読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

苦海浄土

「そのようなバスの中の様子は、ことに水俣病発生いらい、人びとが、バスの外の、つまり自分たちが生まれ育ち住みつき、暮らしをたててきた故郷の景色の中に、いつもすっぽりと入りきれないで暮らしてきたことを物語っていた。」


「彼の水俣病の人たちに接する態度はいつもこんなふうだった。彼は押し付けがましく表に現れるあの善意というものを、むっつりと武骨な、それでいてどことなく愛嬌のある顔の奥に隠していた。

むしろ彼は、自分でもわからないままに、蓄積されてゆくいきどおりをため込んでいて、始末に困っているようにさえみえる。」


〇この感じは私にもわかるような、わからないような…です。

私も結婚前、「精薄者」(今はこの言葉は使われないようですが、その頃はそういわれていました)の施設で暮らしたことがあります。一応職員として。
でも、まだ十代でしたから、外部から来た人には、たいてい精薄児として扱われました。

この「表にあらわれる善意」をどうすればよいのか、慣れていない、という感覚が、私にもありました。
また、外の人から表される善意をどう受け止めればよいのかについても、
慣れていませんでした。

今思うと、本当に私たち「普通の」「自然な」人間は、幼い子供たちのように、みんなと一緒じゃなきゃ泣きたくなる気持ちを持っているのだなぁ、と感じます。

一緒なら安心して互いに笑い合える。でも、違う境遇の人と一緒にやらなければならない、となると相当に「意識的に」頑張らなければならなくなり、そのことにストレスを感じるように出来ているんだなぁ、と思います。


「市役所衛生課の運転手になった彼のバスに乗り込み彼がバタンと扉をしめると、小さな患者たちも、大人たちも、安心して、バスの窓から入る風に、「しのぶちゃん」の頭から、ふわりと小さな花帽子が飛んだということだけでもうバス全体が、はしゃいで笑み崩れるのであった。」



「ひとりで何年も寝ころがされている子たちのまなざしは、どのように思惟的な眸よりもさらに透視的であり、十歳そこそこの生活感情の中で孤独、孤絶こそもっとも深く培われたのであり、だからこの子たちがバスに乗り、その貌(かお)が一途に家の外の空にむけてかがやくとしても不思議ではなかった。


洗い立てのおしめを当ててもらい、着物を着かえさせてもらい、肉親の腕に抱きとられる間に、子どもたちはもうバスに乗りにゆくことを、孤独な家の中から外へ出ることを感じ出す。」


「そのような様子の子どもたちを見るのは、自分たちの死後、この子がどうなるか、と考えざるをえない親たちにとってはいかにもいじらしく、お互いに今はまだ生きていて抱き合っているという束の間の交感は束の間の慰藉であるのにちがいなく、


専用バスの中は、そのような肉親の情愛がひしひしと切なく、「しのぶちゃん」のご自慢の花帽子が、窓から入る風にふわりと浮きあがり、座席の間の床に落ち、しのぶちゃんがきょとんとしてあらぬ方をみて帽子の落ちたことをしらないで(彼女は目も耳も少しわるいので)いるのがさもおかしい、

といっては笑み崩れ、バスが横ゆれにゆれ、一光くんと松子ちゃんの頭がぶつかっても、バスの中がドッとはしゃぐのであった。」


「よそから、水俣病患者を視察あるいは見舞いに来るものや、市立病院、熊大関係者や、市役所吏員たちや、そして私のようなえたいの知れぬ者たちがあらわれると、九平少年はラジオの前にガンと座って振りむかない、ということを私はきいて知っていた。」



「そんなふうに曲げた背中は、引き絞られて撓んだ弓の柄のように、ただならぬ気迫にみちて構えられており、けれども、それは引き絞られるばかりで、ついに狙い定めた的にびゅうと放つことが、まだ一度もできないかなしみに撓んでいるようにも見える。」


「蓬氏は中腰のまま、俺の本来の衛生課吏員という職務は、ここらへんからそろそろ内部分裂を起こし、哲学的深化にむかいよるぞ、と思う。

そしてばたりと腰を下ろし、柴田であろうとのど自慢であろうとなんにでもつきあうのである。」


「その言葉はもう十年間も、六歳から十六歳まで、そしておそらく終生、水俣病の原因物質を成長期の脳細胞の奥深く沁み込ませたまま、その原因物質とともに暮らし、それとたたかい(実際彼は毎日こけつまろびつしてたたかっていた)、完全に失明し、手も足も口も満足に動かせず、


身近に感じていた人間、姉や、近所の遊び仲間でもあった従兄や従兄などが、病院に行ったまま死んでしまい、自分も殺される、と、のっぴきならず思っていることは、

この少年が年月を経るにしたがって、奇怪な無人格性を埋没させてゆく大がかりな有機水銀中毒事件の発生や経過の奥にすっぽりと囚われていることを意味していた。


水俣病を忘れ去らねばならないとし、ついに解明されることのない過去の中にしまいこんでしまわねばならないとする風潮の、半ばは今もずるずると埋没してゆきつつあるその暗がりの中に、少年はたったひとり、とりのこされているのであった。」