそらく、たった一つの得意なことだった。」


〇私自身は、想像力はないのですが、想像力がある人のお話を聞くのが好きです。
「ごくありきたりの人たちの不平たらたら」のお話は読む気になりません。