「脳波測定器への畏怖感は、「先生方」や、ケースワーカーの女性たちが、つとめてあらわしている患者たちへの親和感と、きわめて対照的であり、それは、この十年余、生き残った患者たちが、病状の多様化の中で、種々の調査や検査をとおして表し続けている、健康で普通である世界への、一種の嫌悪感とも受け取れるのだった。」
「人びとはお互いの、<ながくひっぱるような、甘えたようなもののいい方>や、つんぼぶりや、失調性歩行に困り、いっそ笑い出したりするのであった。
患者たちは、先生方のヒューマニズムや学術研究を、いたわっているのにちがいなかった。
この、わたしの生まれ育った水俣という土地には、昔からたとえばそんなふうに、遠来の客をもてなすやり方がいろいろとあるのである。」
「_海ばたにおるもんが、漁師が、おかしゅうしてめしのなんの食わるるか。
わが獲ったぞんぶん(思うそんぶん)の魚で一日三合の焼酎を毎日のむ。人間栄華はいろいろあるが、漁師の栄華は、こるがほかにはあるめえが……。」
「人びとはむしろ、そのようにしてひとりで暮らしている仙助老のことを「昔でいえば、仙人のごたる暮らしじゃなあ」と考えていた。
いや、ひょっとすると、とある事情をもっていて、彼は自分の生涯と、他の人間との相対関係をみずから棄捨し、全生活的な黙秘権を行使しようとし、それを、ある種の風流に転化しようとしていたふしがある。」
〇「ハイジ」の中に出てくるおじいさんも世捨て人のように暮らす人でした。「赤毛のアン」のマシュウ(おじさん)も寡黙で口下手な独身男性です。
物語りには、よくそんな世捨て人のようなおじいさんが出てきて、かなり重要な役割を果たします。
物語りを書くような人の周りにはそんなタイプの人がいるのか、はたまた、物語を書く人は、そんな人に関心を持ってしまうのか、
子供の頃はほとんどそんなことを考えずに読んでいたのですが、大人になって振り返ってみると、そんな人の「価値」って、一見わかりにくいけれど、私にはとても力強いメッセージになりました。
大昔からそんなタイプの人はいて、みんなしっかり生き抜いたんだ、お前も頑張れ!と言われているような気になります。
私は「おばあさん」ですけれど(^-^;。
「字名で区切る地区ごとに、馬頭観音やえびす様や「殿サン」をおくことの好きな村で、屯田の地侍とはいえ、頭の格のある家に生まれた仙助老が、舟板がこいの小屋に晩年を送ったのは、彼が親ゆずりの山畑を一代できれいに吞み潰したからであった。
十人近い子女に文字どおり一きれの美田をも残さなかったかわりに、どの子からもみごとに保護を拒絶したのである。」
「ただの酒呑みとは違うとったばい。おなごでもかなわんような働き者じゃったで。
朝の水汲み、炊事、洗濯、薪とり、漁に出る、畑をする。病人の裾(そそ)の始末。裾の始末ばなあ、やり終えらした。たいていの女もああは働かん。ムコどんの鑑のあるとすれば、あげん爺やんばい」
「親の家は子どんが家じゃが、子どんが家は他人の家。」
「私のこの地方では、一昔前までは、葬列というものは、雨であろうと雪であろうと、笛を吹き、かねを鳴らし、キンランや五色の旗を吹き流し、いや、旗一本立たぬうましやかな葬列といえども、道のど真ん中を粛々と行進し、馬車引きは馬をとめ、
自動車などというものは後にすさり、葬列を作る人々は喪服を晴着にかえ、涙のうちにも一種の晴れがましささえ匂わせて、道のべの見物衆を圧して通ったものであった。
死者たちの大半は、多かれ少なかれ、生前不幸ならざるはなかったが、ひとたび死者になり替われば、粛然たる親愛と敬意をもって葬送の礼を送られたのである。」
「いま昭和四十年二月七日、日本国熊本県水俣市出月の、漁夫にして人夫であった水俣病四十人目の死者、荒木辰夫の葬列は、うなりを立てて連なるトラックに道をゆずり、ぬかるみの泥をかけられ、道幅八メートルの国道三号線のはしっこを、
田んぼの中に落ちこぼれんばかりによろけながら、のろのろと、ひっそり、海の方にむけてほられてある墓地にむけて歩いて行ったのだ。」
「突然、戚夫人の姿を、あの、古代中国の呂太后の、戚夫人につくした所業の経緯を、私は想い出した。
手足を斬りおとし、眼球をくりぬき、耳をそぎとり、オシになる薬を飲ませ、人間豚と名付けて便壺にとじこめ、ついに息の根をとめられた、という戚夫人の姿を。
水俣業の死者たちの大部分が、紀元前三世紀末の漢の、まるで戚夫人が受けたと同じ経緯をたどって、いわれなき非業の死を遂げ、生きのこっているではないか。
呂太后をも一つの人格として人間の歴史が記録しているならば、僻村といえども、われわれの風土や、そこに生きる生命の根源に対して加えられた、そしてなお加えられつつある近代産業の所業はどのような人格としてとらえられねばならないか。
独占資本のあくなき搾取のひとつの形態といえば、こと足りてしまうか知れぬが、私の故郷にいまだにたち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の原語と心得ている私は、
〇石牟礼氏のとてもとても強い怒りと怨念のようなものが伝わってきます。
あの、山本氏が、「日本はなぜ敗れるのか」の中で、バシー海峡で、ボロ船に、大勢の兵士を詰め込み、殺されるままにした日本軍のやり方を、アウシュビッツの大量殺戮に匹敵するもの、と言ったあの怒りと同じものを感じます。
「