読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

苦海浄土

〇 石牟礼道子著 「苦海浄土」を読み始めました。

私は多分、「文学」というのがあまり得手ではないのだと思います。
情景描写や繊細な言葉の響きを楽しむところまで行きません。
退屈してきて、また今度にしよう…となります。
そして、結局は読まずに終わります。

この苦海浄土も、書名も内容も有名で、知っていましたが、多分自分には読めないだろう、と思っていました。

それでも、なぜ読んでみようと思ったのか。
これも、出会いなのかなぁと思います。


「井戸も椿も、おのれの歳月のみならず、この村のよわいを語っていた。」


「ことに、水俣病がはじまってからは、元にもどらない。どんなに腕のいい漁師でも、それを親から子へと伝授することはもうできないのだった。」


「年寄りたちは、子どもたちに譲り渡しておかねばならぬ無形の遺産や、秘志が、自分たちの中で消滅しようとしている不安に耐えているようだった。」



「彼はちびた下駄をはいていた。下駄をはくということは、彼にとってひとかどの労働であることを私は知っていた。


下駄をはいた足を踏んばり、踏んばった両足とその腰へかけてあまりの真剣さのために、微かな痙攣さえはしっていたが、彼はそのままかがみこみ、そろそろと両腕の棒きれで地面をたたくようにして、ぐるりと体ながら弧をえがき、のびかけた坊主刈りの頭をかしげながらいざり歩き、今度は片手を地面におき片手で棒きれをのばす。


棒の先で何かを探しているふうである。幾遍めかにがつっと音がして、棒きれが目ざす石ころにふれた。少年は目が見えないのである。」



「それが山中久平少年と私との、正式な、はじめての出遭いであった。そして私には、この少年とほぼ同じ年齢の息子がいるのであった。

激情的になり、ひきゆがむような母性を、私は自分のうちに感じていた。」