読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

はてしない物語

「女王幼ごころの君には、支配するということがなかった。圧力を加えたり権力を使ったりしたこともなければ、命令を発したり裁いたりということも一度もなく、また、攻めることも守ることもなかった。

幼ごころの君に反抗したり、攻めたりしようと思うものはいなかったのだ。幼ごころの君の前では、みな何のへだてもなかった。

幼ごころの君は、ただ存在するだけだった。けれどもそれが特別のことだった。」

〇ここを読みながら、まるでジャンルが違う読み物でありながら、ついこの前まで読んでいた、「中空構造日本の深層」を思い出しました。
「日本では中心に権力者を立て、その権力によってまとめられる、ということがない」と言ってましたが、まさに、それに似てると思いました。

これは、ある種の理想の形なんでしょうか。


「それからだった、父さんとバスチアンの間がまえとすっかり変わってしまったのは。外見にはそうではなかった。ほしいものは何でも買ってもらえた。三段ギヤの自転車、電気機関車、山ほどのビタミン剤、本が五十三冊、金毛ハムスターが一匹、熱帯魚の水槽、小型カメラ、特許付きの小刀六個、そのほか思いつくものは皆買ってもらえた。だがそんなものは、ほんとうのところ、どうでも良かったのだ。

父さんが以前はよくいっしょにふざけたのを、バスチアンは覚えていた。話をしてくれたり本を読んでくれたりもした。ところが、あの日以来、そんなことはなくなってしまった。今では父さんと話をすることもできなくなっていた。父さんのまわりに目に見えない壁ができ、それを超えることはだれにもできない、という感じだった。」

〇 ここを読みながら、自分の子育てのころを思い出し、胸が痛みました。必要なものは「物」ではないのは、確かなのに、なぜかそれを子供にあげられない…。
自分の問題でいっぱいいっぱいで、子どものことにまで、気持ちが回らない、という状態でした。

でも、考えて見ると、私自身も親からは「放っておかれて」いました。。
親も、日々食べるために働くことでいっぱいいっぱいでした。


「バスチアンは、はっとして読みやめた。そして本を閉じ_読んでいたページに指をはさんでおくことは忘れなかったが_、あらためて表紙を眺めてみた。やはりそうだった。二匹の蛇がたがいに相手の尾を咬み、楕円につながっている!この奇妙なしるしは、いったい何を意味するのだろう?」


〇そうなんですよね~ この本の表紙は「あかがね色の絹で、動かすとほのかに光る…」そして、蛇のマーク。二色刷り。
こういうのも、嬉しくなります。


「誇り高いかれらは一騎打ちの騎士の戦いをよしとしていたので、野牛ではなく狩人の方が命をおとすこともまれではなかった。緑の肌族は緋おどし野牛に愛情と尊敬の念をいだいていて、自分の側でも殺される覚悟があってはじめて、このけものを殺す権利があると信じていた。」


〇 こういう考え方は物語の中だけでしか成り立たないんだろうけれど、本当にそうだ、と思います。命を奪うものの「大変さ」を全く味わわずに簡単に命を食べてることで、大昔とはまるで違う人間になってるんだろうな、と思います。

あの「サピエンス全史」の中で、悲惨な状態で一生を終え、人間に食べられる鳥や牛、豚の話を知りました。最近は、ケージではなく、きちんと地面を歩き回って卵を産む鶏の卵も売られているらしく、いいなぁ、と思うのですが、でも、じゃあその卵を自分は買うか?と考えると、2~3倍の値段と聞くと、結局、ケージの鶏の卵を買うのです。

私自身も「アイヒマン」です(>_<)。


「「アウリンはそなたに大いなる権威を授けよう。」カイロンは荘重な響きで語り始めた。しかしながら、その権威を用いることはならぬ。女王さまもそのご威光に物言わせることは、けっしてなさらぬからだ。」



「何ごとも起こるがままに起こらしめよ。悪も善も、美も醜も、愚も賢も、すべてそなたにとっては区別はないのだそ。幼ごころの君の前においてはすべてが同じであるようにな。そなたのなすべきことは、求め、たずねることのみ。そなた自身の意見にもとづいて判断をくだしてはならぬ。よいか、けっして忘れるでないぞ、アトレーユ!」


〇 このあたり、微妙にあの「禅」の教えのニュアンスを感じます。


「それでもバスチアンは、こうしてアトレーユと共通点のあることがうれしかった。残念ながら、他には二人の間に似たところがなかったからだ。アトレーユのような勇気も決断力もないし、姿かたちも似ていなかった。しかしこのバスチアンもまた、どこに導かれ、どう終わるのか、自分でも知らない大いなる探索の途上にあるのだった。」

〇中学、高校の頃は、私自身もまさにこのアトレーユやバスチアンと同じ不安の中にありました。多分、次男も同じ気持ちでここを読んだのでは?と思いました。


「「女王さまが、なぜそなたをお選びになったか、わかりはじめたように思うぞ、アトレーヌ。」


〇なぜなのか…。私にはわかりません。「若者」にしか戦えない戦いがある、ということなのでしょうか。



「さて老カイロンは、もうエルフェンバイン塔にはもどらなかった。といって死んだのでもなく、草海原の緑の肌族のもとにとどまったのでもない。運命は、かれをまったく別の予想だにしなかった道に導いていったということだ。けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。」


〇この「これは別の物語」という展開、これが「はてしない物語」の所以かな、と思いました。

あの、「彩雲国物語」でも、ひとつのエピソードから次々と「別の物語」が派生して、はてしなく広がっていきました。物語を作る才能がある人って、本当にすごいな、と思います。


「日中は、くる日もくる日も、行先もわからず、助言をしてくれるものも見つからないまま、馬を駆って進んだ。」


〇若い頃は本当にこんな気分になることが頻繁だったような気がします。


「「おまえたち、どうしてそんなになったんだ?」アトレーユはたずねた。
「虚無が広がっとるんでがす。」最初のトロルがいった。」


〇私のような大人だと、この虚無をあの虚無と同じにイメージして、虚無が広がる現代の状況の比喩のように受け取るのですが、子どもはどう受け止めるのかな、と思いました。


「馬は答えた。「だけど、ひき返したほうがいいような気がするのです。何もかもむだじゃないでしょうか。夢でごらんになっただけのことをさがしてこうしてやってきても、なんにも見つかりはしないでしょう。どっちみち、もう手遅れかもしれないです。(略)」

「一歩進むごとにわたしの心の憂いが大きくなってゆくのです。もう望みはありません、ご主人さま。苦しくて苦しくて。だめです、もう進めません。」」


〇この考え方、とても馴染みがあります(^-^;
こう考えると、たいていのことは、もう頑張る意味がなくなります。そして、苦しくなる。うつ病の症状のようです。


「「いったいそれがどうしたというのじゃな?わしらには、もう何もかもどうでもよいわ。どうでもよい。どうでもよいわな。」「おまえも消えてなくなってしまうのだぞ、モーラ!」アトレーユははげしくどなった。(略)


「よいかな、小さいの、」モーラはごろごろとつづけた。「わしらは年よりじゃ。年よりも年よりも、もうたっぷり生きた。たっぷり見てきた。たっぷり知ってしもうたわい。こうなりゃあ、大事なことなどもう何もない。何もかも永遠にくりかえされるのじゃ。

昼と夜、夏と冬。世界は空虚で無意味なのじゃ。何もかも、環になってぐるぐるめぐっておる。生じたものはまた消えうせ、生まれたものは死なねばならぬ。

善と悪、愚と賢、美と醜、すべてはたがいに帳消ししあっておる。むなしいのじゃ。すべては。ほんとうのものは一つもない。大事なことは一つもない。」(略)


「おまえは若い、のう小さいの。わしらは年をとっておる。わしらのように年をとれば、憂い以外には何もないことがおまえにもわかるのじゃが。のう、どうして死んではいかんのかね?おまえもわしも幼ごころの君も、みんなみんな、どうして死んではいかんのかね?

すべてはまぼろしにすぎんではないか。空虚の中の戯れにすぎんではにか。どうでもよいわ、何もかも。さあ、じゃまをせんでくれ、小さいの。早うあっちへいってくれ。」


〇 これも馴染みのある言葉です。違うのは、すべてを見たからそう思ったのではなく、すべてに怖気づいてそう思ったのかもしれません。19歳の頃です。

「何故人を殺してはいけないのか?」という問いがありました。でも、それにはきっぱり、答えがあると思います。「誰も、人に殺されたくないから」です。自分がされたくないことを人にしてはいけない。だから、人を殺してはいけない。

でも、「どうして死んではいけないのか?」については、答えはないように見えます。「死にたい人は死んでも良いのでは?」

でも、多分本当はあるんではないかと思います。

「自分が死ぬと泣いて苦しむ人がいる」それをどれだけ知っているか、どれだけ考えているか。本当に苦しい時、そんなことは考えられなくなります。

あの「夜回り先生」のように、「それはダメだよ」と言ってくれる人の存在は、本当に大きいと思います。


「「アトレーユだったらちょっと困ったからって、そんなにすぐにあきらめやしないだろう。はじめちまったんだから、終わりまでしなくちゃ。これだけきちまったものを、今さらもどるわけにはいかないじゃないか。どうなるにしても、先へ進むよりほかないな。」

バスチアンはとてもさびしかったが、誇らしいような気持も少しまじっていた。誘惑に負けずに踏みとどまったことへの誇りだった。ほんのわずかにしろ、アトレーユに似たところもあるではないか!」


〇 現実の生活が楽しくなくて、本の中に逃げ込むことはよくありました。
昔、「赤毛のアンシリーズ」の中によく逃げ込みました。



「ふりむくと、赤さび色の岩山のかげからあの白い幸いの竜がこちらにやってくるではないか。傷口からは血がしたたり、ひどく弱っていて、近寄って来るのも身をひきずりながらやっとのようすだった。」

〇嬉しかったです。幸いの竜があのまま死んでしまったのではなくて。


「バスチアンは用を足しながら、ああいう物語の主人公たちにこういう問題が起こらないってのは、いったいどういうわけだろう、と考えた。」


〇ここでは、笑ってしまいました。ほんとうに!

「だまれ、ばあさん!今こそわしの番じゃ!」


〇あの宮崎駿のアニメの登場人物もそうだけど、口が悪くて態度も悪い。でも、やってることは真っ当で、なかなか好ましいことをやる、ってのがあります。

この「夫婦隠者」の二人もそうで、そういう人っていいと思うし、そういう人がちゃんと居られる社会だといいのに、って思います。


読みやすくて面白いです。子供(中学生)向けなのですが、比喩的に受け止めると、いろんなことを考えてしまいます。今日は「妖怪の国で」まで読みました。

引用して、感想を書くよりも、どんどん読み進んでしまうので、読み終わった段階で感想を書いて、終わりにしたいと思っています。